『キョンの消失』


- * -
・四日目・午前四時五十五分

 朝比奈さん(大)に一日前の世界へ連れてこられた俺は、制服姿で一人夜の公園を訪れていた。

 どうやら昨日、つまり俺が今いるこの時間、実はハルヒの力によって時間平面の改変が行われていたらしく、俺はそれを再改変するという大役を任せられてしまった。
 行われていたらしいと言いよどんでいるのは、俺もその改変に巻き込まれていたからであり、それが実際どんな改変だったのか俺は全く教えられていない。
 朝比奈さん(大)に聞いてもいつもの答えしか返ってこず、だがその時に少し悲しそうな表情を浮かべていたのが俺の心に大きく残っていた。

 先ほど公園前で、この時間の長門に一丁の銃を渡された。
 俺はこれを改変者に撃ち込むだけで、時空の再改変自体は長門がやってくれる事になっている。
 だったら全部やってほしい気もするのだが、どうにもこの一発を改変者に撃つ事だけは俺がやらなくてはならないらしい。それが朝比奈さんの「規定事項」なのだそうだ。
 全く持って物騒な話だ。ただの一高校生に銃撃戦を望まないでほしいよ、本当。

 さて、悲しそうな朝比奈さんの表情に並んで、俺には気になる事がもう一つあった。
 公園前でこの銃を渡してくれた長門は、かつて朝倉と対峙した時の様な雰囲気を俺に発してきていた。
 簡単に言えば敵意である。
「どうしたんだ長門。何か俺、お前にまずい事でもしたか」
 俺の問いに長門は首をわずかに振り否定する。
「あなたは間違っていない」
 それだけ言うと、長門はその視線で俺に公園へ行けと強く訴えてきた。
 ダメだ、どういう事だか今の長門には取りつく島が無い。長門とのコミュニケーションを諦めた俺は、銃をポケットに隠すと公園へと入っていった。


 目の前には北高の制服を着た少女が立っていた。
 ポニーテールにまとめあげられた髪型が恐ろしく似合っており、十人以上の容姿も伴っていて、集合体の中で頭一つ出たぽつりと光る存在のように感じ取れた。

「……お前がジョンか。なんだか冴えない男だな」
 少しだけ驚いた表情をみせる少女の、その腕の中には別の少女が抱かれている。
 意識が無いのか、抱かれた少女は自分で身体を支えることもせずに、ポニーテールの少女に身体をくったりと預けていた。
 ポニーテール少女はこれ以上無い優しい表情で抱いている少女の頭に手を添える。
 黄色いカチューシャをなぞり、肩口で切られた髪をすき、その頬をそっとなでた。

「ハルヒに何をした」
 俺をジョンと呼んだ事も気になるが、そんなのは後回しにする。
 まず俺がすべき事は、そこでポニーテール少女に抱かれているハルヒの安否を確認する事だ。
 何故ハルヒがここにいる。一体どういう事なんだ。

「大丈夫、眠ってもらってるだけさ。これからの事をハルヒに見られるのは、わたしにとってもお前にとっても宜しくないだろ」
 少女は抱いていたハルヒを傍のベンチに優しく寝かせながら、ぶっきらぼうに答える。
 その少女の姿に、俺は何か引っかかっていた。どこかで見覚えがあるような、そんな感じが付きまとう。
 だがそれが誰なのか思い出せないし、それに今は思い出している余裕も無い。

 俺は隠していた銃を取り出し、両手で少女に向けて構えた。
 だが少女はその銃を見た途端、怯えるでもなく強がるでもなく、まるで記憶を手繰る老人の様な遠く優しい眼になりぽつりと何かを呟いた。

 だが、そんな感慨深さを浮かべたのも一呼吸する程度の時間で、少女は様々な感情を混ぜ合わせたドドメ色の様な複雑な眼差しをこちらに向けてくる。
 そんな表情を浮かべながら、少女はあまりにも突然な質問を投げかけてきた。

「ジョン。……お前、ハルヒが好きか」

 あまりの質問に、俺の動きが全て止まる。もしこれが俺の隙を突く作戦だったのならば見事に成功していた事だろう。
 だが少女は何もしてこなかった。ただじっと俺の答えを待つだけだ。

 かつて自分に投げかけた質問を思い出す。俺にとって、ハルヒとは何か。
「……ああ。俺自身まだよくわかってないが、多分、好きなんだと思う」
 何故だろう。俺はどうとでも言えた質問に対し、気づけば今の正直な気持ちを述べていた。

「そう」
 微笑むような、悲しむような、色々と混ぜあったような感情を浮かべ。
 少女はそれでも満足そうに頷くとハルヒからゆっくりと離れだした。


 俺の銃の射線軸上からハルヒを外したあたりまで動き、ポケットから鈍く光るモノを取り出す。
 それはかつて二度俺の命を奪いかけた、俺がもう一生見たくないと思う物品ランキングにおいてダントツ一位を取る代物だった。
 アーミーナイフを手にし、さっきまであれほど友好的に思えていた少女が厳しい視線を向けてくる。

「どうした、撃たないのか」
 少女がナイフをすっとこちらに向け、ゆっくりと近づいてきた。
「お前がわたしを撃たなきゃ、わたしがお前を殺す」
 その通りだ。だが、どうしても躊躇ってしまう。
 人に向けて銃を撃つなんて行為、良心がある奴なら誰だって躊躇うはずだ。
 カマドウマや、せめてあの時の朝倉ぐらい人間でないと感じられればいけるかもしれない。
 だが、彼女から感じるものは違う。どこをどう見てもただの人間にしか思えないのだ。
 いやむしろ自分に近いものすら感じる。


 少女はナイフを握り締めながら、にっこり笑って話しかけてきた。
「あなたを殺して涼宮ハルヒの出方を見る」
 そして今度は腰にゆっくりと構え、暗く濁った笑みを浮かべる。
「長門さんを傷つけるやつは許さない」
 二度と聞きたくも無いアイツの台詞を聞かされ、一瞬にして全身に血が駆け巡る。

「ジョン、今の気分にはどっちの台詞がお望みだ?」
 体制を戻し、少女がナイフに口づけを与える。
 引き金を引きかけ、それでもどこかで心の安全装置が銃を撃つ行為に制止をかけてきていた。

 だがそんな俺の姿に少女は冷たい目を放つ。
「……ここまで挑発してるのに、まだわたし撃つのを躊躇ってるのか。
 やれやれ、期待はずれもいい所だな」
 そう言い捨てると今度は無防備に俺に近づいてきた。俺は銃を更に向けるが、少女は気にも留めない。
 そのまま傍まで近づいてくると、少女は空いた平手で俺の頬を思いっきり引っ叩いてきた。

「ふざけるな! 言ってやるが、その気持ちは優しさなんかじゃ決してない。
 今のお前は、ただ自分可愛さにダサい臆病風にふかれてるだけだ!」
 驚く俺に、少女は俺のネクタイをハルヒのように掴むと、トドメとなる言葉を突きつけてくる。

「お前がその銃を撃たないってことは、お前は自分の感情を抑えながらその銃を渡してくれた長門の事も、胸に悲しみを抱きながらここへお前を連れてきてれた朝比奈さんの事も、全く信用してないって事になるんだ!
 その銃は時空改変のプログラムに過ぎない。本物の銃じゃない事はお前が一番よく知ってるはずだ。
 その銃すら撃てないって言うんだったら、そもそもお前はあの時エンターキーを押すべきじゃなかったんだ。
 そしてこんな馬鹿げた設定や怪しげな陰謀が渦巻く混沌とした世界じゃなく、あの長門が作った優しい世界の中で、みんなと仲良くただ平和に過ごしていればよかったんだよっ!」


 何だコイツは。
 何故、お前はあの改変後の『二日間』の事を知っている。
 再改変の時ならともかく、あの『二日間』を知るのは俺だけのはずだ。


「お前、長門が処分されるかもと聞いた時、ハルヒをたきつけてでも救いだすと言ったよな。
 立派な決意だが、あの後雪山でお前はいったい何をした?
 始めて会った時からずっと、お前は朝比奈さんを魔の手から護ってみせると思ったよな。
 じゃあ朝比奈さんが誘拐された時、お前はいったい何が出来た?
 自分には何の力も無いとかただの一般人だとか、そんなベタな言い訳で自分を言い聞かせるだけで、お前は何もしてないじゃないか!」


 何だコイツは。
 何故、お前はそんな事まで知っている。
 一体何なんだ、お前は。


「お前の考えなんて手に取るようにわかる。
 お前が今まで口にした事、してきた事だってわたしには全部お見通しさ。
 だからこそあえてお前に言ってやるよ。
 結局お前は全て他人任せで、ただ楽しい所だけを味わいたかっただけなのさ。
 あの時のハルヒや、冬の時の長門の様に、自ら動いてみようだなんて事は無い……退屈な男さ。

 ハルヒや長門や朝比奈さんや古泉に甘えるのも、いい加減にしろっ! ジョン=スミスっ!」


 そう言って少女がナイフを胸に突き出してきた。刃が俺の身体に触れるが、俺は避けられなかった。
 決定的なまでに急所を衝かれたせいだ。ナイフにではなく、少女の発した言葉によって。
 俺は少女のナイフを避ける事すら全く考えてなかった。
 ナイフの柄が身体に当たった衝撃を受け、俺は何かを叫びながら少女に向けて引き金を引いていた。

 そして身体に受ける衝撃の中、俺はここへ来るまでの事を思い出していた。


- * -
・一日目・放課後

 全ての事の始まりは、春休みを迎える直前の事。
 春の到来がもうすぐといううら暖かい時期だった。

「あなたに話があります。そう、とても重要なお話が」
 SOS団の活動終了後、いつも通りの爽やかな笑みを浮かべて古泉がこっそり告げてくる。
 仕方なく古泉とゲームをちょっと整理してから帰るとハルヒに言い、三人が岐路につくのを見送りだした。

「それで古泉、話ってのは一体」
 五分ほど部室で時間を潰しながら簡単に片づけをした後、古泉と二人並んで下校する。
 朝比奈さんとの下校という貴重な時間を割いてまでお前に付き合うんだ。これでくだらない話だったら簀巻きにしてそこの川へ投げ込んでやるから覚悟しておけ。
 そう釘を刺すと、古泉は笑みの中にどうにも不思議な表情を浮かべてきた。
「実はですね……今日に限り何というか不自然な、どこかに違和感を感じるんです。あなたはどうですか?」
 違和感? ハルヒがまた何かをしたというのか。
 今日一日の記憶をざっと思い出し、こうして古泉と並んで歩く今まで省みてから首を振った。

「さて、残念ながら思い当たる節はない」
 しいて言うならお前とこうして歩く事で、明日あたりお前の隠れファンからまた面倒くさい抗議を色々と受けそうだと予想できるぐらいしかない。
「それは……申し訳ありません。それよりまたって、今までにもそんな事を裏でされていたのですか」
 まぁな。色男に恋する乙女たちにはそれこそ色々あるんだろうよ。
 ただ、その色々をこっちに当ててくるのは全くもってお門違いも甚だしい事だと言いたいね。


「……今からあなたに失礼な質問をいくつか行いますが、許していただけますでしょうか」
 失礼だとわかってて聞こうというのか、失礼な。まぁそこまで言うなら仕方がない。
 違和感を探す為に必要なんだったら、一応我慢できるところまで我慢しよう。
 我慢できなくなったら迷わずにその首を絞めるけどな。
 突如吹いた強い風に身体を押さえつつ、目線のみで古泉に話を進めさせた。

「ではお言葉に甘えて。……あなた、今好きな人はいますか?」
 な、いきなり何てこと聞きやがるんだこのスカシ野郎は!
 お前相手だと言うのに思わず顔が朱に染まりかけたじゃないか。
 先ほどの契約通り、早速勢いに任せてハルヒ直伝のネクタイ首締めを古泉にかける事にした。

「いえいえ、これでも僕は真剣に話しています」
 なお問題だ。何たって好きな奴がいるかどうかがお前の違和感解消のネタになる。
 そんなに聞きたきゃ教えてやる。
 どんなに世界が間違っていても、お前の名前があがる事だけは未来永劫ない。それは確実だ。
 だから、その事実を心に刻み込みつつおとなしく涅槃へ旅立つがいい。
 サブタイトルは「超能力者よ永遠に」でどうだ。お前の人生を今すぐここで最終回にしてやろう。

「降参、降参します。ですがこの質問は必要なんです。断言してもいいでしょう」
 首を絞められ青くなりながらも、古泉がなおも真剣に話しかけてくる。
 舌打ちをしながらも仕方無く、全力でネクタイを引っ張っていた手を離してやった。
 渾身の力をこめて強く握り締めてやった結果、古泉のネクタイは痛々しくヨレヨレになっていた。
 溜息をつきながら軽く引っ張り形を直してやる。最後に手のひらで胸ごと叩くと、ぶっきらぼうに一言返してやった。
「そんなのいるか」
 全く何だってんだ。
 古泉のあまりの質問に頭をかき、風で乱れた髪を軽く整える雰囲気でその場を濁した。

「なるほど。では、涼宮さんの事はどう思っていますか。あなたは涼宮さんが好きですか。
 ちなみに友情とかの好きではなく、一人の恋愛対象としてどうかと言う意味で取ってください」
「……なあ古泉。お前それ本気で聞いてんのか?」
 額から目頭にかけてを手で抑えて頭を振る。真剣に頭が痛くなってきた。
 コイツはいつから恋愛事情に耳を挟むゴシップ記者になったんだろうね。
 そんな突っ込みに、しかし古泉は何処吹く風と爽やかさをそのままに携えしれっと返す。
「もちろん。さっき以上に重要な質問だと僕は考えています」
 あくまでいつもの爽やかな表情で、しかしその眼は確かに真剣なまなざしを向けてきていた。
 何を考えている。一体どんな違和感を古泉は感じてるって言うんだろうか。


「ハルヒの事は……Likeという意味でなら好きだ。気の合う親友以上の気持ちは、無い」
 一緒に笑って、バカやりあって、楽しんで。ハルヒ程心を許している奴は今のところいない。
 照れ隠しに顔を背けて答えると、古泉は更に突っ込んで質問してきた。
「あなたは涼宮さんと閉鎖空間に閉じ込められた時、どうやってこの世界へ戻ってきました?」
 言えるか、そんな事。思い出したくもない。
 頼むからあの時の恥ずかしい記憶だけは呼び起こさせるな。マリアナ海溝あたりに永遠に沈めておいてくれ。

「いえ。失礼ですが呼び起こしてもらいます。いいですか、もう一度お尋ねします。
 あなたは何で、涼宮さんと戻ってくる為にそんな恥ずかしいと思える手段を取ったのですか?」
 それは……朝比奈さんと長門のヒントから考えてさ。
 その点に関しては間違いないし、お前の事だからそれぐらいは既に知っているんだろ。

「はい。では更に続いて質問します。朝比奈さんや長門さんは、何故あなたに対してそのような行為、いえハッキリ言いましょう、涼宮さんに口づけを行うように示唆したのでしょう」
 ハッキリ言うなバカ野郎。お前をマリアナ海溝に沈めるぞ。
 言いたくないが、そんなの決まって……と思いかけ、言われてみれば確かに変だと感じた。
 そういえば朝比奈さんたちは、何であんな事をさせようとしたのだろうか。
 確かに古泉の言うとおり、普通に考えると少しおかしい。


 まぁおかしいと言うなら、今二人で話している会話が電波な話である時点でいろいろとおかしいと突っ込むべきなのだろうが、古泉はそんな事はお構い無しに、その電波的な会話を続行してきた。

「質問をかえます。あなたは朝比奈さんや、長門さんに対して好きという感情はありますか。
 もちろん、ここで言う好きは Likeでは無く Loveの意味でとってください」
 それならノーと言おう。
 朝比奈さんや長門に対しても、今のところハルヒへの気持ちと同じ感じで接している。

「それでは僕はどうです? あなたは、僕が好きですか?」
「……古泉。頼むから不意打ちで気持ち悪い事を言うな。それだけは絶対無い」
 なんでSOS団には朝比奈さんという至高の大天使をはじめ、ハルヒや長門と言った谷口的にAランクの方々がいるというのに、よりにもよって男のお前なんかに走らないと
「そこです」
 ぶつぶつ漏らしていた言葉をさえぎって、古泉がここで始めて笑みを隠して聞いてきた。

「今日一日のあなたの行動を見ていて、それを顕著に感じました。だからお伺いしたのです。
 どうして男の僕より、朝比奈さんや涼宮さんたちの方が自然だと考えるのですか。
 それこそ、どう考えたっておかしい話だと思いませんか」

 一拍間をあけ、古泉は続けた。



「だって、あなたは女性なんですよ?」



 至極当然十数年前から当たり前の事を指摘され、わたしは何て反応すべきかと、髪を束ねている頭のリボンをいじりながら思考をめぐらせていた。

- * -
「……わたしが女で悪かったな。でもな古泉、そうは言ってもわたしは昔から女として生きてきてるわけだし、見ての通り身体の凹凸だって……まぁ朝比奈さんには負けるがそれなりにはあるし、来るもんだってちゃんと毎月来てる」
 あまり男に言う会話じゃないが、古泉だったら問題ないだろう。
 どうせ機関とやらは、わたしの身体の神秘のバイオリズムもご丁寧に監視しているんだろうし。

「いえ、いま問題なのはあなたの身体ではありません。精神の方です。
 例えば、あなたは僕に抱かれる姿を想像できますか。この際谷口さんや国木田さん、年上趣味なら岡田教諭とか荒川氏でも構いません。
 誰かしらの男性に自分が抱かれる姿を、あなたは今すぐに想像できますか」
 気色悪い事言うな。何でわたしが男なんかに抱かれなければならないのさ。

「では、涼宮さんや朝比奈さん、長門さんではどうですか」
 ……まぁ、お前に抱かれるぐらいなら、アブノーマルと言われようとわたしはそっちを選ぶね。
 あのふわふわした天使に抱きついて一晩過ごせるなら悪魔に寿命の半分を渡してやったって構わない。
「その時にはあなたが攻められる側ですか」
 いや何でわたしが攻められ…………いや待て、さっきも思ったが確かにおかしい。何だこの変な感情は。
 わたしはいつから、こんな女性同士で色々したいなんていう百合属性に目覚めたんだ?
 こと恋愛に関しては、わたしはいたってノーマルな思考を持ち合わせていたはずでは無かったか。


「古泉。まさかわたしがこの、何ていうか、百合属性に目覚めてるのが、お前の言う違和感なのか?」
 考えたくない事だが、ハルヒがわたしとそういう怪しい関係になりたいと考えた末、わたしの萌え属性がこうなってしまった……とでもいうのだろうか。だとしたら勘弁してもらいたい。
 いくら人とは違う道を進むハルヒでも、恋愛ぐらいは健全でノーマルな男女交際をした方がいいぞ。

「かなり近い答えですが、僕の考えているモノとは少し違います。
 僕はあなたが女性である事、それ自体が今回のダウトではないかと考えているんです。
 あなたの正体は王女ではなく王子である。いえ、王子でないとおかしい。
 そうでなければ、あの時の朝比奈さんたちのアドバイスに理由が見出せません」

 それはまた随分と暴力的な考えだな。
 つまり、わたしは実は男で、しかもハルヒと多少なりとも好意関係にあったと言うのか。
 だからこそのあの時のあの────キス、行為が鍵になった、と。
「ええ。突飛も無い意見ですけど、これが一番しっくりくる答えだと僕は思います」


- * -
「長門の意見は? お前の事だから既に何かしらアプローチをしてみたんだろ?」
 こいつが何も手を講じずにわたしに話を振る事なんてまず無い。
 ある事象に対して、誰がどの立場で何をできるか。
 それを計算し実行するのがコイツの性分だという事は、既に何度も思い知らされている。
 その頭の回転を何でゲームに活かせないのかは未だに謎だが。

「ええ。ですが回答は得られませんでした。元々彼女は観察者の立場にいます。外敵要素からはSOS団を全力で護ってくれるでしょうが、涼宮さんの行為に関してのみ、彼女は常に中立の立場を取ります。僕達が異変に気づき、それを指摘した場合はちゃんと教えてくれますけどね」
 確かにエンドレスなあの時はそうだった。でも今でもそうなのか?
 わたしには今の長門がそこまで冷たい奴のままでいるとはとても思えない。

「そうですね。涼宮さんの超常行為の結果あなたに甚大なる被害が訪れる場合、彼女は迷わず動いてくれるでしょう。ですが今回は別にこれと言って問題があるわけではありません」
 いや、男子が女子にされるなんて十分すぎるぐらい問題だと思うぞ、普通。

「とにかく僕ではダメです。そこで、あなたから長門さんに状況を聞いてみては貰えませんか。
 あなたなら長門さんの真意も読めるのではないかと思っていますので」

 全く何てこったい。
 まさか今の今まで生きてきた、命短し恋せよ乙女な人生を全否定される日が来る事になろうとは。
 顔の良し悪しはともかく、こう見えてこのわたしの頭の後ろでなびくポニーテールとか、こっそりと手入れしていたネイルケアとかには、わたし的に結構自信ある部分だったんだが。
 この感覚が虚像だったとなると、流石のわたしでもちょっと落ち込むね。

「いえいえ、そんなに悲観しないでください。
 いい機会なので正直に言います。僕から見て、あなたはかなり魅力的な女性だと常日頃から思っていました。
 涼宮さんや朝比奈さんとたちとは違い、あなたにはあなただけが持つ輝きというものがあります。
 もしあなたが男性ではというこの見解が間違っていたなら、別の機会にもう一度、あなたにちゃんと告白する機会を与えていただきたいとすら、思っているぐらいです」
 それだけは丁重にお断りする。
 お前とラブラブに抱き合うぐらいなら、そこいらのカマドウマにでも乙女の純情を捧げるよ。


「……でもまぁ、お友達としてぐらいなら、お付き合いをしてやってもいいけどな」
「恐縮です、姫君」
 そう言って古泉はいつもの紳士的笑みを浮かべてきた。

 正直、その時の古泉の表情はちょっとだけ悪くないと思った。


- * -
・二日目・昼休み

「それで長門。何でわたしは女になっているんだ?」

 次の日の昼休み。わたしは早速部室を訪れて長門に問いただしてみた。
 昨日古泉と別れてからこうして部室に来るまでの間、わたしは本当に世界が改変されているのか考えていた。
 しかし自覚も予兆もヒントも無いのにわかるわけがない。一般人を自負するわたしじゃお手上げ状態だ。
 そこで仕方無くわたしは宇宙一頼れる名探偵の門戸を運命の如く叩いたのだった。

 読書探偵長門。彼女は普段この部室で読書を行いながら、何か事件が起こったら即座に事件にかかわる全情報を収集、そこから導き出されるたった一つの真実をあっさりと導き出すというアガサ=クリスティもコナン=ドイルも真っ青な推理小説作家泣かせの超万能探偵である。
 首をちょこっと横にかしげるこの長門に解けない謎など、全宇宙を探したところで──

「…………?」
──あー、たまにしかない。

 長門は心底何の事だかわからないといった表情を数ミクロン単位で浮かべ、逆にわたしに対して無言の質問を色々と浴びせかけてくる。
 つまりこれは、古泉の大胆大穴予想は全くもって大外れだったという事なのかしら。
 思わず普段めったに使わない女性口調がぽろりと出てしまう。
 わたしに似合わないのは百も承知だから、普段の会話では絶対使わないけどな。

「えーっと例えばなんだけど、もしかしてこの世界は何者かによってこっそり改変されていて、その改変内容が、実はわたしは本来生物学上男性だったはずなのに、何故かこうして性染色体が女性のものにされてしまっているという、そんな可能性が万が一もしかしたらどっかにあるんじゃないかなぁって思って、だな」
 とりあえず無言の圧力に押されながら昨日古泉と話した内容について告げてみる。

「無い」
 そんなわたしのうろたえを一刀両断するように、長門は短く答えた。
 なんだ、やっぱり無いのか。つまりわたしは生まれた時から女性で間違ってなかったんだな。
「わたしの感知できる範囲において、あなたの言うような改変は全く見受けられない」

 そうか、ありがとう。変な事を言い出して悪かったな。
 全く、これというのも古泉のせいだ。
 もしかして昨日のアレは古泉流の告白か何かだったのだろうか。
 とりあえず次に奴にあったら古泉カズキに名前を変えさせて、ごきげんようなサイコロでも振らせて恋の話でもさせる事にしよう。略してコイバナ、ふむコイバナカズキでも面白いな。
 だいたい世界改変がそうそう何度も起こってたら、地球の状態がもたないよな。一回改変されるたびに一体どれだけの生態系が影響を受けているかわかっているのかと、そろそろ各方面団体から苦情が殺到してもおかしくない頃だと思っている。


「………」
 ふと、そこで長門が微妙な表情になっているのに気が付いた。
 何かを伝えたいが、何を伝えるべきなのか、どうすれば伝えられるのかがわからない。
 そんな風に見える。

「どうした、長門」
「……わたしに蓄積された全メモリにおいて、あなたは常にその姿を取っていた。
 この星の記憶媒体に保存された内容を見ても、あなたの姿を今のままで捉えている。
 全ての事象が、あなたの言うような世界改変など行われていないと立証している」
 壁に貼られた写真を見つめながら、長門は本を椅子において立ち上がる。
 そのままわたしに近づくと、長門はすっと手を小さく延ばし、わたしと視線を合わせながらも何処か遠くを見つめている眼を向けながら、わたしのセーラーの袖口をちょこんと小さく摘んできた。


「だが────わたしの中の微小なノイズが、今のあなたを否定している」


- * -
 古泉と長門の意見の相違。まさに雌雄を決するわたしの正体。
 普通なら迷わず長門に全額賭けるところだが、今回はどうにも様子が違う。
 無いと言い切った長門ですら、何かを感じているようだった。

 さて、そうなると問題になってくるのはわたしの動く理由だ。

 閉鎖空間に閉じ込められた時、わたしはハルヒとこの世界に戻りたいと思った。
 女同士でキスなんてやらかしたのは、今でも忘れたい記憶の一つにあげられている。

 わたし以外の全てが時空改変されたあの冬の日、あの時もわたしはこの世界を選択した。
 微小な表情を浮かべてわたしにアプローチをしてきた、あの長門を消失させてまで。

 もし古泉の言う通りわたしが女性であるこの世界が改変された世界だとして。
 果たしてわたしは、わたしたちは、どんな理由でわたしが男である世界に戻さなければならないのだろうか。
 わたし自身の記憶では、わたしはずっと女性として生きてきている。
 世界消失の危機も、誰かによる悪意も、世界改変に取り残された人物とかも今のところは別に感じられないし、それを感じさせる気配すら今のところ見当たらない。

 つまるところ、元の世界と思われる状態に戻す理由が、今のわたしには全く無い訳だ。
 それなら本当に改変が行われたのか、その理由とか、そう言ったのがハッキリするまで、こうしてのんびりしていてもいいんじゃないだろうか。
 中庭にある大樹の影、小さな芝生に寝転がりながらわたしはそんな風に考え平和を満喫していた。


 実際には、のんびりしている時間なんて殆ど無かったわけだが。


- * -
・二日目・午後七時

 わたしの真の姿を知る者は意外な所から現れた。

「わたしにとって、あなたとは久しぶりになります。キョンさん」
 下駄箱のラブコールで公園に呼び出されたわたしは、朝比奈さん(大)に抱きしめられつつそう告げられた。
「また会えて、凄く嬉しい……わたしは、あなたと過ごしたこの時間をはっきり覚えていますよ」
 そのいきなりの手厚く熱烈な歓迎に、流石のわたしも驚きを隠せないというより、もう少しで色々なものが限界突破してしまいそうな気分に落ちていた。
 これは一体どういう事でしょう。未来での挨拶方法は実はこんなに情熱的だったのですか。
「そんな事ありません。ふふ、本当に、キョンさんなんですね。懐かしいです」

 朝比奈さん(大)によるハッピータイムが終了した後、わたしは今回の件について聞かされた。
 それによると、今この世界は古泉の予想通り改変されているらしい。
「改変された時間平面範囲は前回と同じ、改変された瞬間より過去三百六十五日です。
 この時代のわたしは時空改変の影響を受けてて、キョンさんの姿に違和感をもってません。
 ですが、わたしのいる未来は改変されなかった。だからこうしてわたしが真実を伝えに来られたんです」
 という事は、朝比奈さんはわたしの本当の姿を知っているんですよね。
「はい。キョンさん、本当のあなたは男性です」
 複雑な表情を浮かべて、朝比奈さんはわたしを見つめつつ答えてくれた。
 そりゃまぁそうだろう。
 男の知り合いが女の姿で居たらわたしだって驚くし、その相手に微妙な笑顔も浮かべてしまうだろう。


「それて、犯人は誰なんです?」
 今回は長門まで記憶が改変されている。正直どういう風に対処するべきかわたしは迷っていたところだった。
 わたしが尋ねると朝比奈さんは自分のひざの上で組んだ両手を見つめながら教えてくれた。
「今回の時間平面の改変を行ったのは涼宮さんです。それは間違いありません」
 なんとまぁ、またアイツの仕業か。これは一度反省室でじっくり話し合う必要があるな。
 わたしがそう考えていると、朝比奈さんは更に驚愕の事実を告げてきた。
「ですが、涼宮さんにこの改変を思いつかせたのは別の人です」
 何ですって?
 つまり、時空改変のきっかけを作った真の黒幕は別の人物だと、そうおっしゃるんですか。
「……はい」
 なるほど。ではまずソイツから反省室に送り込みましょう。
 それで誰なんです。そんなハルヒに要らん事を示唆したアホな奴は。

「示唆した犯人は……キョンさん、あなたです」

 ────何ですって? わたし?

「はい。キョンさんが、今回の発端なんです」
 はっはっはっ。オーケー。なるほど、よくわかりましたよ朝比奈さん。
 とりあえず反省室へはどう行けばいいんだったか、わたしは世界地図を心に思い出していた。


- * -
「今回の改変は『女だけの秘密』が原因なんです」
 すいません、おっしゃっている意味が全くわからないのですが。

「キョンくんは下校時、いつも古泉くんと並んで帰っていました。
 そして色々と話しては笑ったり、溜息を吐いたり、難しい顔をしたり。
 正直、そういう姿をわたしにも見せて欲しかったなぁ、って今でも焼けるぐらいでしたよ」
 わたしが、古泉と?
 いつも古泉はわたしたちの後ろを付かず離れずで歩いてくるイメージしかないんですが。
「だから、男のキョンくんの話です。で、わたしが思うように涼宮さんも考えたんでしょうね。
 ある時ぽつりと言ったんです」
 という訳で、朝比奈さん(大)による一昨日(改変前)の下校シーンをお送りしよう。


- * -
・プロローグ・放課後

「ねぇ、そんなにいつも二人でさ、よく会話が続くわよね」
 ハルヒは首だけ後ろに向けながら俺達に話しかけてきた。
 なんだ突然。それを言うならお前らだって、いつも三人で色々盛り上がって話してるじゃねぇか。
「そりゃそうよ。女の子には女の子だけの共通の秘密ってのがあるもんなのよ」
 秘密ねぇ。まぁ俺たちも似たようなもんだから詮索はしないさ。
 ただ俺と古泉の会話は決して男の友情とかではなく、ほぼ終始ハルヒ元気予報についてである。
 やれ機嫌を取れだとか、次のイベントは何を始めようだとか、緊急事態ですとか、そんなのばかりだ。
 まあ古泉が突然「いえね、このビデオの女優が朝比奈さんに似てかなり巨乳なんですよ」とか
「高校卒業までにチェリーボーイも卒業したいですね」とか、まるで万年発情期の谷口の様なことを言い出したらそれはそれで緊急事態に思えてくるが。

「あら、キョンは女の子の秘密が気にならないの? ここだけの話、みくるちゃんとかマジで凄いわよ」
 すまん、いきなり気になった。何がどう凄いんだか教えてくれ。
 何だったら今から例の喫茶店で全額おごってやってもいいぞ。
「本当? じゃああたし達の先月の健康診断の結果と先週の日曜日の過ごし方、どっちがいい?」
 やばい、そのカードはマジで魅力的だ。凄いぞ女の子の秘密。ビバ女の子の秘密。
 ハルヒ団長、今日はメニューの端から端まで頼んじゃってもよろしいです。

「ふえっ、涼宮さん、だめですよぅ! それどっちも秘密だって言ったじゃないですかぁ!」
 朝比奈さんは声を大にし両手をばたつかせ顔を赤らめながら必死になってハルヒを止めにかかった。
「だ、そうよ。という訳で、みくるちゃんの秘密はあんたが女の子になったら教えてあげるわ」
 ハルヒはただ朝比奈さんをからかいたかっただけなのだろう。そんな慌てふためく様子に満足していた。
 俺もその辺はわかっててボケた訳だが。
 いや本当だぞ。
 だからそんなドムホルンリンクルを監視する人の様な目つきで俺を見つめるな、長門。

「俺が女性にか。そうだな、そうなったら色々教えてもらうよ」
「そん時はもちろんアンタの秘密と交換よ」
 俺の休日の過ごし方一つで朝比奈さんの神秘がわかるなら、そんなモノいくらでも教えてやるぞ。
「キョンの? ……ふぅん」


- * -
・二日目・午後七時

 とまぁそんな事らしい。朝比奈さんの話を聞き終えたわたしは頭を抱えていた。
 オリジナルのわたしは谷口以下のアホか。ハルヒを焚き付けてどうする。
 どう聞いても「わたしの秘密が知りたきゃ女にしろ」と言ってる様なものじゃないか。

 わたしが頭を抱えていると、朝比奈さんはわたしを包み込むように抱き寄せてくれた。
 その柔らかな丘陵がわたしの顔を神秘の世界へと誘う。一体何をしたらこんな大山を保有できるのでしょうか。
 ハルヒが真顔で揉みまくる気分がよくわかる。というか犯罪でしょ、これ。
 ところでわたしは何故抱かれているのでしょうか。先ほどから様子がおかしくありませんか、朝比奈さん。
 もしかして未来のわたしは朝比奈さんとここまで急接近していたのでしょうか。
 パニックに陥ったまま未来のわたしに対してどうやって勲一等を送ろうかと考えていると、朝比奈さんはわたしを意外に強く抱き寄せたまま、ソレを告げてきた。
 声も、身体も震わせながら、それでも強く抱きしめたまま。


「いまから三十四時間後──明後日午前五時。世界の再改変が行われます。
 そしてその結果──今のあなたは、そこで消失します」


- * -
 わたしは風呂の脱衣所で、洗面台に写る自分の姿を見つめていた。
 そのままおもむろに着ていたパーカーシャツを始め、着ている物を全て脱ぎ捨てる。

 おい、キョン。聞いたかい。
 実はわたしは時空改変されて生み出された存在で、本物のわたしは男なんだってさ。
 全くビックリしたね。よりにもよって男だぜ?
 この自分では少しだけ可愛いかなと自慰的に考えてた顔も、これだけは誰にも負けて無いだろうと自負していたポニーテールが似合う髪も、トップの大きさではハルヒに僅かに及ばないがアンダー差では勝利している胸も、この冬についた分はちょっと夏に向けて頑張って絞ろうかと思ってた腰も、そしていつの日にか、心に決めた相手にこれを見せなきゃならないのかと時々見たり触ったりしては悶絶するほど恥ずかしむるココも。
 全ては改変による虚像だったって事なんだよ。本当、驚天動地とはこの事だな。

 冬とは全く逆の立場になった。あの時はわたしが世界を消した。
 今度はわたし一人だけが消えることになる。

 今まで改変する側に立っていたから気がつかなかった。
 いや、あの夏休みの時に古泉はちゃんと言っていたはずだ。
 記憶が消えて無ければ精神に支障をきたすと。

 やれやれ────こいつは全くもって残酷な話だな。

 古泉。確かに消えるべき人間は、消えるという事に気付くべきでは無いよ。
 実際元のわたしも、世界を変える力の責務がこれ程のものだったとは考えてはいないだろう。
 今回だけは、今回ばかりは古泉の意見に賛成する。
 ハルヒには全てを隠したまま安定してもらい、こんな力は早いところ消失させるべきなんだ。

 たった一人の気まぐれで人が出たり消えたりする。
 そんな恐るべき事実、ただの人間が背負うにはあまりにも業が重すぎる。

 わたしは震える自分を強く抱き締めながら、声を殺してその場にうずくまった。


- * -
・三日目・朝

 翌朝、妹がそろそろ部屋に起こしに来るだろう時間。
 私は妹の期待に反し、既に部室の前まで登校して来ていた。
 部室の扉を開けると、昨日の内に今日朝一番に来て欲しいと頼んでおいた長門と古泉、二人の姿があった。
「こんな朝早くから僕たちに用件とは……もしやあの件の事でしょうか」
 ああそうだ。お前達二人には話しておこう。
 ちなみに朝比奈さんに告げないのは、朝比奈さん(大)にお願いされたからだ。


「悪いが古泉、お前の告白は聞けそうも無い」
 わたしの言葉に、古泉はその爽やかな笑顔を崩さない。だが、崩さないだけで、かなりのショックを受けたのは感じ取れた。
「それは……本当に残念です。あなたを籠絡させる為だけに連日連夜洗練していた数多くの言葉が今この瞬間全て灰燼と帰してしまいましたよ」
 そんな言葉は枯れ木にでも撒いておけ。
 只でさえバイトが忙しいクセしやがって、連日連夜無駄に体力を減らすなバカ。
「ははは。そう言ってあなたに心配して貰えるだけで、僕の努力は十分に報われました。
 ……それで、現状はいったい」
 わたしは朝比奈さんから聞いた内容を二人に伝えた。現状と、明朝午前五時に再改変が起こる事を。

「なるほど」
 一通りの説明を終えると、古泉と長門はそれぞれ思考を巡らせているようだった。
「それで、僕たちはどうしたらいいんです。どうすればその再改変を阻止できますか」
 いや何で阻止する。話を聞いてなかったのかお前は。

「聞いていましたよ。ですが……僕は再改変には反対です。
 確かに『機関』がこの事実を知り、それが正しい世界の姿だと判断すれば再改変を望む事でしょう。
 でもそんな事はどうでもいいんです。
 今あなたに知ってもらいたいのは、機関としてではなく、僕自身があなたの消失に反対という事です」
 古泉が機関を無視した発言なんて、雪山での約束以来ではなかろうか。

「わたしも反対する」
 古泉に続けて長門も口を開く。
「あなたの言う話はあまりに不確定。何一つ論理的ではない。
 今の話は、朝比奈みくるの証言が正しいと仮定した上で成り立つ仮説に過ぎない。
 よって、あなたという存在の維持継続をわたしは主張する」

 二人にしては珍しく感情を表に出し、反対の意思を伝えてきた。
 どちらもレアすぎるイベントに、これだけで世界が滅亡するんじゃないかと不安になるぐらいだ。
「あまりにばかげています。何故あなたは自ら消失しようとしますか。あなたが消える理由など何処にも無い」
「認めない。そのような行為、わたしがさせない」
 わたしの考えを読み取ったのか、二人がなおも食い下がってくる。だがわたしは静かに首を振った。
 ありがとう、二人のその気持ちだけで十分だよ。

「確かに不確定だしばかげてると思う。だからこそ、朝比奈さんが言う通り世界が改変されているのかその調査を頼みたいんだ。そして本当に改変されていたとしたら ──」
 古泉を見つめ、長門を見つめる。
 わたしはかつて二回、元の世界を選んだ。ならば今度も、元の世界に戻す為に動こう。

 たとえわたしが消失するとしても。
「──わたしは、世界を元に戻す」
 それがエンターキーを押し元の世界を選んだわたしの、あの世界の長門たちに対するけじめだから。


「それに、そんな悲観する事も無いさ。まだわたしが消えると決まったわけでもないんだし」
 朝比奈さんのミスだったって事もある。大人になってもおっちょこちょいみたいだからな、あの人。
「だからさ。二人ともいつも通りに頼むよ、な」

 古泉。できるだけお前は笑っていてくれないか。その方がわたしも落ち着く。
「……わかりました。ですが僕が反対なのは覚えておいてください」
 わかっている。しっかりと心に刻み込んでおくよ。

 長門。お前は、まぁいつも通り空き時間はここで本を読んで待機していてくれ。
 それと調査の方はお前がメインになると思う。ハルヒの力で完璧に改変されているんじゃ、それを感知できるのはお前ぐらいなもんだろうから。
「了解した」
「頼むな」
 その言葉に長門は本当に小さく頷く。その姿にわたしは思わず長門の頭を軽くなでていた。

「おやおや、これは珍しい。できれば僕にも何かご褒美がいただけたら頑張れるんですけどね」
 後ろから早速いつもの口調で言葉がかかる。うるさい、そんな小気味良い口調で何をねだる。
 そんなに言うなら後ろからわたしを抱きしめろ。今この瞬間だけ許してやるからさ。
 わたしは振り向きもせずそう言い捨てた。

 少しして、私の脇下から両手が回され、お腹の辺りでそっと二つの手が重なり合った。
 背中にゆったりとした、それでいて文字通り包み込むような温もりを感じる。
 同時に頭をなでていた長門もわたしの胸へと軽く寄りかかってきた。
 わたしは長門を片手で軽く抱き、もう一つの手で頭をなで続けた。

 朝から一体どういう構図なんだろうね。
 妙に安らかな気持ちを分け与えられながら、わたしはただこの状況に苦笑していた。


- * -
「珍しく早いじゃない。どうしたの」
 教室で顔を合わせるなりハルヒは言い放った。
 まるでわたしが早かったら、どこかで天変地異でも起こりそうな言い方である。実際起こってるんだが。

「何、たいした事無い。今日は早起きした方がいいって朝の星座占いでやっていたのさ」
「へえ。起きなきゃ見られない朝の星座占いを見て、それを実践する為早起きしたわけ?
 随分と器用な事するじゃない」
 そういう勘だけは鋭いなお前。探偵モノなら意義ありと矛盾を突っ込まれてる場面だ。
 軽く溜息を吐きながら、わたしは今の気持ちを少しだけ正直に告げた。

「本当の事を言えば、ちょっと気分が滅入っててな。あまりぐっすりと眠れなかったのさ」
「アンタでも滅入る事なんてあるんだ」
 失礼な。このわたしの繊細でナイーブなハートはお前の行為にいつも傷ついているんだぞ。
 何だったら胸に手を当てて確かめてみるといい。でも揉むのはかんべんな。
「……ふぅん、本当みたいね。なんだったら話ぐらいなら聞いてあげるわよ。これでも団長なんだし」
 それはありがたい。そうだな、明日になっても欝だったら聞いてもらう事にするよ。

 そう。明日、な。


- * -
・三日目・昼休み

 午前中の授業は正直言って何も頭に入らなかったし、そもそも聞いてもいなかった。
 そして迎えた昼休み。カバンから愛用弁当を取り出したところで、意外な訪問者がわたしの元を訪れた。
「こんにちは。少しお時間よろしいですか」
 朝比奈さんとは違ったふわりとした感覚を振りまく生徒会書記の二年生、喜緑さんである。
「どうしました。またハルヒが何かやらかしましたか」
「いいえ、今日はあなたの事で。立ち話もなんですし宜しかったら」
 そう言って自分の手にある可愛らしい巾着を見せてくる。どうやらお弁当のようだ。
 喜緑さんはタンポポの綿毛のように淡く微笑むと、お弁当を持ったわたしを生徒会室まで連れ出した。


 生徒会室の中では意外な人物が待っていた。そこにいたのは生徒会長でも古泉でもなく、
「………」
 三点リーダーで会話する器用な宇宙人、長門だった。

「長門さんは自らの意思で時間連続体との同期を断つよう申請し、受理されています。
 なので長門さんは現在、自分の過去とも同期できません」
 そうか、そういえばそうだったな。
 長門は未来を知る事を放棄した。それは自分が選択し生きていく為。
 だがそれは同時にこの時代の自分へ同期申請してくる過去とも同期を取らないという事になる。
 つまり、今の長門は自分の記憶でしか過去を持たないのだ。

「ごめんなさい」
「何故謝るんだ。わたしからすれば長門の選択は至極当然、正しいと思っている。
 過去は同期し再体験するものではなく、自分の記憶の中で思い出にするものなんだから」
 そうだろと尋ねると、長門は数ミクロン単位で小さく、しかし意志を現して頷いてきた。

「ですから、代わりにわたしが三百六十五日以前のわたしと同期し、あなたの本当の状態を確認しました。
 結論を言いますと、この世界は確かにあなたの言う通りに改変されています」

 これで確定か。
 そうなるとこの世界を元に戻す為に動かなければならないな。

「朝比奈さんの異時間同位体から状況を伺いました。元の状態に戻すには次元の再改変と、それ以外にあなた自身への再改変も必要になります」
 わたし自身にも?
「はい。あなたに対しては記憶操作以外の改変も行われています。ですからあなたに対しては別に改変プログラムを注入する必要があります」
 という事はまた注射だか銃弾だか甘噛みだかを受ける必要があるわけだ。
 その三択ならぜひとも甘噛みでお願いしたいね。

「残念ですが、注入するのはわたし達ではありません」
 では誰が行うんですか。あまり変な人に変な事をされたくは無いんですが。
 わたしの質問に、喜緑さんは長門の方を向く。
 長門は憂鬱げに一度だけ瞬きをすると、わたしが一番驚くと思われる再改変者の名を告げた。


「ジョン=スミス。つまり本物の、あなた」


 再改変後の未来から、男のわたしがやってくるのだそうだ。
 まぁ誰のせいでこんな時空改変が行われたのかを考えるなら、当然の選択だろう。
 自分の不始末ぐらい自分でつける。それがわたしのけじめってものだ。
 そのけじめのせいで、SOS団設立のときはとにかく振り回された気がするけどな。

「本物と会えるってわけか、面白い。ついでに今回の件について色々文句を言ってやるかな」

 思いもがけない展開に、わたしは少しだけその時が楽しみになってきた。
 だってそうだろ。本物の自分に会える機会なんて、そう滅多に無いもんだぜ。
 折角だし、わたしが常日頃思っていることを全部ぶつけてやろうじゃないか。


- * -
・三日目・放課後

 放課後になり、わたしは部室へと足を運ぶ。わたしにとってこれが最後の部活となる。
 部屋にいたのは長門と古泉だけだった。SOS団きっての天使と悪魔の姿が見えない。
「涼宮さんが何かを思いついたようです。先ほど朝比奈さんを連れて廊下を歩く姿を目撃しましたよ」
 一体何を企んでるのやら。折角の最終日なんだから朝比奈さんの淹れてくれる甘露なお茶を心いくまで味わいたかったのだが。

 そう思いカバンを投げてお決まりの定位置に座ると、横からカーディガンを纏った腕がそっとお茶を差し出してきた。
「あなたの期待に添えているかわからない」
 何とまあ長門にお茶を淹れてもらうなんて、部室では初めてではないだろうか。
 一口すすり、ゆっくりと味わう。朝比奈さんのとは違うが、これはこれで格別の味だった。
「ありがとう。美味しいよ」
「そう。よかった」
 仄かに満足げな表情を浮かべ戻ろうとする。とその背にゲームを持って戻ってきた古泉が声をかけた。
「たまには長門さんもどうですか。このダイヤモンドというゲーム、三人で遊んでこそ面白いんですよ」

 一時間ぐらい経過しただろうか。
 長門の驚異的なゲーム展開の隙間を縫いながらわたしが駒を動かしていると、部室の扉が激しい音と共に開いた。
「全員あたしに付いてきなさいっ!」
 扉を開けた正体の第一声である。声の主が誰かなど今更語ることも無いだろう。
 後ろからひょこっと顔を覗かせる特級天使、朝比奈さんを従えてハルヒは満身の笑みを浮かべて告げてきた。

 ハルヒが主語の無い会話をするのはいつもの事で、わたしがそれに突っ込むのもまたいつもの事だ。
「……何処へだ」
「来ればわかるわ! 古泉くんはそれお願い。キョンはコンロとヤカン、有希は冷蔵庫のビニールを持ってね」
 言われて気づく。そういえば部室の隅に何やら丸められた長いものが置かれていた。
 古泉がそれを持ち、長門が冷蔵庫からペットボトル等が詰まったコンビニ袋を取り出す。
 仕方なくわたしもコンロとヤカンを持ってハルヒパーティに加わる事にした。

 ハルヒを先頭にSOS団は校舎の中を歩いていく。
 わたしは銀紙で覆われた何かを持って後ろに付いて歩く朝比奈さんにこっそり聞いてみた。
「これは一体何が始まるんですか」
「えへっ、それは秘密です。でもすぐにわかりますよ」
 そう言いながら朝比奈さんが、男子の殆どと一部の女子(わたしを含む)を至上の快楽へと堕とすぐらい小悪魔的な清純さと浄化された愛くるしさを兼ねた強烈なウインクを見せてくれた。
 何だかもうそれだけで満足してしまいそうである。実際かなり満足しました。


 連れてこられたのは本館屋上だった。校舎をはじめ、かなり広域な街並みを見下ろす事ができる。
 ハルヒの指示で、古泉が持ってきていた大きなビニールシートのゴザを広げて四隅を重石で留める。
 後はそれぞれが持ち歩いていたものを中心に置けばセッティング終了だ。
「って何なんだ、この屋外簡易宴会場は」
「折角の春なんだから花見をするの! 桜はまだ咲いてないけど、何も桜だけが花見の対象じゃないわ」
 校舎の屋上で一体何の花を見るつもりだ、お前は。
 ハルヒは両手を広げ、その全身で風を感じながら街並みを見下ろした。
「何かを一輪ずつ見る必要なんて無いわ。こう見渡して春を感じ取れたら、それはもう花見なのよ!」
 そうでしょ、と言いながら首だけ振り向いて笑いかけてくる。
 風の暖かさは、色々な部分に春を運んでいるようだ。ハルヒの脳内が春色なのはいつもの事だけどな。

「涼宮さぁん、キョンさぁん。準備できましたよー」
 朝比奈さんの爽やかな呼びかけにわたしたちが振り向くと、既に三人の手には飲み物が用意されていた。
 中心には朝比奈さんが運んでいたモノの銀紙が剥がされ、サンドイッチや卵焼きなど、色とりどりな軽食が姿を見せていた。
「遅いと思ったら、アレを作ってたのか」
「そういう事。ほらキョン、あんたも飲み物を持ちなさい」

 どうぞと古泉に紙コップを渡され、朝比奈さんにジュースを注いで貰う。
 ハルヒも飲み物を持つと、コホンとワザとらしいせきをしてから
「それでは、SOS団の色々に向けて! カンパーイッ!」
 声につられてメンバーも思い思いの乾杯を告げた。
 って色々って何だオイ。いやそれより乾杯の音頭早すぎだろ。もっともったいぶれよ。
「いいのよ! 挨拶よりも楽しむ事が大事なんだから。……それともあたしの話をじっくり聞きたい?」
 全身全霊をもって遠慮させてもらおう。お前の事だ、何を言い出すかわかったもんじゃない。
「何よそれ。折角あたしとみくるちゃんで作ったサンドイッチ、あんたにあげないわよ」
 それは困る。どう考えても今日一番のメインディッシュとなるであろうそのサンドイッチは
周りに並べられたスナック菓子なんか眼じゃないぐらい、何より心惹かれる存在なのだから。

「いっぱいありますから、どんどん食べてくださいね」
 朝比奈さんがにっこり笑ってサンドイッチを二つ差し出してくる。
「あ、そっちあたしが作ったヤツ。はぐはぐ……しっかしみくるちゃん、本当料理上手いわね」
 朝比奈さんのその愛らしい手で作り出されたサンドイッチなら、どんな物だって美味しくて当然だ。
 そして料理の腕は確かなハルヒが作ったサンドイッチも、これまた期待以上の味を見せ付けてくる。
 一言で言うなら、うまかった。

 そういう訳で長門、そんな貴重なサンドイッチを普段の生活の二倍再生の如く凄い勢いでパクパク食うな。
 もっとありがたがって味わって食べるんだ。そうしないとわたしの分が無くなるじゃないか。
「別にいいじゃない。有希の食べっぷりってあたし好きよ。
 それにこういうのは弱肉強食なのよ。キョン、サンドイッチが食べたかったら実力で奪い取るのみよっ!」
 その意見には賛同する。わたしの家庭では大皿おかずは取ったもの勝ちが食卓ルールだ。
 こうしてわたしとハルヒが本格的に参戦し、サンドイッチ争奪戦はここに熾烈な争いを見せるのだった。


- * -
 とことん花見で騒ぎ倒し、夕暮れと共にみんなで下校する。
 駅前で別れ際、ハルヒがすっと近づいて聞いてきた。
「どう、楽しかった?」
 おかげさまでな、随分心がハレた。
 心地よい場所で、美味しいものを食べながら、仲間達と騒ぎ会う。
 今日のコレは、ハルヒなりにわたしの憂鬱を考えてくれた結果なんだと判り、わたしは素直に感謝した。
「ありがとう。照れくさいが、本当に嬉しかった」
「……どうやら悩みはまだあるみたいね。明日じっくり聞いてあげるから、覚悟しなさいよ」
 そう言うとハルヒは駅の中へと入っていってしまった。
「それじゃみなさん、また明日」
 朝比奈さんが幸せの花吹雪を振りまきながら深くお辞儀すると、「涼宮さん待ってくださぁい」と慌てて駅の中へと追いかけていってしまった。


「朝比奈さんに話さなくて良かったのですか」
 古泉が聞いてきた。
 ああ。あの人は今回の事については知らない方がいい。
 どうせ記憶も一緒に改変されてしまうのなら、朝比奈さんにぐらいは笑っていてもらいたい。
 悲しんでくれるのはお前達だけで十分さ。そうだろ? 古泉、長門。
 わたしの言葉に古泉は長門に視線を送り、長門は目線でのみ頷いた。何だその合図は。

「さあもう帰った帰った。わたしはこれから色々と準備で忙しいんだから」
 そう言って二人を反転させてそれぞれの帰り道へと身体を向けさせた。
「……機関は既に今回の件を知っています。僕はここで別れたら、もうあなたに会う事はできないでしょう。
 失礼ですが、もう一度だけ考えを」
「言うな」
 トーンを落とした言葉と共にこちらを振り向こうとした古泉を、わたしは静かに止めた。

「もう決めた事だ。何も言うな。でないと朝抱きしめさせた分を返してもらうぞ」
「どのようにです」
 このように、だ。
 言葉と共にわたしは古泉の背中を思いっきり抱きしめてやった。今日は抱きついてばっかりだな、わたし。
 これで明日があった時には、お前の隠れファンに呼び出されるのは確実だろう。

 そのまま一分ほど抱きしめた後、わたしは身体を離すと古泉の背中に語りかけた。
「頼む、古泉。こっちを振り向かずに、このまま行ってくれ」
「……わかりました。それでは、また明日」
 古泉はそのままゆっくりと歩き出し、姿を小さくしていった。暫くして、古泉の前に黒塗りの車が停止する。
 扉を開けて乗り込むと、車はゆっくりとこちらに背を向けて走り去っていった。


- * -
「長門。お前はこれからどうするんだ」
 古泉と違い、長門には重要な役割がある。今回、再改変を行うのが長門の仕事だ。
 最初は喜緑さんが行う手はずだったのだが、昼休みの話し合いで長門が自分からすると言い出したのだ。
「予定時刻まで待機」
 そうか……それじゃ、よろしく頼む。
 わたしの言葉に、しかし長門は何も返してこなかった。

「……先ほどから、数多のエラーが発生している」
 長門が淡々と告げてくる。
「わたしの中に、今件における否定が次々とあがってくる」
 更に淡々と長門が告げてくる。だがそれは表面上だけだ。
 長門の内部では今、数多くの二律背反な計算が流れているに違いない。

 わたしは長門を引っ張りよせると、朝のように強く抱きしめつつ頭を撫でてやった。
 ありがとう。わたしの為にそこまで悩んでくれて。
 その気持ちは凄く嬉しいし、また長門にそんな気持ちが生まれたという事は喜ばしい事だ。
 わたしとの記憶を消した後も、その気持ちは忘れないでいてほしい。
「それが、わたしのお前への望み。そのエラーを、お前に生まれた感情を大切にしてくれ」
「大切にする。……できればもう一度、あなたと図書館に行きたかった」
 小さく頷き、長門もまたわたしの事を抱きしめ返してきた。


 そのままわたし達はただただだじっと抱き合っていた。
 ……わたしが、ここが駅前だと思い出すその時まで。


- * -
・三日目・午後七時

 家に帰って妹相手に遊んでやりながら夕食を待っていると、充電していた携帯電話から着信音が流れ出した。
「あー、電話〜。いったいだれから〜?」
 足元に転がるシャミセンを妹に渡して携帯電話をとる。
 ディスプレイに表示された発信元を見て驚き、わたしは慌てて通話ボタンをオンにした。

「どうしました、朝比奈さん。なにかまた困ったことが起こりましたか」
 朝比奈さんから電話がかかってくるなんて、本当に珍しい事だ。
 そしてその珍しい電話がかかってきた場合、朝比奈さんが何らかのトラブルに巻き込まれたという内容が殆どである。
 ……もしかして、わたし朝比奈さんに愛されてない?
 そんな泣きたくなるような結論を大気圏外まで放り出し、わたしは朝比奈さんの話を聞くことにした。が、

『…………喫茶店に、来てくださぃ……』

 朝比奈さんに一番似合わないと思われる沈痛な声色を伴い一言だけ告げられ、すぐに電話が切られてしまう。
 世界遺産の一大事を感じ取ったわたしは、いったい何の電話だったのかと付きまとう妹をシャミセンごと部屋から放り出し、慌てて支度を整えるとツール・ド・フランスで入賞は狙える速度で自転車を走らせ、SOS団御用達の喫茶店へと向かった。


 喫茶店に入り団員が好んで座るボックス席を見ると、わたしにとって見間違うはずの無い我が心の桃源郷がうつむきながら、まるで核戦争後の世紀末で、これからの未来に絶望を抱いて生活する市民のような表情を浮かべていた。
 もちろん朝比奈さんである。エンドレスの時のように取るものを取って出てきたような格好だ。

 入口のベルに反応したのか、ゆっくりと顔をあげてこちらを見る。
 わたしが手を振り挨拶しようとした途端、朝比奈さんは勢いよく立ち上がり、座席に足を激しくぶつけた為に机上のティーカップを舞踏させ、しかしその全てを完全に無視してこちらへ駆け寄ってくる。
 そして迷子になった子供がようやく両親に出会えたかの如く、わたしの胸へと一直線に飛び込んできて力いっぱい抱きついてきた。

 あまりのイベントに店内中の視線がわたしたちに集まる。そろそろ喫茶店のブラックリストにわたしたちの名前が記されていてもおかしくない。
「な、ちょ、朝比奈さん? どうし……」
 そこまで言いかけ、わたしは口を閉ざした。どうしたもこうしたも無い、わたしには思いっきり心当たりが一つある。
 それを証明するかのように、朝比奈さんが押し付けていた顔をわたしに向けて急上昇させると

「酷いですよぅっ!! 何で……何でわたしにも教えてくれなかったんですかぁっ!」
 朝比奈さんと知り合ってから今までで、おそらく自分のした行為に一番後悔したであろうこの台詞を聞きながら、わたしは何も言えずその場に立ち尽くすだけだった。


- * -
 わんわんと泣いている朝比奈さんをどうにか席まで連れて行き、周りと店員に一応頭を下げて、ついでに注文を伝える。
 その間、ボックス席に並んで座った朝比奈さんはずっとわたしにしがみ付いたままだ。
 とりあえず朝比奈さんが落ち着くまでわたしは何も語らずに、ただじっと朝比奈さんの行動を受け入れていた。
 しかしこの雰囲気は何だか別れ話を持ちかけているカップルの様な状態だな。
 ……まぁ、実際その例えは間違ってないんだが。


 ひとしきり泣き終え、ようやくコミュニケーションが取れる程度には落ち着いてきたのか、朝比奈さんは涙混じりの声で、それでも一つ一つ語ってくれた。

「ひくっ、長門さんが……教えて、くれたんです。古泉くんと、えぐっ、話し合って決めた、とかで。
 口止めされてて、でも、あなたは仲間だから、って……わたし、初めて言われ……」
 なるほど、駅での目配せはこの事か。
 実のところ、長門と古泉の二人が再改変を阻止するため、本物のキョンに対して戦いでも始めやしないかと危惧していた。
 でもあの二人はそんな些細な事じゃなく、もっと重要な事を話し合っていたのだった。

「キョンさんの気持ちは……えぐっ、わかりますぅ。わたしだって、いつかはいなくなる……。
 帰らなくちゃ、いけないから……別れるのはつらいから……ふえうっ……。
 でも……でもっ! 何で、何でわたしだけ、教えてくれなかったんですかぁっ!
 長門さんや古泉くんにはちゃんと教えてるのに……何でわたしだけのけ者にするんですかあっ!」

 朝比奈さんはわたしが一生見たくなかった、真珠より尊い悲しみの水滴をぼろぼろと落としながら訴えてくる。
 湧き上がってくる感情にまかせてか、朝比奈さんは今の思いを、今までの想いをただ純粋にわたしへとぶつけてきた。

「キョンさんにとってっ、わたしはその程度の存在だったんですかあっ!
 わたしだけがっ! キョンさんと友達なんだって、思い込んでいただけなんですかあっ!
 ……そんなのって、ないです……えぐっ……イヤです……凄く、悲しいですよぅ……イヤだよぅ…」
 わたしの胸元を、その小さく色白い両手が真っ赤になるぐらい強く握り締めてくる。
 その両手に頭をぶつけ、わたしにその顔を見せないようにうつむくと、朝比奈さんは再び嗚咽しだした。

 朝比奈さんの独白を聞き、その熱い思いを突きつけられ、わたしは黙っていた事が間違っていたと思い知った。
 朝比奈さん(大)に秘密にして欲しいと言われたからもあった。だが、それ以上にわたしは自分の考えを朝比奈さんに対して勝手に押し付けてしまっていた。
 そりゃ朝比奈さんでなくても怒る。水臭いとかそんな可愛い話じゃない。愛されてないのも当然だ。
 わたしだったら蹴りの一つも飛ばして怒号している事だろう。
 わたしの事をバカにするな、と。

「朝比奈さん、すいませんでした」
 わたしはしがみ付いて泣く朝比奈さんの肩を抱き、小さく、でも精一杯の心を込めて謝罪した。
「……実は困ったことが起こりました。いえ、今現在起こっている真っ最中なんです。
 それは朝比奈さんにとって、ただ悲しい事実がわかるだけかもしれません。
 それでも……わたしと一緒に、困ってくださいますか?」
 胸元を掴んだまま朝比奈さんはじっとしている。小さな嗚咽も続いている。
 やがてゆっくりと、だがしっかりした頷きを見せて、わたしに対する意思を見せてきてくれた。

「もちろんです、キョンさん」


- * -
 真っ赤になった瞳に真剣の色を終始浮かべ、朝比奈さんはわたしの話を最後までじっと聞いていた。
 朝比奈さんが長門たちから聞いていた事実はわたしについてだけのようで、それがどうしてわかったかとかは知らないようだった。
 なので未来からの連絡で改変が行われた事がわかったことと、そして十時間後に行われる再改変の事を、わたしは全て朝比奈さんに伝えた。
 唯一伏せたのは、その情報を持ってきたのが朝比奈さん自身だという事だけだ。

「そんな、未来からだなんて……わたしそんな話全く聞いてません! 何かの間違いじゃないんですかっ!?」
 そうだったら嬉しいんですが、事実です。
 わたしの知る限り朝比奈さんと同じぐらい信頼できる人からの情報ですので。
「でも、でも…っ! わ、わたし聞いてみますっ! ちょっと待っててくださいっ!」
 いてもたってもいられなくなり、朝比奈さんはそう言うとレストルームへと走っていってしまった。


「……ばらしちゃいましたけど、これで良かったんですか?」
 ボックスに残されたわたしは誰にとも無く呟いた。が、その呟きに対し
「ええ。ここでわたしがあなたと未来から事実を知る事が、わたしにとっての規定事項ですから」
 とわたしの後ろの席から背中合わせに返してくる女性の声があった。

 朝比奈さんを伴って席に着こうとした時に、一瞬だけ眼を合わせてきたその人。朝比奈さん(大)である。
「あなたが来たって事は、わたしに何か用件があるんですよね」
「はい。これをあなたに渡す為に、もう一度戻ってきました」
 そういって朝比奈さんは立ち上がると、わたしの手に何かを渡してきた。
 小さなカプセル剤に見えますが、いったいこれは何なのでしょうか。

「それは睡眠薬です。抗体の無いこの時代の人なら飲ませれば即効果が現われるはずです」
 睡眠薬と聞くと犯罪っぽい感じがするのは偏見だろうか。
 あと十時間以内にこんなのを使う状況がわたしに訪れると言うんですか。
「はい。詳しくは言えませんが、どこでこれを使うべきか、その時になったらわかります。それと一応」
 わたしが何を見ているのか気づいたのか、朝比奈さんは少しだけ大人の微笑みを浮かべて続けてきた。
「それ、わたしには効きませんよ」
 ほんの少しだけ残念な素振りをみせ、わたしは朝比奈さんのグラスから視線を外した。


 朝比奈さん(大)がレストルームに視線を送る。
「じゃあ、本当にこれで。……あの無力なわたしを、どうかよろしくお願いします」
 そして自分の唇に指を添えると、その指でいつくしむ様にそっとわたしの唇を指でなぞってきた。
 何が起こったのかわからず、わたしが目を丸くしていると
「間接で、簡単ですけど。これがわたしの答えです」
 朝比奈さん(小)と同じような珠玉の涙を流しながら、それでも朝比奈さんは至上の微笑を浮かべて、わたしに優しく伝えてきた。


- * -
「……わたしって、本当に役立たずですね」
 朝比奈さん(大)が店を後にしてから少し後。
 長い間レストルームへ行っていた朝比奈さんは、席に戻ってくるなり小さく自虐的な事を呟いた。
「何の力も権限もなくって、ただここにいるだけしか、わたしにはできない」

 どうやら朝比奈さんは未来との通信で確認を取るだけでなく、何とかして改変を止められないか申請してくれたらしい。
 だがその必死の申請は受け入れられなかった。
 朝比奈さんにはつらい事実だがそれも当然の話だろう。
 もし未来にとってその願いが受理される事項なら、そもそもこんな騒動自体起こっていないはずだ。

「長門さんの様な能力や、古泉くんの様な知恵もない。肩書きだけでなぁんにもできない、ダメな未来人です。
 いっつもキョンさんたちに頼ってばっかり。
 この前も、キョンさんや古泉くんの機関さんたちに助けられちゃいましたよね。

 キョンさんが大変なこんな時にこそ、わたしは役に立ちたいのに……。
 最近特に思うんです……わたしは何でこの時代にいるんだろう。何でわたしなんかがSOS団にいるんだろう、って……」

 言葉がどんどん小さくなる。言葉だけでない、その愛くるしい姿も今は悲しいぐらい小さく見える。
 わたしは一度氷水で喉を潤すと、
「朝比奈さんにだって、力はあります」
 俯いて閉じこもりかけた朝比奈さんに、できる限りの想いを込めて声をかけた。


- * -
「少なくとも、わたしは朝比奈さんが心を込めて淹れてくれていたお茶に毎日癒されてました。
 わたしは毎回、ちゃんと欠かさずに朝比奈さんへお礼を言っていたつもりです。
 ハルヒだって何だかんだでありがと、とか美味しいわね、とかよく言うじゃないですか。
 古泉はいつも型どおりの挨拶で、長門は口にすら出しません。
 でもおもむろに自分で淹れたり、差し出されたお茶を残したりしたヤツはいなかったでしょう?
 何だかんだで、みんな朝比奈さんがくれる平和な一時を期待してるんですよ」

「それと朝比奈さんは一つだけ大きな勘違いをしてます。
 SOS団は別に、ハルヒの起こすランチキ騒動や宇宙人のトンデモバトルや超能力者の組織対立を解決する平和団体じゃありません。
 忘れちゃったんですか? 最初にハルヒが言ったじゃないですか。
 SOS団は、宇宙人や未来人や超能力者と『一緒に遊ぶ』のが目的だって。
 だから難しい事を考えないで、素直に遊んでていいんです。
 みんなが退屈で憂鬱な気分にならないように、それこそがハルヒの望みなんですから。
 わたしに言わせれば、朝比奈さんこそがハルヒのSOS団への想いに一番応えてると思いましたよ」

「それに何より、朝比奈さんはわたしたちの大切な仲間です。
 だからこそ、朝比奈さんは長門と古泉から、今回のわたしの事を教えてもらえたはずです。
 正直言ってわたしがびっくりしましたよ。いつの間に三人がそこまで親しくなったのかって。
 古泉も長門も、朝比奈さんの属する未来の事はともかく、朝比奈さん自身の事は認めています。
 朝比奈さんもじゃないですか? 思念体や機関はともかく、あの二人は信じていいと思ってませんか?
 だったらどんどん頼っちゃっていいんです。
 これだけは断言します。どんなに面白設定があったって、人の信頼を迷惑だと思うヤツなんて、ハルヒは絶対に団員に選びませんよ」

「それと、えっとあれだ。役立たずというならわたしこそ……」
 とにかくこういう時は一気に告げてしまうべきだ。そう考え更に言葉を続けようとした時。
 朝比奈さんはわたしの言葉を、その可愛らしい人差し指わたしの口に当てる事で止めてきた。
 嬉しさを幾分混ぜ合わせた、ほんのりと照れた表情で、朝比奈さんはわたしが痺れるぐらい優しい声を、たった一言だけ紡ぎだした。

「……ありがとう、キョンさん」
 それで充分だった。


- * -
 それから二時間ほど朝比奈さんと喋りまくった。
 SOS団の活動から始まって、映画のあたりまで古泉と牽制しあっていた事、二度の合宿や夏休みの事。
 鶴屋さんと出会った事、クリパとバレンタインとみちるになった事、色々着替えた事などなど。

 喫茶店を出ると、寒い中にも春を感じる心地よい風が吹いていた。
 朝比奈さんを駅前まで送ろうと、店脇に止めてた自転車を取りに行く。
「お待たせし──」
 自転車を押して戻ると、朝比奈さんはネオンサインを途切れさせるビルの影をバックに、ハンカチで瞳をぬぐっていた。
 こちらに気づくと慌ててハンカチをしまい、暗がりで気づきにくいが赤く腫らした頬で微笑んでくる。

「……強い風で、目にゴミがはいって……でも、もう大丈夫です」

 そんなちょっとだけ虚勢を張る朝比奈さんを見ていたら、思わず口に出してしまっていた。
「本当に大丈夫ですか? ……ちょっと、目を見せてください」
「え」
 自転車を置き片手で軽く抱き寄せ、もう片方の手を頬に添える。親指を動かして下まぶたを軽く引っ張り、涙のせいで光が乱反射する、充血に染まったブラウンの瞳をじっと見つめた。
「ぇ……ぁ……ふぁ……キョ、キョン、さん……」
「……動かないで、朝比奈さん。そのまま少しの間、眼を閉じてください」
「え、あ…………はぃ」
 そう言って律儀に瞳を閉じたところで、わたしは朝比奈さんとの距離をゼロまで近づけた。
 人生二度目、そして二人目の唇が感触を、文字通り触れて感じ取る。
 ただ触れるだけの、長く思えたその行為は、どちらからとも無く顔を離す事で終わらせた。

 わたしに残された時間と場の雰囲気が後押ししたとはいえ、いくらなんでもいきなりだったとわたしも思う。
「不意打ちなんてずるいです……初めてだったんですよ、わたし」
 朝比奈さんは怒っていた。但しわたしの感じる限り、表面的に。

 えっと、ごめんなさい。わたしとじゃ、イヤでしたでしょうか。
 それでもおそるおそる尋ねると、朝比奈さんは唇を押さえてうつむき、
「……えっと…………その答え、今は保留でいいですか? 全部含めて保留って事で」
 どこかで聞いたような答えを返してきた。

 なるほど、保留ですか。
 あまりな懐かしい返し方に、わたしと朝比奈さんはどちらからとも無く笑い出した。

 そのまま駅まで朝比奈さんを見送る。朝比奈さんはぺこりとお辞儀をすると、いつもの天使の様な微笑を振りまき告げてきた。
「それではキョンさん、また明日」
 ええ。また、明日。
 古泉、長門の時と同じく、わたしは朝比奈さんにもそう告げて別れた。


- * -
・三日目・午後十一時五十九分

 夕飯ぶっちぎりで家に帰り、親に注意され食卓につく。
 何故かメインディッシュのハンバーグが何者かによって半分食われてた事に関しては、妹が入浴している風呂場に裸で突撃し、シャンプーハットを装備した頭を洗ってやりながらじっくりと詰問する事にした。
「だって、今日のハンバーグおいしかったんだもん」
 舌を可愛く出しながらウインク姿を見せ、妹はあっさりと白状する。
 わたしは罰として、五十数えきるまで湯船の中から出る事を禁じてやった。


 窓を少し開けて風を部屋に通す。
 こんな時に眠っていられるはずも無く、部屋でラジオを聞き流しながら、わたしは朝比奈さん(大)から受け取ったモノを見つめていた。
 即効性睡眠薬──いったいこんな物、何に使うんだろうか?
 ベッドで横たわりながら考える。妹の部屋から抜け出てきたのか、シャミセンはわたしの傍らで眠っていた。

 ラジオから十二時を告げるCMが流れ出す。
「あと五時間か……」
 そう考えても実感が湧くはずも無く、わたしは明日が今日に変わる瞬間をぼうっとした脳で聞いていた。


 ピッ、ピッ、ピッ、ポーン。


 そのポーンと同時に枕元に置いていた携帯が鳴りだした。
「な、何だ!?」
 何事かと驚き、次に再改変について長門あたりからの電話かもと考えた。
 だが充電器から携帯電話を外し、ディスプレイに表示される発信者の名前を見て、わたしは再び驚いた。

 こんな時間にどういう事だ? 何故コイツから?
 そんな風に思いながら電話を取ると、電話の相手は相変わらず主語を抜いて話をしてきた。

『玄関を開けて』

 何だ? 玄関だと? それってどこのだ?
 …………まさか。

 わたしは部屋をそっと出て、家族を起こさないよう静かに階段を降りて玄関を開ける。
 するとそこにはスポーツバッグを片手に持ち、両腕を胸元で組んで、不敵と素敵を器用に混ぜた笑みを浮かべつつ──、


「さ、明日になったわ。アンタの悩みを聞かせてもらうわよ」


 そう宣言する、涼宮ハルヒの姿があった。


- * -
・四日目・午前零時

「ふう、相変わらず女の子っぽくないって言うか、飾り気が少ない部屋よね。
 もっとこう、枕元で意味深に伏せられた写真立てだとか、夢見る甘いポエムを綴った秘密のダイアリーだとか、そういったお客が気になる目を引くアイテムを置いておく事も時には重要よ?」
 わたしの部屋に入るなり、ハルヒが部屋を漁りだしつつ訳のわからない事を言い出す。
 いったいどんな時が訪れたら、そんなやらせアイテムが重要になるのか教えてくれ。

 本棚を物色していた手を止め簡易机を引っ張り出し、勉強机の椅子からクッションを奪い取るとベッドに寄りかかるようにして床に座る。
 それにあわせてシャミセンがゆっくりと起き上がると、ベッドから飛び降り、わたしの横を抜けて部屋から出て行ってしまった。
「でもまあ、そんな事はどうでもいいわ」
 シャミセンを見送りわたしが扉を閉めると、ハルヒは今までの探索行為をあっさりと切り捨てた。
 どうでもいいのなら最初から探索するな。

「さて、約束どおり悩みを話してもらうわよ。
 折角こうして女同士のサシなんだから、いっそ腹を割くぐらいの勢いで全部すっきり白状しなさい!」
 腹を割いてばらすのか。そんな事をしたら普通の人は死ぬぞ。
 今のところそんな事になっても生きてそうな知り合いは……えと、一人しかいない。

「……まぁ、いきなり話すとは思ってないわ。でもその態度、どこまで持つかしらね」
 わたしが黙秘の態度を取る事ぐらいわかっていたのか、ハルヒは悪の女幹部の様な笑いを漏らしながら手元にバックを手繰り寄せると中から微妙に可愛くないアヒルのイラストが散りばめられた黄色いパジャマと、色とりどりのカクテル缶を数本取り出した。
 いったい何を始めるつもりなんだ。
「何って、秘密をわらせる方法ベストスリーと言えば、やっぱパジャマパーティーに酔った勢いでしょ!」
 残った一つが何なのか凄い気になる。

「ハルヒ。お前、孤島の一件で禁酒を誓ったんじゃなかったのか。
 あと声が大きい。頼むから今が夜中で、隣の部屋で妹が寝ている事を理解してから行動してくれ」
「あ、ごめん。妹ちゃん起こしちゃまずいよね」
 とりあえずこんな時間にわたしの家族に無断でお前がここに入り込んでいて、さらに目の前に酒がおいてある時点で妹どころか誰一人として起きてきてもらうのはまずい。
 それは納得したようで、ハルヒはテンションを少しだけ下げるとおもむろにトレーナーを脱ぎ始めた。

「ほら、キョンもパジャマに着替えなさいよ」
 生憎とわたしの寝間着はTシャツと短パンである。つまり今している格好こそ、わたしの正式な寝間着姿だ。
「何言ってるのよ。パジャマパーティーにTシャツなんて邪道よ。ほら、これ貸してあげるから」
 わたしの分まで持ってきてたのかよ。やけに準備がいいな。
 仕方なくTシャツを椅子に脱ぎ捨て、オニギリとネコを掛け合わせた前衛的な生物が描かれたパジャマに着替える事にした。


- * -
 絶対に話してはならない秘密というものは存在する。
 例え酒を飲んで思考力が落ちようが、パジャマパーティーという状況に気分が高揚してようが、その秘密の価値は変わらない。
 よって、どんなにハルヒが聞いてこようとも、再改変の事だけは秘密にしなければならなかった。


「こんなに一所懸命頑張ってるって言うのに、何で未だに宇宙人も未来人も超能力者も現われてくれない訳!?
 絶対、世の中間違ってるわよ! キョンもそう思うでしょう!?」
 ……幸か不幸か、今のハルヒにとっては既にどうでもいい事なのかもしれないが。
 小さな声で叫ぶという器用な事をやってのけつつ、ハルヒは八本目になる缶のプルタブに手をかけていた。
 かなり理性が落ちているようだが、それでも騒いだらいけないという部分だけは律儀に守っているのはえらい。
 高校生の特技として口外できない内容なのが悔やまれる。

「だから朝比奈さんや長門や古泉で我慢しろって、前から言ってるじゃないか」
 わたしも負けじと八本目となるマルガリータのフタを開けて一口飲む。
 宇宙人の長門に未来人の朝比奈さんに超能力者の古泉までいるというのに、お前はいったい何が不満だというんだ。
「そりゃね、みくるちゃんたちもかなり面白いわよ。それは認めるわ。でもやっぱ宇宙人よ、宇宙人っ!」
 生憎SOS団には宇宙人も未来人も超能力者も間に合ってるんだ。どうせなら異世界人とかにしろ。
「異世界人かぁ。でもさ、そもそも異世界ってどんなよ。剣と魔法が飛び交うファンタジー?」
 いや、それは連れてこられた異世界人が困るだろ。この世界を見たら水や空気が汚れてるって怒るぜきっと。
 もっと近いところにしておけ。はにかんで微笑む長門がいる世界とか、それぐらいの。
「うーん、異世界の定義に関しては一考の価値ありね。来年の新入生勧誘と共に次回の議題にしましょう」
 そうだな。っと、ちょっとすまない。お花畑にラフレシアを摘みに行かせてくれ。

 行ってらっしゃいとハルヒに見送られ、わたしは上機嫌で部屋を後にした。



 絶対に話してはならない秘密というものは存在する。
 例え酒を飲んで思考力が落ちようが、パジャマパーティーという状況に気分が高揚してようが、その秘密の価値は変わらない。
 よって、どんなにハルヒが聞いてこようとも、再改変の事だけは秘密にしなければならなかった。

 ……と確か誓ったはずが、気づいたら洗面所の前に立っていた。
 ヤバイ、かなり酔っていたようだ。正直部屋で何を話していたかあまり覚えていない。
 背筋に冷や汗をかきつつ、洗面所で顔を洗い頭をすっきりさせ、さらに台所で氷を目に当て、ついでに口にも入れて氷をかじる。
 時計を見れば午前一時。再改変まであと四時間弱。
 今のところ未来人から突っ込みがないので問題ないのだろうが、こんな事していて本当にいいのだろうか。
 とりあえずこれ以上飲むのは控えよう。
 冷蔵庫から缶ジュースを数本取り出し、わたしは少し痛む頭を押さえつつハルヒの待つ部屋へと戻った。


- * -
 部屋に戻ると、ハルヒはベッドの上に仰向けに寝転がっていた。
 微動だにしない中、胸元だけが小さな呼吸音にあわせて動いている。

「何だ……寝ちまったのか」
 ハルヒにしては意外にあっけない結末である。
 再改変劇という真実までは行かなくても、近い回答をわたしから引きずり出すぐらいはしてくるのではと思い、ずっと警戒しながらハルヒと会話していた。最後の酔いが完全に回ってぐたぐたになっていた部分はともかくとして、だ。
 でもまぁ、これはこれで良かったと思う。最後にハルヒと二人で騒げた訳だしな。
 すぅ、すぅと静かな寝息を立てるハルヒの顔を覗きこみながら、わたしはそんな事を考えていた。

 不意打ちだった。
 ハルヒが突然目を開きわたしの後ろ首に手を回す。そのままわたしの身体ごと顔をぐいと引き寄せると、
「んむ…………っ!?」
 再び目を閉じながらわたしの唇を強く、そして長く奪い取ってきた。

 心地よい感触とハルヒ独特の匂いに酒臭さがブレンドされた状態で約一分。
 そろそろ酒の匂いと呼吸困難で色々と表現したくない状況が発生しそうになりそうだと思っていたら、首筋にかかる力がふと抜けた。
「…………っ、はぁっ!」
 距離を置いてお互い息を吸う。二、三度外気を吸い呼吸が落ち着いてきたところで、わたしはハルヒに視線を移した。


- * -
「い、いったい何のつもりだ」
 それでも動揺を隠しきれず、わたしは唇を押さえながらハルヒに問いかけた。
「……目を覚まさせてやろうと思ったのよ」
 強い怒りに小さな悲しみを加え、初めて出会った頃の不機嫌さを浮かべながらハルヒは返してきた。
「そりゃ、誰にだって人に言えない悩みはあるわ。あたしにだって多少はあるもの。
 だからキョンがあたしに何を悩んでいるのか話してくれないのは、凄く寂しいけれど、それでも構わないって思ってた。……でも」

 再びハルヒがわたしにしがみ付き、両手に力を入れて引き寄せてくる。
 抵抗する間もなくハルヒをベッドとの間に挟みこみ、わたしたちはお互いの肩に顔をのせた抱き合う状態となっていた。
「だったら……話さないって決めたんだったら、そんな痛々しい表情をあたしに見せないでよっ!
 そんな姿だけ見せられて何もできなくて、それであたしはどうしたらいいのよ! どうすればいいのっ!?
 ……お願い、キョン。あたしに何もできないのなら、せめてあたしの前ではいつものキョンでいて。
 いつもみたいに、何があってもあんたがいれば大丈夫なんだって、そう思わせて……」

 枕元にあるスタンドミラーで自分の顔を覗き込む。いつもと変わらない見慣れた姿が覗き込み返してきていた。
 さっき洗面所でも見たつもりだったんだが、わたしはいつの間に痛々しい表情を浮かべていたんだろう。

「昨日よ。朝もそうだったけど、昼休みにあんたが教室に戻ってきた時はそれ以上だったわ。
 その上部室に行ってみたら、有希も古泉くんも何だか様子がおかしいし」
 あの二人の変化に気づいたのか。流石だな。
「昼間にアレだけ騒いでも、今もこうして頑張ってみても、あんたから痛々しい表情がちっとも消えない。
 もう訳わかんないっ! ……だから、キスしてやったのよ」


 ……すまん、ハルヒ。お前に心配を掛けまくっていたようだな。それに関しては謝る。
 古泉や長門の消沈状態もわたしのせいだ。その辺全部ひっくるめて俺は心から謝罪しよう。
 本当に、悪かった。



 ……だから一つだけ聞かせてくれ。
 何でそこで、「キス」という選択肢がでてくるんだ?
 別にお前に白雪姫だ Sleeping Beayty だとけしかけたヤツはいないよな?

 相変わらず抱きついたまま、お互い視線どころか顔すら見えない状態で話が続く。
 だからハルヒがその時どんな表情をしていたのか、わたしにはわからなかった。
 いつもより半音ほど上がった声で、ハルヒは突然の事を言い出した。

「何で……って、あんたが先にやったんじゃない。あの変な空間であたしにキスした事、忘れたとは言わせないわよ」


- * -
「わたしは、元の世界に戻りたい。そしてまた、あいつらに会いたいんだ」
「わかんない。あんた、現状に退屈してたんじゃなかったの?
 全然楽しくないはずのSOS団でも、最近のあんたは特に楽しそうな表情してたし」
 ああ、楽しかったさ。お前は知らないかもしれないが、世界は確実に楽しい方向へ向かっていたんだ。
 しかもお前を中心にして、な。

「ハルヒ。実はわたし、ポニーテール萌えなんだ。
 いつぞやのハルヒのポニーテール姿、あれは反則なぐらい可愛かったよ。
 わたしがこうしてポニーテールにしだしたのも、そんなハルヒみたいになれるかと思ったからなんだ……」



 薄暗い灰色に沈む学校。外に出られない閉鎖された世界。
 青白く光る巨人が暴れ、そこに人間は何故かわたしたち二人しかいない。
 校庭までハルヒを連れて逃げ、わたしが微妙な告白をし、ハルヒに口づけしたあの日の出来事。

 とっさに言葉が出なかった。普通ならどう考えたって夢だと思うだろ。
 お前は思ったより常識人だって、ハルヒ専門のカウンセラー古泉だって言っていたぞ。

「確かに夢だと思っていたわ。いえ、実際アレは夢だったのかもしれない。
 キョンとあたし以外誰もいなくて、ただ巨人が暴れてる世界なんて、どう考えたって非現実だもの。
 ……でもね、キョン」
 ハルヒがわたしの身体ごとごろりと転がり、ずっと首にかけていたホールドを解くと少し離れる。
 ベッドの上で横になりながらお互いを見つめる状態に持っていったところで、ハルヒは言葉を続けた。

「どんなに不思議で、ありえない話であっても、少なくともあんたはあたしと同じ体験をしたハズなのよ。
 だったらあたしにキスした事も含めて、あの時のキョンの行動はキョン自身が考えてした事になるわ」
 妙に揺るがない自信を携え、瞳を銀河系なみに輝かせてわたしを攻めてくる。
 いったいそこまで自信が持てるその根拠は何なんだろうね、いったい。

 わたしがあくまでとぼけながら質問すると、
「あの次の日、あんたが何気なく言った一言。それが根拠よ」
 勝ち誇った満面の笑みは一つも崩れることなく、ハルヒはわたしの鼻先に指を突きつけて返してきた。


- * -

 ──ハルヒ、似合ってるぞ。


 頭の上で髪をちょこんと縛っていたハルヒに、わたしは確かにそう言った。
 何気なく言った、ハルヒが確信しそうな一言といえば、まずこれしかないだろう。
 というか、これ以外は夢見が悪いだなんだといった世間話だったはずだ。だが、
「ちょっと待て。いくらなんでも髪型を褒めたぐらいで共通の夢を見たって言うのは、飛躍しすぎじゃないか?
 その理論だと、全世界の理髪師は人の夢を見る事ができる超人になってしまうぞ」
 わたしの突っ込みに、しかしハルヒは勝利を確信した帝国軍人のようなしたり顔を見せてきた。
 今のどこにそんな要素があったのだろうか。


「何言ってるの。確信した言葉は『似合ってる』じゃないわ。その前よ」
 前? 前……って、わたし何言ったっけ?

「あんたがあたしの事を『ハルヒ』って呼んだからよ。それであたしは確信したのよ」
 やっぱり気づいてなかったのねと言いたげな視線をわたしに投げかけ、ハルヒはどういう事か教えてくれた。

「あの夢の中で、アンタは初めてあたしの事を『ハルヒ』って呼んだわ。それまではずっと『涼宮』だったのにね。
 最初は場の勢いかなって思ってたけど、でもその後逃げるときも、校庭でアレした時も、ずっとハルヒって呼んでくれた。
 正直言って嬉しかったわ。何となくキョンがあたしに近づいてくれた気がしてね。
 だからあの時校庭で、あたしはあんたを信じて、そのまま……。

 でも同時に夢なのかって思いもした。あたしの深層心理か何かが見せてる、あたしが望んだ夢なのかなって。
 自慰で染めた、最高にして最悪の夢。こんな都合がいい事が起こるはずなんて無いって思った。
 だって、あんたはあたしがいなくても楽しそうだったじゃない。部室でみくるちゃんとじゃれあっててさ。
 あの時は、何だかもう全てがどうでも良くなった気がしたわ。

 でも、次の日にあんたがあたしの事を『ハルヒ』って呼んだから。
 それ以来あたしの事を『涼宮』って呼ばなくなったから、あたしは確信したの。
 あれが夢だったかどうかはわからない。
 でも、あの時のキョンはあたしの望んだ幻影なんかじゃなくて、本物のキョンだったんだって」

 そこまで語りきり、ハルヒはそのままわたしをじっと見つめ続けた。
 暖かいベッドに転がっているからだろうか。それとも酒気がまだ残っているからだろうか。その表情はほんのりと紅い。


 この場において、これ以上無いぐらい最強のカードを出されてしまった。
 ジョン=スミスの事だったら確実に聞き手に回るだけで済んだ。
 たとえわたし自身に記憶があろうとも、三年前にハルヒと出会ったジョンは『男』のはずだから。

 しかしこっちは言い逃れできない。改変範囲内、つまりアレは間違いなくわたしがした事になっている。

 いつものようにごまかす事は可能だろう。その場合、ハルヒは多分ごまかされてくれる。
 但し、それにはこの一年培ってきたハルヒとの信頼関係という、かけがえの無い大きな代償を払わねばならない。
 ……全く『何が秘密が言えないならそれで構わない』だよ。
 お前とわたしとの関係が本物なら、それなりのカードを出してみろとしっかり言ってきてるじゃないか。
 そんなハルヒに、それでも何故か嬉しさがこみ上がって来るのを止められず、わたしはもう一度口づけで答える事にした。

- * -
「……まいった。降参だ、ハルヒ」
 口づけを終えると、私は両手をあげて敗北宣言した。

「お前の考えどおり、わたしもアレを体験した。でもあの世界や巨人が何なのかは聞かないでくれ。
 わたしに聞かれたって、明確な答えなんて出せるわけもないんでな」
 実際、《神人》やら閉鎖空間やらが本当に古泉の説明どおりのモノなのか、わたしにはわからない。
「それと何でわたしが言い出さなかったのは……あー、わかるよな」
「わかんない」
 わざわざ言わせる気か、このヤロウ。チクショウ、絶対それだけは言わないぞ。

 そうさ、恥ずかしかったんだよ。主に最後のアレが。
 よりにもよって女の、しかもお前とキスしただなんて、どの面下げてその当人に言えってんだ。


 ああ、もう。さっきの二度のキスでわたしの萌え属性は本当に変化してしまったらしい。
 ニヤリという表現がこれ以上なく相応しい笑いをみせるハルヒに思いっきり抱きつく。頭をぶつけないよう、互いの肩に頭をのせた。
 驚きの声をあげさせる間も与えずに、わたしはハルヒの耳元に対し言葉を落とす。

「ハルヒ……わたしの痛々しい気分は今でも晴れてないし、おそらく晴れることは無い。
 でも、お前とこうしている今だけは忘れる。無理矢理にでも引っ込めて考えない事にする」
「…………それで?」
 どうやら悲鳴を上げたり抵抗したりは無しのようだ。その恩赦に感謝して言葉を続ける。

「それに関係する事なんで詳しくは言えないが、わたしが今から言う言葉に対してそれに対するお前の明確な答えを、わたしは少なくともあと四時間は聞くわけにはいかないんだ。……だから、今すぐは答えないでほしい」
 もしハルヒがわたしの想いに答えてくれたとしても、それがはたして本当にわたしに対してなのかはわからない。
 改変前から持っていた気持ちなら、それはオリジナルのキョンに対しての気持ちになる。
 ハルヒの本当の気持ちは再改変後でないとわからない。だから、今は聞いてはいけない。

「…………それで?」
 ハルヒがさらっと返す。さっきと同じ返しかよ。ちゃんと聞いてるんだろうな、お前。
「わたしは宇宙人でも未来人でも超能力者でも、またそれに類するどんなものでもない。
 どこにでもいるような、なんの隠し能力も属性もバックも持ち合わせてないただの女子高校生だ」

 で、確かお前の流儀では顔の見えない電話でのソレは許せないんだったよな。
 仕方なく頭を引き、お互いの鼻先がつくぐらいの距離でわたしはハルヒと向かい合った。
 視線を一瞬も外さずに、ハルヒが見つめ返してくる。瞬きすらしてないのではないだろうか。

「当然、お前の追い求めるものとはかなり違う、と思う。でも、あえて言わせてくれ」
 一呼吸だけ言葉を溜めて、わたしは最後の一言を告げた。

「好きだ」


 なぁ、本物のキョンよ。お前とは後数時間で会う事になるだろうが、できることならいますぐ一つだけ答えてくれ。
 Like が Love になっちまったのは、わたし自身の意思だよな?


- * -
 わたしの人生初にして最大の告白を受け止めながら、ハルヒは先ほどから全く変わらぬ表情で見つめ返していた。
 ……本当に瞬き一つして無くないか、お前。もしかして止まっているのか?
 とりあえずハルヒの頬を摘んで引っ張り、生存確認をしつつ夢の世界から呼び戻してやる事にした。
「うが!? 何すんのよ、痛いわね!」
 思いっきり頬を引っ張り返された。

「それで、あたしは少なくともあと四時間は答えちゃダメなわけ? それってずるくない?」
 頬をさすりつつハルヒは、わたしに向けて眉毛を吊り上げて聞いてくる。怒っているのは告白について、では無いだろう。
「あぁ、すまない。でも、できれば次に学校であった時とかにしてほしい」
 わたしにその機会があれば……だが。そう心の中で言葉を続ける。
 ハルヒはじーっとわたしをたっぷり三十秒は見つめ続けると、やがて大きな溜息を一つ吐いた。
「……はあ、わかったわ。あんたの勇気と言葉に免じて、今は言葉にしないであげる。それでいいわね」
 ああ、ありがとう。わたしは素直にお礼を言おうとして、

「んむぐぅ!?」
 しかしハルヒに抱きつかれて再び口づけされた為、それは言葉にならなかった。
 しかも今までの様に唇を重ね合わせるだけのものではない。ハルヒはその舌でわたしの唇をつっとなぞると、そのままゆっくりとわたしの口内へと差し込んできた。
 くすぐったい感触を感じながらもわたしは受け入れ、その舌に舌で返す。
 そのまま暫くの間、ちゅぷ、くちゅ、という互いの唾液をかき混ぜる音を頭の中に響かせた。

 互いの舌から伝う銀糸を引きながら顔を離すと、ハルヒは勝気七割冗談二割の笑いを見せてくる。
 そして最後の一割にありったけの愛情をのせて、

「キョンの言う通りに、言葉にはしてないわよ。言葉にはね」
 わたしを簡単に陥落させる言葉を、その態度で示してきた。

- * -
 再び舌を絡めながら、パジャマの上から胸にそっと手を這わす。
「んっ……ん、ん…………んっ」
 ハルヒはわたしの手を感じながら、何故かさっきから背中をずっと撫で回してきていた。
 もしかして……と思い、胸に触れていた手をハルヒの背中へ回すと、すっと背筋に指を這わせてみる。
「っ! んんっ、んんんあっ!」
 危うく舌を噛まれそうになり慌てて口を離す。どうやら背筋に指を這わすのが弱いようだ。
 それならばと片方の手でハルヒを抱き寄せ、もう片方の手で背筋を思うがままになぞりまくってみる。
「あひゃ! ははうん……だ、だめ……キョン! ソレ、くすぐった……ああ、んんっ!」
 くすぐったさの中に何か別のモノを感じるのか、わたしの手から逃れようとハルヒが必死になって身悶えしだした。
 なるほどな、お前が後ろに人を置かないわけだ。
 もしわたしが授業中とかにハルヒの背中を突いたりしたら、さぞかし大変な事になっているんだろう。

 例えばこんな風に突いたり、
「ひゃうっ!」
 ついーっと指を這わせたり、
「あ、あひゃ、はあううんっ!」
 肩甲骨の形をなぞってみたり、
「こ、こら、キョン! 調子に乗る、んじゃああっ!」
 両手でそれら全部を一気に試してみたりした日にはもう、
「はっ、きゃうあぁああああ──────んっ!」
 肩で息をするぐらい、とっても気持ちよくなっちゃうって訳だ。なるほど。

 なんて勝ち誇っていると。
「……調子に乗って、相手が勝ち名乗りなんてあげたときぃ」
 ハルヒが胸のボタンの隙間からわたしのパジャマの中へさっと手を差し込むとがっしりと胸を掴みこみ、
「ソイツは既に敗北してるのよっ! それそれそれそれ──っ!」
そのまま五つの指を波打つように動かして揉みまくってきた。
「ああああんっ!」
「ぬっふーん。可愛い声あげちゃって、キョンったら激しい行為に弱いのね。変態ー」
 だ、誰が変態かっ! ソレをいうなら背筋をなぞるだけで軽く逝ったお前こそ
「勝てば官軍なのよっ! そーれそれそれそれえ────っ!」
 空いてる手で器用にわたしの前をはだけさせ、そのまま両手でパンでも捏ねるかのように揉みしだく。
 絶妙な力加減と、指がくすぐったく敏感な部分に当たって、正直、
「くひゃあ、ちょ! そこはやめっ……ふぅあああああっ!」
 勝負はあっさり同点にされてしまった。


 互いに互いの弱点を突きながら、ゆっくりと服をはだけさせていく。
 気づけばお互い最後の下着一枚しかはいてない姿で、しかもその下着すら湿り気をおびて横にずらされている状態だ。
「やっぱキョンは胸が弱いのねぇ……ここを舐めるだけで、すぐに反応してる」
 ソフトクリームを舐めるかのように、わたしの胸を、いや乳首をねっとり舐め上げてくる。
 そのまま口に咥えて舌で転がし、子供のように吸い付き、軽く歯を立てて甘噛みしてくる。
「あ……やめ、それ、良すぎる……だめぇ……」
 身体よりも先に思考回路が殆ど逝ってしまっている。残っている部分で考える事はただ一つ。

 どこまでもハルヒを感じていたい。
 それだけだった。

- * -
 横になったハルヒの両足を開き、その片方を抱きもう片方にまたがる感じで、ハルヒのあらわになった秘部に自分のをあてがう。
「……何か、使う? ……あたしは……キョンなら構わないわよ……」
 ハルヒはもし実際に視線が熱量を持っていたらミクルビームなんて目じゃないぐらいの高熱線でみつめてきた。
「いや……それはやめとく。不思議探しはまだ続けるんだろ?
 万が一ユニコーンに遭遇したときに、『キョンが純潔奪ったせいで近づけなかった!』とか言われても困るしな」
「何よそれ……バカ」
 どこまでも顔を真っ赤にしながら、それでもハルヒはいつもの百ワットの笑顔を浮かべてきた。
 ハルヒと繋がりたくないと言えばウソになる。だがそれはハルヒの答えをちゃんと聞いてからにしたい。
 だから、今は。
「こっちのディープキスはまた今度って事で」
「表現が卑猥すぎ……くぅん!」
 お互い腰を動かしてすり合わせる。敏感なところが刺激され、その度に頭の中が真っ白になる。
 やり方なんてわからない。ただ相手を気持ちよくできればそれでいい。
 試行錯誤に互いが動き、やがて一つのリズムで動いていく。

「うわ、何これ……凄い、気持ちいいっ……!」
「わたしも、こんなに凄いの……初めてだ……っ!」

 ハルヒが両手でシーツを力いっぱい握り締める。
 わたしの開いた片手をその手に乗せると、ぎゅっと迷わず指を絡めて握ってきた。

「キョン、キョン……! いいの、何だかいいの……気持ち良いだけじゃなくて、いいのぉ! ……ふうんっ!」
「くうっ! ハルヒ……ハルヒ……っ!」
 汗や、涎や、涙や、雫となって溶けてしまいそうな感覚。
 手を繋いで、互いを触れ合わせている部分からひとつになる感覚。
 気持ちいいじゃない、何かが『いい』という感覚。

「あ、もうだ……白く、くる……いく……あ、ああああああああああああああ─────────っっ!!」
 最後に発したのはどちらだったか。それとも二人だったか。
 強く手を握りすり合わせながら、わたしとハルヒの思考が完全に真っ白となった。


- * -
「ねぇキョン……雪山での有希の話、あんた覚えてる?」
 裸のまま並んで横になっていると、ハルヒがぽつりと聞いてきた。
「雪山の長門って、どの話だ?」
「有希が転校するとかいうやつ。集団催眠だっけ、アレのせいでどれが本当に話した事なのかあやふやなのよ」
「……覚えてる。わたしが話したんだから」

 長門が思念体に連れ戻される可能性がある。それをわたしは転校という形でハルヒに伝えた。
 とぼけても良かったが、あの話の最後の約束はハルヒの心に深く刻み込んで欲しかったので、肯定した。
 ハルヒは良かったと呟き、そして

「……あれさ、本当に有希が転校でもめてるの?」
 変な事を聞いてきた。イヤ、アレは間違いなく長門の話だが。だいたい長門で無かったら誰の話だっていうんだ。
 ハルヒはうつむき、視線を外してくる。

「…………もしかして、アンタじゃないかって、思ったの。……キョン、アレって本当はあんたの事なんじゃない?」
 わたしだって? そんなバカな話……と呟いたところで、わたしはその先の言葉を飲み込んだ。

 確かに、あの話は今のわたしに当てはまる。
 かつての朝倉のように、そして懸案された長門のように。今回消えるのはわたしだ。
 何てことだ。全く違う方向から、全くの勘違いで、ハルヒはいきなり大当たりを引き当ててしまった。
 これもまさか、ハルヒが望んだからだというのか……?

「言いにくいなら、今はいいわ。でも、これだけは答えて」
 透き通るような声と、それに負けないぐらい純真さを浮かべた表情でハルヒがわたしの手を握ってきた。

「…………あんたは、ずっとここにいるわよね?」



「ああ、大丈夫だハルヒ…………キョンはずっと、お前のそばにいる」

 わたしに言えるのは、それが限界だった。


- * -
・四日目・午前四時

 午前四時。ハルヒが寝付いたのを見て、わたしは着替えを始める。
 流石に汗まみれでシャワーでも浴びようと思ったが、何となく全身についたものを流し落としてしまうのをためらい、結局顔と手を洗う程度にした。
 普段着でも良かったが、これも最後ならとこの一年なじんだ制服姿に着替え、髪を結う。
 ハルヒに毛布をかけてやり頬にキスしてやると、ハルヒはにゃははと笑いながら毛布に包まりだした。

 部屋を出て扉越しにハルヒを見る。
 そのまま静かに、閉じる音が鳴らないように扉を閉めた。


 玄関の外には長門が立っていた。
「迎えに来てくれたのか?」
「………」
 無言で頷く。そうか、と一言だけいい、わたしは長門と公園へと歩いていった。
 その際、ひとつ長門に頼み事をしておく。もしかしたら必要になるかもしれないのでな。
「どうだ、頼めるか?」
「わかった」


 公園のベンチに座り、長門とその時を待つ。公園の大時計は四時五十分を指している。あと十分か。
「何てゆーか、あんまり実感わかねえな」
 そんな事を呟いてると長門が突然出口の方を向き、急に立ち上がるとそのまま走り出してしまった。
「……何だ? おい長門、どうしたんだ?」
 出口の先、丁度視界に入らない辺りから騒ぎ声が聞こえる。
 何だ、ジョンが来たのか? そう思い立ちあがろうとすると

「どきなさい、有希っ! あたしはキョンに用があるのッ!」

 そんなドスのきいたソプラノボイスで長門を一蹴し、誰かが公園に入ってきた。
 アヒル柄の黄色いパジャマのボタンを段違いにつけたまま、それでもカチューシャだけはしっかりつけて。

「いたわね、キョン……どういう事だか説明してもらうわよっ! 今すぐ、ここでっ!!」

 ハルヒがこれ以上なく本気で怒りながらわたしの前に現われた。


- * -
「答えなさい。アンタ、何を隠してるの。いったい何を始めようって言うのっ!」
 眉毛を逆三角形に吊り上げ、ハルヒが掴みかかってきそうな勢いでずかずかと近づくと、まさにそのまま掴みかかってきた。
 セーラーの襟を片手でぐいと掴みねじりあげてくる。
「何で四時間後なの! 何でアンタこんなところにいるの! ……何であたしに黙って姿を消したのっ!」
 空いた手でわたしの胸をどんどん叩きながら、矢継ぎ早に質問してくる。
「何でみんながここへ来るのを止めるのよ……あんな苦々しい表情の古泉くんも、あんな沈痛な面持ちをしたみくるちゃんも、あんな自分に自信が無さそうな有希を見たのも初めてよっ! いったい何なわけ!? アンタ何をするつもりなのよっ!!」

 わたしはもう驚きっぱなしだった。
 ハルヒがここへ来たのも驚きなら、それを止めようとあの三人が来ていた事にも驚いていた。


 溜息を一つ吐きわたしは覚悟を決める。
 何、やばかったら再改変のときに一緒に記憶操作されるだろう。
 そう考え、わたしはハルヒにこれ以上無いほどの真剣さをみせてやった。

「……ハルヒ、よく聞いてくれ。今この世界は、実は一つだけ間違っている状態なんだ。
 そしてもうすぐここへ、その間違いを正す為に一人の男がやってくる。……わたしはそいつを待っているんだ」
「一つ間違ってる? 何それ、訳わかんない。ちょっとそんな冗談で……っ!」
 ハルヒの言葉がそこで止まる。わたしの表情を伺い、冗談なんて何一つ言ってない事を感じ取ったからかもしれない。


「……いいわ、あんたの戯言に付き合ってあげる。それで間違いって何よ。正しにくるって、誰が来るのよ」
「わたしだよ、ハルヒ。実はわたしは本物のキョンじゃないんだ」
「……本気で言ってるの、それ?」
 ああ、本気も本気さ。だからこそわたしはお前の言う痛々しい表情を浮かべていたんだからな。
 そう言いながら、わたしはポケットの中でアレを銀包装から取り出す。

「信じられないわ。それで誰が来るのよ」
「ジョン=スミスだ」
「えっ?」

 突然の名前に、ハルヒは怒りを忘れてぽかんと口を開いたまま静止する。
 その隙にわたしはポケットから取り出したものを口に咥えると、ハルヒに口づけて無理矢理に飲み込ませた。


「え、キョ…… 今、何を、飲ま……!」
「すまない、ハルヒ。今までありがとう」

 そして────さよなら。



 ハルヒの口に入れた薬と共に、わたしはその言葉を飲み込ませてやった。



- * -
 未来人からもらった睡眠薬を飲み、ハルヒはわたしに身体を預けて深い眠りに落ちている。
 その温もりを一秒でも長く、少しでも多く感じようと、わたしはハルヒをただ抱き続けた。
 このわたしの世界を終焉させる男が、ハルヒのジョン=スミスが公園に訪れるその時まで。

 気づくと長門が立っていた。来るときに頼んでおいたアーミーナイフを持っている。
「朝比奈さんに教えたんだな」
「……」
「しかもお前ら、揃い揃ってハルヒを阻止しようとしただろ」
 ハルヒを抱いたまま、少しだけかがんで長門と目線の高さを合わせる。
「ありがとう」
 そう言って長門の頭にそっと手を置くとゆっくりと撫でてやった。
 少しだけ目を開きながら驚きの色を浮かべる長門に告げる。
「朝比奈さんがお前たちに感謝していたよ。もちろん、わたしも。お前たちがそこまでの仲になっていたとはな」
「……それはあなたがいたから。あなたの為にわたしたちは動いた」
 そうか、だったらもう一度だけ言わせてくれ。

 ──ありがとう。

 わたしは片手でアーミーナイフを受け取るとポケットにしまいこむ。
 そのまま長門の頬を軽く撫でる。
「後は頼む。辛い事を頼んですまない」
 首を小さく振り、長門が短く否定を示す。
「……それじゃ頼むぜ」
 手をそっと離すと長門は小さく頷き、声なき言葉を呟くと公園の外へと歩いていった。
 それが「さよなら」でなかったのだけは読み取れた。


- * -
・四日目・午前四時五十五分

 少しして、北高の制服を着た男がわたしの前に現われた。
 こいつがわたしのオリジナル……だよな? あまりの普通さ平凡さに思わず突っ込みたくなる。
 仕方なくわたしはその男に問いただしてみることにした。

「……お前がジョンか。なんだか冴えない男だな」
「ハルヒに何をした」
 問いには答えず、その男はあからさまな敵意を向けてくる。
 どうやらジョン──つまりキョンであり、わたし自身で間違いないらしい。

「大丈夫、眠ってもらってるだけさ。これからの事をハルヒに見られるのは、わたしにとってもお前にとっても宜しくないだろ」
 抱いていたハルヒを傍のベンチにそっと寝かせながら、ぶっきらぼうに答える。
 目元に光るモノをぬぐってやり、最後にもう一度頬をそっとなでた。


 そのままゆっくりとキョンの方を向く。キョンは既に鈍色の金属光沢を放つ銃をわたしに向けて構えていた。
「あの時の銃、か。……これを向けられた時、お前もこんな気持ちだったのか。長門……」
 呟いてわたしが、いや目の前のキョンが消失させてしまったあの長門をふと思い出していた。


「ジョン。……お前、ハルヒが好きか」
 わたしはキョンに聞いてみた。わたし自身は既に答えを出し、その答えをハルヒに告げた。
 はたしてコイツはどうだろうか。
 ハルヒを異性として捉えてきたこのキョンは、はたしてハルヒの事が好きなのだろうか。

 キョンは少しの間だけ動きを止めると
「……ああ。俺自身まだよくわかってないが、多分、好きなんだと思う」
 いかにもキョンらしい答えを返してきた。
「そう」
 十分だった。身体は違うけど、わたしはお前と同位体になる。だからその心はよくわかる。
 わたしは少しだけ微笑むと、キョンの構える銃の射線軸上からハルヒを外すように、ゆっくりと動いていった。
 そしてポケットからあのアーミーナイフを取り出し見せつける。瞬間、明らかにキョンの顔色が変わった。
 当然だ。持っている自分が見てもぞっとする。
 かつて二度にわたりわたしの命を狙った、あの朝倉のアーミーナイフ。
 一つだけある仕掛けが施されているが、それ以外は全く同じものなのだから。


- * -
「どうした、撃たないのか。お前がわたしを撃たなきゃ、わたしがお前を殺す」
 そういって挑発するも、キョンは撃つ事を躊躇う。まぁ、普通はそうだよな。
 わたしだってきっと躊躇うさ。
 でも、お前はもう躊躇っちゃダメなんだ。そんなのはあの日に捨てると決意したはずだ。
 わたしはナイフを握り締めながら、にっこり笑って話しかけてやった。

「あなたを殺して涼宮ハルヒの出方を見る」
 なるたけ軽い笑顔をみせ、一度目の朝倉の台詞で斬りつける。
「長門さんを傷つけるやつは許さない」
 なるたけ深い笑顔をみせ、二度目の朝倉の台詞で斬りつける。

「ジョン、今の気分にはどっちの台詞がお望みだ?」
 あの時の記憶を呼び覚まされたか、キョンの表情がみるみると変わっていく。
 それでもまだ、キョンは引き金を引かなかった。何でそんなに躊躇うんだ?

 もしかして……キョンはわたしが誰かとか何も知らされていないのか?
 だとしたらキョンに撃たせるのはわたしの役目になる。
 わたしは期待外れと感じた視線を放ち、仕方なくキョンの、わたしの一番痛い部分を突きつけてやった。


- * -
「……ここまで挑発してるのに、まだわたし撃つのを躊躇ってるのか。やれやれ、期待はずれもいい所だな」
 そう言い捨てるとキョンに近づく。銃を構えなおすがおそらくただの牽制だろう。
 わたしはここぞとばかりにキョンの頬を思いっきり叩いてやった。

「ふざけるな! 言ってやるが、その気持ちは優しさなんかじゃ決してない。
 今のお前は、ただ自分可愛さにダサい臆病風にふかれてるだけだ!」

 思い出せ、お前が背負っているのはお前自身の事だけじゃないはずだ。


「お前がその銃を撃たないってことは、お前は自分の感情を抑えながらその銃を渡してくれた長門の事も、胸に悲しみを抱きながらここへお前を連れてきてれた朝比奈さんの事も、全く信用してないって事になるんだ!」

 そうだろ。今のお前の行為は、あの消失した長門すら裏切っている。
 そういえばあの時も、結局わたしは撃たなかったんだったっけ。銃を拾い引き金を引いたのは長門本人だ。
 淡々としていたが、あれは自分自身に決着をつける為だったのではないだろうか。
 ならばわたし達も自分自身で決着をつけなければならないだろう。

「その銃は時空改変のプログラムに過ぎない。本物の銃じゃない事はお前が一番よく知ってるはずだ。
 その銃すら撃てないって言うんだったら、そもそもお前はあの時エンターキーを押すべきじゃなかったんだ。
 そしてこんな馬鹿げた設定や怪しげな陰謀が渦巻く混沌とした世界じゃなく、あの長門が作った優しい世界の中で、みんなと仲良くただ平和に過ごしていればよかったんだよっ!」

 宇宙人、未来人、超能力者、そんな連中がいる世界のリスクもあの時考えたよな。
 だがキョン、お前は自分でこっちを選んだんだ。
 こっちのメンバーこそが、お前の本当の仲間たちだったから。


「お前、長門が処分されるかもと聞いた時、ハルヒをたきつけてでも救いだすと言ったよな。
 立派な決意だが、あの後雪山でお前はいったい何をした?
 始めて会った時からずっと、お前は朝比奈さんを魔の手から護ってみせると思ったよな。
 じゃあ朝比奈さんが誘拐された時、お前はいったい何が出来た?
 自分には何の力も無いとかただの一般人だとか、そんなベタな言い訳で自分を言い聞かせるだけで、お前は何もしてないじゃないか!」

 お前の考えなんて手に取るようにわかるよ。
 お前が今まで口にした事、してきた事だって、わたしには全部お見通しなんだ。
 お前がどんなに自分の無力さに苛立ったかも、そんなことを考えている間にも、他の団員達が危険に見まわれる行動を起こしているかもと何となく感じ、柄にもなく時に眠れぬ夜を過ごしたかも。

 何せキョン。わたしはもう一人のお前なんだから。
 自分の一番痛い所は、自分が一番よく知ってるさ。
 でも、だからこそあえてお前に言ってやるよ。

「結局お前は全て他人任せで、ただ楽しい所だけを味わいたかっただけなのさ。
 あの時のハルヒや、冬の時の長門の様に、自ら動いてみようだなんて事は無い……退屈な男さ」

 そんな事は無いよな? そんなのは気分が落ち込んだ時とかにだけ時々思う、ただの気の迷いだよな?
 自分の内面とこうしてサシで語り合えるなんて、めったに出来ない事だぜ?
 たしかに今回みたいにどろどろした話が年中続くのは勘弁してほしいけど、でももう少しぐらいお前を慕う連中の苦労を背負ってやろうぜ。
 わたしがこの三日間で感じ取った、お前に対するみんなの思いを破格のサービスで教えてやるから。

 だから、さ。


「ハルヒや長門や朝比奈さんや古泉に甘えるのも、いい加減にしろっ! ジョン=スミスっ!」


 全てを言い切った直後、わたしはこの三日間の記憶を情報化したナイフをキョンに突き立てる。
 これでわたしの思い出は全て本物に渡ったはずだ。後は。

 直後自分の腹に軽く、それでいて全身に響き渡る一撃を受けていた。


- * -
 その瞬間、一瞬にして視界が白く輝きだした。


『そういうあんたはどーなのよ。男作って楽しめとかいうなら、あんたが作って試してみなさいよ。
『何言ってんだ、お前は俺的ランク外だぜ? って冗談冗談。俺は友人は全部ランク外扱いにするって掟を立ててんだよ』

『あぁ、その『総理』って書いてあるケーキがわたしからのだ』
『わたしがお嫁にいけなかったら、キョンさんずっと一緒にいてくれますか……』

『キョンは昔から変な女だったからねぇ。でもさ、涼宮さんとは気が合うんじゃない?』
『どーしてもっていうなら、あたしでもいいけどさ。それともまさか……キョンみたいな平々凡々が好みなの?』

『メガネない方が可愛いぜ。わたしにはメガネ属性なんて無いしな』
『お譲ちゃん一人かい? お譲ちゃん一人でストーブ持って帰るの、つらくないかねぇ』

『涼宮さんは、あなたを選んだんですよ。女性同士でも子供ができる世界なら、何も問題ありません』
『バニーガールよっ! あぁ、安心して。別にあんたには色気なんて無いものねだりしないから』

『谷口ッ、国木田ッ! 男子連れて教室を出ろッ! 今すぐ急げッ!!』
『これからはあなたに涼宮さんへの連絡とか任せるわ。女の子同士、仲良くしてあげてね』

『キョン、じゃんじゃんボールあげていいわよっ! 阪中さんたちもね! あたしが全部叩き込んであげるわっ!』
『やぁ、キョンちゃんとそれに相手にされないお友達たち、いらっしゃ〜いっ!』



 繭の中に逆立ち状態で閉じ込められたらこんな気分になるだろうか。


『──おつかれさま、キョン』



 天地もわからずただ情報と衝撃の濁流に飲み込まれ、わたしの意識はゆっくりと途絶えていった、


- * -
・エピローグ

 ……俺が女性となって過ごしていたらしい四日足らずのあの改変劇は、こうして元の姿へと戻った。

 あのキョンが俺に刺したナイフは長門が作成したもので、あいつが体験した数日間の記憶を受け渡すというものだった。
 正直言ってこっ恥ずかしい記憶のオンパレードだ。
 古泉に抱かれ、長門を抱き、朝比奈さんに口づけ、ハルヒと……えっと、いろいろだ。
 気持ちはありがたいが処理に困るぞこれ。特にハルヒの部分。
 あんなの知った後じゃ、まともにハルヒの顔を見る事もできない。
 それもあって、またあいつの記憶でここを見たからもあり、俺は朝っぱらから例の屋上へとやってきていた。

 見晴らしも、吹く風も、今の俺にはとても心地よかった。



 改変中の記憶は、俺以外は誰にも残らなかったらしい。
 再改変を行った長門ですら、その事実を含めて記憶がしっかりと改ざんされていた。
 次に朝比奈さん(大)にあったら、今回の事を詳しく聞こうと思っている。
 話してもらえるかわからないが。



 結局あの騒動で残ったのは、あいつが触れていった他のメンバーとの思いだけのようだ。
 だが、俺はその気持ちが残った事こそ一番重要だと思う。
 だってそうだろ?
 あいつは必死になってこの世界を戻す為、そして俺を復活させる為に一生懸命に生きたんだ。



 なあ、キョン。お前はもしかして俺の中で生き続けてるのか?
 もし生きてるんだったら、どうかそこで見ていてくれ。
 俺も少なくとも、お前のハルヒに対する告白には負けないぐらい頑張って生きていってやるから。



 そしていつの日か、ハルヒが全てを自覚したらみんなに語ってやろうと思う。







 お前という存在が、確かにいたと言う事を。





- * -
「見つけた! 探したわよ、キョン!」

 やれやれ。今一番顔を合わせたくない、騒がしいヤツに見つかったようだ。
 さて俺はどこまで照れずに向かい合えるだろうね。
 向こうからづかづかと近づいてくる気配に、なるたけ平常心を持って俺は振り向いて見せた。

「どうした、ハル……」
 と、突然ネクタイを掴まれて顔を引き寄せられる。良く見たら凄い怒りの形相だ。

 何だ何だ、何があった。俺が問いただそうとした時、ハルヒは最大級の音量で告げてきた。

「……あたしは認めないッ! 認めないわよッ! ふざけんじゃないわよ、キョンっ!
 あんた、あたしや有希ッ! みくるちゃんッ! 古泉くんッ! それにみんなの事、全部バカにしてんのッ!?」

 な、ちょ、ちょっと待てハルヒ。許さないって、いったいぜんたい何の話だ。
 俺の戸惑いにハルヒは全く耳を貸さず、ただひたすらに、心にまで響く大声で叫び続けてきた。

「うるさいっ!! キョンッ! あんたが、──────」












「────あんたが勝手に世界から消えて、『はいお終い』だなんていうそんな三文芝居的な終わり方、あたしは絶っっっ対に認めないんだからあぁっ!!」











- * -
 その瞬間、一瞬にして視界が白く輝きだした。


『そういうあんたはどーなのよ。男作って楽しめとかいうなら、あんたが作って試してみなさいよ。
『何言ってんだ、お前は俺的ランク外だぜ? って冗談冗談。俺は友人は全部ランク外扱いにするって掟を立ててんだよ』

『あぁ、その『総理』って書いてあるケーキがわたしからのだ』
『わたしがお嫁にいけなかったら、キョンさんずっと一緒にいてくれますか……』

『キョンは昔から変な女だったからねぇ。でもさ、涼宮さんとは気が合うんじゃない?』
『どーしてもっていうなら、あたしでもいいけどさ。それともまさか……キョンみたいな平々凡々が好みなの?』

『メガネない方が可愛いぜ。わたしにはメガネ属性なんて無いしな』
『お譲ちゃん一人かい? お譲ちゃん一人でストーブ持って帰るの、つらくないかねぇ』

『涼宮さんは、あなたを選んだんですよ。女性同士でも子供ができる世界なら、何も問題ありません』
『バニーガールよっ! あぁ、安心して。別にあんたには色気なんて無いものねだりしないから』

『谷口ッ、国木田ッ! 男子連れて教室を出ろッ! 今すぐ急げッ!!』
『これからはあなたに涼宮さんへの連絡とか任せるわ。女の子同士、仲良くしてあげてね』

『キョン、じゃんじゃんボールあげていいわよっ! 阪中さんたちもね! あたしが全部叩き込んであげるわっ!』
『やぁ、キョンちゃんとそれに相手にされないお友達たち、いらっしゃ〜いっ!』



 繭の中に逆立ち状態で閉じ込められたらこんな気分になるだろうか。


『──おつかれさま、キョン』



 天地もわからずただ情報と衝撃の濁流に飲み込まれ、わたしの意識はゆっくりと途絶えていった、
 その時。


「………っざけんなあぁ────────────────────っ!!」

 全ての思いが一つになったような咆哮を聞いた、気がした。


- * -
・四日目・午前五時

 何もない真っ白の世界。先ほどまでの喧騒が全く感じられない静寂。
 そこにわたしは立っていた。


「……よう、キョン」
 白い静寂を破り、後ろから声がかかる。振り向くと、そこには本物のキョンが立っていた。
「お前と少し話がしたい。いいか」
「……ああ」

 キョンはわたしの顔を見て、髪へと視線をのばし、身体の方へ軽く落としてから、再び顔に目線を戻してきた。
「全く、そんな格好してるから全然気づかなかったぜ。……まさかお前が俺の女版だったとは驚きだ」
 肩をすくめてキョンが語りかけてくる。
 いったい何がどうなっているんだ。この白い世界は何なんだ。なんでわたしとお前がこうしているんだ。
「ああ、この状況か? 今この世界の外では長門が改変してる最中のはずだ」
 ……そうか。それならいい。わたしが消えるのももうすぐって事か。
 わたしは自分の身体を見つめ、そして白い天を仰いだ。


「お前は、消えないよ」
 そうキョンは呟いた。……って、何だって? 今、お前は何て言った?
「お前は消えない、そう言ったんだ」
 キョンはわたしをじっと見つめながら話してきた。その顔には、これ以上無い優しさが浮かんでいる。

「確かにお前がキョンとして生きた世界は消える。お前もキョンではなくなる。だが、それだけだ。
 お前は消えない。改変後の世界で、お前はキョンではなく、また誰の代わりでもない、お前として生きてもらう事になる」
 話が全く見えなかった。いったい何がどうなったらそんな話になるのだろうか。
 いくらなんでもわたしが存在してたらまずいだろ。
「何でだ?」
「いや、だって……」
「仕方ないだろ。これは団長以下長門、古泉、朝比奈さん、そして俺とSOS団全員の意見なんだから。もう誰にも覆せねえよ」
 お前も? 何でお前まで反対するんだ。お前が一番わたしを消さなきゃならない存在のはずだろ。
 そう聞くと、キョンは逆にちょっとだけ機嫌を悪くした表情を浮かべ、わたしの事を指差して返してきた。

「あんな言われっ放しで勝手に逃げられてたまるか。誰が臆病風に吹かれた退屈な男だって?
 そこまで言うなら俺の記憶から知るんじゃなく、お前自身の目で確かめさせてやる。…………だから、消えるな。
 それと、やれ消えるだ消失だとお前は言ってるけど、俺の記憶があるんならちゃんと覚えておけ。お前は前にこう言ったハズだ」
 キョンは指してた指を引っ込めると腕を組み、ちょっとだけ偉そうな雰囲気を見せて言ってきた。

「ハルヒは何があろうが、人が死ぬなんて事絶対に望まないって」



 孤島でわたしが古泉に言った台詞だ。
 …………そっか、そう言えば、そうだったっけ。

「だから消失は諦めろ。どんな姿になろうとも、キョンはハルヒには逆らえない運命なのさ」
 何度も封印しようと思ったあの口癖と共に、キョンは少しだけ自虐的に微笑んできた。

「……っは、ははっ、ははははははははははっ! そうか。ハルヒが望まないのか。それじゃ確かに仕方ないな」
「ああ、仕方ないだろ?」
 わたしに合わせてキョンも笑ってくる。
 そうだな、仕方ないな。そう何度も言いながらわたしはただ笑い続けていた。


- * -
「お前の持つ俺の記憶は全て封印させてもらう。その代わりとなる記憶や環境は再改変にあわせて用意される。
 ただ……お前はハルヒや俺と同級生にはなれない。訳あって別の学年になる。自覚はないだろうが、それは覚悟してくれ。
 その上で、お前は四年ぐらい前から今日までの間で好きな時点から、こちらの世界で暮らしてもらう事になる。
 四年前以上はちょっと無理らしい。どこぞのハレハレ神様が次元断層を作っちまってるんでな」
 そうか、やっぱりわたしの記憶は無くされるのか。
 ……それは、わたしという存在がここで消失するという事とどう違うんだろうな。

「無くなるわけじゃない、封印だ。消去されたら復活しない。だが封印は解ける可能性がある。
 ……いいか、封印されたら忘れてしまうだろうが、それでも心にしっかりと刻んでおけよ」
 キョンはわたしの肩を掴むと、まさに心に刻み付けるかのように語りだした。

「ある条件を満たせば、お前と長門、古泉、そして朝比奈さんの記憶の封印は解ける。
 その時点でハルヒの封印は解けないが、望むのなら長門に頼めば何とかしてくれるはずだ」
 で、その条件とは。


「……鍵をそろえよ、だ。意味はわかるな? 期限はない」


 鍵をそろえよ……。それはまた難しい条件をつけられたものだ。ハルヒと学年違いでこの条件か。
 朝比奈さんと同じならいいが、更に離れるとちょっときついかもしれない。
 だが、確かに鍵をそろえられる状況でなければ、ハルヒやみんなとあの部室にいる状況が起こせないのなら、この記憶はそんなわたしの人生にとって必要ないものとなっているのだろう。


「以上、説明は終わりだ。あとはお前がどこからスタートするか、だ」
「……できる限り、一番過去から頼む。記憶ぐらい自分で作りたい」
 わたしは即答した。中学ぐらいからスタートになるが、わたしの時間が長い方が可能性は増える。
 と同時に、わたし自身がゆっくりと輝き始める。銃を喰らった時とは違い、暖かい感じに包まれてる気分だ。


「──悪かったな。今回は俺のせいで──」
 光の渦の外で、キョンが何かを言っている。

「戻ってきたら、おごってやるから──」
 キョン……わたしは、あの場所へ戻ってこられると思うか?


「ああ、それは大丈夫だ。何せお前は──────」



 全ては、そこで途切れた。



- * -
・エピローグ・B

 サンタクロースをいつまで信じていたかなんていうことは、今のわたしにとってたわいもないどうでもいいような話だった。
 北高へ続くクソ長い坂を登りつつ、これをあと三年は繰り返さなければならないのかと、わたしは入学早々憂鬱な気分に陥っていた。
「……なんたってこんな学校選びやがったんだ、あいつは」
 高校を選ぶ動機として普通一般人があげる内容は『成績があっている』『進学に便利』『スポーツが強い』などなど色々あるだろう。
 だがわたしがこの高校を選んだ理由はそんなありふれた理由ではなく、ただ一つのとんでもない理由だった。

「北高は楽しい」

 そうあいつに聞かされたからである。
 今にして思えばあいつは自分だけがこの坂を登っているのが悔しくて、わたしにあんな甘言を告げてこの高校へと呼んだのではないのかとさえ思えてくる。少なくとも三%ぐらいはそんな気分があったはずだ。
 その証拠に、あいつは北高の正門でニヤニヤ笑いながらへばって登校するわたしの事を見ていやがった。


「ようこそ北高へ。その表情だと楽しいハイキングだったようだな」
「……これで北高が楽しくなかったら、本気で殴るからな」
「それなら大丈夫だ。何せここにはあんなヤツが非公認部を作って騒がせているからな」

 そう指差された先を見ると、黒いバニーガールの格好をした女性がチラシをまきながら教師風の男達から逃げ回っている姿があった。
 これ以上無いほど衝撃的なファーストコンタクトだ。

「な、何なんだアレ……」
「お前と同じ変な女だ。まああっちの方が次元的に上位種になるけどな」
「変な女言うな。わたしが変なら『生き別れの兄妹みたいだ』と言われてたキョンも変だって事になるぞ」
 憮然とした態度で返すと、キョンは軽く笑ってから

「あぁ、確かに変かもしれないな。なんせあんなヤツが団長を張ってる部活に一年もいるんだからよ」

 キョンはそれでもバニーガールの事を何か楽しそうな目で見つめていた。


 キョンは中学時代の先輩だが、何故か気兼ねなく話ができてしまう人だった。
 よくキョンの教室に押しかけては一緒に遊んでたもので、上級生に気後れせず突撃する姿にいつしかキョンや他の連中から『変な女』扱いされるほどだった。
 全く何て失礼な話だ。


「……キョン、なんだかいい顔してんじゃん。それもアイツの影響か?」
「ああ、多分な。何だったら」
 そう言ってキョンはさっきからバニーガールがばら撒いているチラシと同じものを渡してくる。
「入学式後にこの場所、文芸部に来てみろ。この学校を選んで間違いじゃなかったってイヤと言うほどわかるから」

 どう斜め読みしても怪しい集団が怪しい事を募集してるようにしか思えないチラシだ。
 まあ団長からしてアレじゃ、怪しい集団以外に形容しようがないがな。
「ふうん……SOS団ねぇ」
 だが、そんな集団がどれだけ楽しいのか思いっきり気になるのも事実だ。


「キョンもここにいるのか?」
「ああ、放課後は大体そこだ」
「わかった。暇見て覗きにぐらい行かせて貰うよ」

 わたしはもう一度だけ教師と生徒会に追い掛け回されるバニーガールの姿を見つめる。
 ……確かに楽しそうだな。わたしがそう思っていると、キョンが最後に一言告げてきた。


「そうそう。部室に来たら『異世界から来た新入生です』ってアイツに言ってやれ。きっと一発で気に入られるぜ」
 そういうキョンの表情はこれ以上無いぐらい優しい笑みを浮かべていた。
 悪い事は言わん。お前はそういうキャラじゃないからやめとけ。



 やれやれ。
 わたしはキョンに手を振りながら呟いていた。

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