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キョンの消失 四日目・午前四時 |
_ | _ | - * - 午前四時。ハルヒが寝付いたのを見て、わたしは着替えを始める。 流石に汗まみれでシャワーでも浴びようと思ったが、何となく全身についたものを流し落としてしまうのをためらい、結局顔と手を洗う程度にした。 普段着でも良かったが、これも最後ならとこの一年なじんだ制服姿に着替え、髪を結う。 ハルヒに毛布をかけてやり頬にキスしてやると、ハルヒはにゃははと笑いながら毛布に包まりだした。 部屋を出て扉越しにハルヒを見る。 そのまま静かに、閉じる音が鳴らないように扉を閉めた。 玄関の外には長門が立っていた。 「迎えに来てくれたのか?」 「………」 無言で頷く。そうか、と一言だけいい、わたしは長門と公園へと歩いていった。 その際、ひとつ長門に頼み事をしておく。もしかしたら必要になるかもしれないのでな。 「どうだ、頼めるか?」 「わかった」 公園のベンチに座り、長門とその時を待つ。公園の大時計は四時五十分を指している。あと十分か。 「何てゆーか、あんまり実感わかねえな」 そんな事を呟いてると長門が突然出口の方を向き、急に立ち上がるとそのまま走り出してしまった。 「……何だ? おい長門、どうしたんだ?」 出口の先、丁度視界に入らない辺りから騒ぎ声が聞こえる。 何だ、ジョンが来たのか? そう思い立ちあがろうとすると 「どきなさい、有希っ! あたしはキョンに用があるのッ!」 そんなドスのきいたソプラノボイスで長門を一蹴し、誰かが公園に入ってきた。 アヒル柄の黄色いパジャマのボタンを段違いにつけたまま、それでもカチューシャだけはしっかりつけて。 「いたわね、キョン……どういう事だか説明してもらうわよっ! 今すぐ、ここでっ!!」 ハルヒがこれ以上なく本気で怒りながらわたしの前に現われた。 - * - 「答えなさい。アンタ、何を隠してるの。いったい何を始めようって言うのっ!」 眉毛を逆三角形に吊り上げ、ハルヒが掴みかかってきそうな勢いでずかずかと近づくと、まさにそのまま掴みかかってきた。 セーラーの襟を片手でぐいと掴みねじりあげてくる。 「何で四時間後なの! 何でアンタこんなところにいるの! ……何であたしに黙って姿を消したのっ!」 空いた手でわたしの胸をどんどん叩きながら、矢継ぎ早に質問してくる。 「何でみんながここへ来るのを止めるのよ……あんな苦々しい表情の古泉くんも、あんな沈痛な面持ちをしたみくるちゃんも、あんな自分に自信が無さそうな有希を見たのも初めてよっ! いったい何なわけ!? アンタ何をするつもりなのよっ!!」 わたしはもう驚きっぱなしだった。 ハルヒがここへ来たのも驚きなら、それを止めようとあの三人が来ていた事にも驚いていた。 溜息を一つ吐きわたしは覚悟を決める。 何、やばかったら再改変のときに一緒に記憶操作されるだろう。 そう考え、わたしはハルヒにこれ以上無いほどの真剣さをみせてやった。 「……ハルヒ、よく聞いてくれ。今この世界は、実は一つだけ間違っている状態なんだ。 そしてもうすぐここへ、その間違いを正す為に一人の男がやってくる。……わたしはそいつを待っているんだ」 「一つ間違ってる? 何それ、訳わかんない。ちょっとそんな冗談で……っ!」 ハルヒの言葉がそこで止まる。わたしの表情を伺い、冗談なんて何一つ言ってない事を感じ取ったからかもしれない。 「……いいわ、あんたの戯言に付き合ってあげる。それで間違いって何よ。正しにくるって、誰が来るのよ」 「わたしだよ、ハルヒ。実はわたしは本物のキョンじゃないんだ」 「……本気で言ってるの、それ?」 ああ、本気も本気さ。だからこそわたしはお前の言う痛々しい表情を浮かべていたんだからな。 そう言いながら、わたしはポケットの中でアレを銀包装から取り出す。 「信じられないわ。それで誰が来るのよ」 「ジョン=スミスだ」 「えっ?」 突然の名前に、ハルヒは怒りを忘れてぽかんと口を開いたまま静止する。 その隙にわたしはポケットから取り出したものを口に咥えると、ハルヒに口づけて無理矢理に飲み込ませた。 「え、キョ…… 今、何を、飲ま……!」 「すまない、ハルヒ。今までありがとう」 そして────さよなら。 ハルヒの口に入れた薬と共に、わたしはその言葉を飲み込ませてやった。 - * - 未来人からもらった睡眠薬を飲み、ハルヒはわたしに身体を預けて深い眠りに落ちている。 その温もりを一秒でも長く、少しでも多く感じようと、わたしはハルヒをただ抱き続けた。 このわたしの世界を終焉させる男が、ハルヒのジョン=スミスが公園に訪れるその時まで。 気づくと長門が立っていた。来るときに頼んでおいたアーミーナイフを持っている。 「朝比奈さんに教えたんだな」 「……」 「しかもお前ら、揃い揃ってハルヒを阻止しようとしただろ」 ハルヒを抱いたまま、少しだけかがんで長門と目線の高さを合わせる。 「ありがとう」 そう言って長門の頭にそっと手を置くとゆっくりと撫でてやった。 少しだけ目を開きながら驚きの色を浮かべる長門に告げる。 「朝比奈さんがお前たちに感謝していたよ。もちろん、わたしも。お前たちがそこまでの仲になっていたとはな」 「……それはあなたがいたから。あなたの為にわたしたちは動いた」 そうか、だったらもう一度だけ言わせてくれ。 ──ありがとう。 わたしは片手でアーミーナイフを受け取るとポケットにしまいこむ。 そのまま長門の頬を軽く撫でる。 「後は頼む。辛い事を頼んですまない」 首を小さく振り、長門が短く否定を示す。 「……それじゃ頼むぜ」 手をそっと離すと長門は小さく頷き、声なき言葉を呟くと公園の外へと歩いていった。 それが「さよなら」でなかったのだけは読み取れた。 _ | _ |
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