北高を出よう! SOS VS EMP
Specialists Of Students VS EMulate Peoples.
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・起因
帰りのホームルームを終え放課後を迎えたある日の事。さて今日もまた惰性的に部室へ行こうかねと後ろを振り向くと、ハルヒが文庫本を枕にして机に突っ伏していた。
どうした。お前が待ち望んでいた放課後だぞ。それとそんな扱いしたら文庫本が傷むぞ。
「うん……何だかちょっと熱っぽくてね。今日は帰るってみんなに言っておいて頂戴」
珍しく体調不良を訴えてくる。ハルヒを参らせるウィルスがこの世にあったとは驚きだ。
「うるさい。とにかく今日は帰るわ。じゃあね」
ああ、お大事に。帰りに拾い食いとかするなよ。俺はゆっくりと静かに歩くというレアなハルヒの姿を見つめ、その背に小さく手を振って見送りだしてやった。
ハルヒが不調を訴えた事を「レア」だと思った時点で、俺は気づくべきだった。
この時、既に何かが起こり始めていた事に。
文芸部室を訪れた俺は朝比奈さんとのドッキリハプニングを避ける為、至って紳士的に扉をノックする。しかし扉の向こうから返ってきたのは「はぁ〜い」という朝比奈さんの甘く蕩けそうな言葉でも、古泉の「少々お待ちください」という社交辞令ばった言葉でも、長門の「…………」といった無言の応答でもなかった。
「どうぞ」
扉の中から少し高く澄み渡る、それでいて凛とした女性の声で入室許可が示される。
聞き覚えの無い声に頭をひねりながら、俺は声の示すとおりに扉をそっと開けた。
部屋の中央にパイプ椅子が置かれ、そこに見知らぬ黒衣の少女が座っていた。
腰まで伸びる黒い長髪は差し込む光で天使の輪を作り出し、その顔は公正に判断しても美人に入る部類である。唯一、前に垂らされた一房の髪に結ばれたピンク色のリボンだけが黒一色の中で色彩を放っていた。
少女の後ろに従うよう、一歩隣には少年が立っている。やはり見覚えは無い。
少年は黒衣の少女と違い制服らしい服を着ている。だがその制服は北高のものではなく、また俺の乏しい知識が知るどの高校の制服でもなかった。見たこと無い制服だという事以外は特に外見的に目立った特長は無い少年だが、こちらも唯一目を引く部分がある。黒衣の少女とお揃いにしているのか、少年もまた水色のリボンを鉢巻のように頭に巻いているのだった。
「事後承諾になるけど、お邪魔させてもらっているよ」
「こんにちは。あなたがこの文芸部の責任者でいらっしゃって?」
少年の挨拶に続き、黒衣の少女が問いかけてくる。
一体これは何だって言うんだ。またしても俺はトラブルに巻き込まれたのか。
心のどこかでそんな現状を認識し、俺は目頭を押さえて首を小さく振った。
「……もしもし、聞こえていますの? 聞こえているのでしたらわたくしの質問に答えていただけませんでしょうか」
あぁ、悪かった。部屋へと入りカバンを置きながら俺は答える。
「文芸部の責任者は俺じゃありません。長門という一年生です。ですが──」
俺はこの整然とした混沌状態の部室をざっと指差しながら説明した。
黒衣の少女がこの部屋の異常性について聞いているのならば、現在この部屋はとある非公式団体が見ての通り寄生している状態であり、もし万が一ひょっとしてそちらに用があるとした場合、責任者、いや責任を取ってるかどうか全く以って怪しいので責任者という表現はどうかと考えてしまうがそれはともかく、この混沌たる部室とそこにたむろう異能集団を取り仕切る、全く以って団体名を語る事すら恥ずかしいその一国一城の主をあげるとするなら、それは当然この人物に他ならないだろう。
「──ハルヒです。涼宮ハルヒ」
「だ、そうだよ。知ってるかい、光明寺」
少年が黒衣の少女に尋ねる。光明寺と呼ばれたその少女は、その白い肌の指を一本だけのばすとこめかみに当てて考える仕草をとる。
「……生憎と存じませんわ。ですがその涼宮ハルヒさんですか、このただ事ならぬ部屋がそのお方の仕業だというのならば、よほど凄いEMP能力者だと思われます」
黒衣の少女が少しだけきつい眼差しを見せて部屋を見渡す……って、EMP能力者?
何だか微妙に聞きなれない単語だ。ESP、つまり超能力なら知っている。ついでに自称超能力者も該当するヤツが一人いる。それとは違うのだろうか。
「まあ似たようなもんだね」
「違います」
二人の意見がきれいに分かれた。いったいどっちなんだ。
「同じと括って良いモノならばわざわざ別称などつけません。つまりEMPはEMPでありESPとは違うものなのです」
「光明寺。キミの思考、少しずつ班長さんに似てきてるよ。朱に交われば何とやらかい」
少年の言葉を無視し黒衣の少女は更に続ける。
「ついでに申し上げるのならば、あなたからEMPの気配は全く感じ取れません。あなたはただの一般人です」
そんな事はわかってる。宇宙人、未来人、超能力者と異彩放つ三人からのお墨付きだ。
それよりもわからないのはお前たちだ。そんな訳で俺からも一つ訪ねさせてもらおう。
「構いません。わたくしの知る知識内で答えられる範囲でしたらお答えします」
黒衣の少女はどう見ても俺よりこの部屋の住人っぽい存在感と態度を見せてくる。例えるならば傲岸不遜。天上天下唯我独尊、傍若無人なハルヒに近い感じだ。
俺は額に眉を寄せながらとりあえず思いつく限りの可能性をぶつけてみる事にした。
結局お前たちは何者なんだ。とりあえず宇宙人か未来人か超能力者か、はたまたそれ以外の存在なのか。まずはそこから教えてくれ。
「まあ何て失礼なお方でしょうか!」
俺の質問に黒衣の女性は目に見えて怒りの表情を見せてくる。その反応はまるで馬鹿にされて怒る一般人のようだ。
……もしかして、格好がアレなだけで実はこいつら一般人なのだろうか? 俺が失敗したかと考えていると黒衣の少女は指を突きつけて怒り出した。
「未来人や超能力者はともかく、宇宙人に例えるとはどういう所存ですか。あなたの常識と言うものを疑いたくなりますわ。
わたくしを見てこれは何の撮影か、それともどっきり撮影かとか、そういう疑い方をするのでしたらわかります。わたくしはわたくしの容姿が、人より多少なりとも好感が持てる姿を持っている事を理解しています。それは言うなれば自然の理、懐疑的になるのも仕
方がない事と言えるでしょう。
ですが。このわたくしを、よりにもよって銀色の頭でっかちやイカタコの発展系と同列に並べるという、その常識外れた思考はいかがなものかと思いますわ。ここはわたくしが怒っても当然の場面、その結果あなたに突然不慮の事故が発生したとしてもそれは身から出た錆と考え、どうぞ清潔な白いベッドの上で自戒してくださいませ」
そう言って黒衣の少女がこちらに向けて指を指す。と、その伸ばされた腕を少年が後ろからそっと抑えた。
「そんなむきになるなって、光明寺。俺たちも言ってしまえば謎の生命体のような存在じゃないか」
「全然違いますわっ! 少なくともわたくしは──!」
二人の掛け合いを見ながら考える。どうやら失敗したわけではないようだ。
宇宙人に対しての認識は常識人っぽい事を言っているが、未来人や超能力者に関しては「ともかく」と一言で流せるようなヤツらだった。つまりこの連中はその系統の人間であり、また何か始まったのかと俺は二人を見ながらがっくりと肩を落とし溜息をついた。
俺のこの憂鬱気分、誰か何とかしてくれないもんだろうか。
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二人の喧騒を尻目に、俺はこういう時の切り札をいきなり使う事にした。
あまり長門に頼るのもどうかと思うが、どう考えてもこいつらがSOS団を巻き込む事になるのは目に見えている。それなら相談ぐらいしておくべきだろう。先日の朝比奈さん誘拐の時のくじ引きで、その辺はイヤというほど思い知らされたしな。
ついでに一度やってみたかった事でもあるので丁度いい。
「長門、今すぐ部室に来てくれないか?」
俺は首をやや上に向けて、天井を見つめながら言葉を出した。手に携帯でも持っていれば誰かと話しているように見えるだろう。だが俺は携帯をかけている訳ではない。
ただ何も無い中空に語っただけだ。
「……へぇ、やるねぇ。アポーツ能力かい? それなら俺も」
そう言って少年がすっと手を前に伸ばす。ポンという小気味良い音がすると、少年はいつの間にかボールペンを手にしていた。
「うーん、やっぱりうまくいかないね」
「あなたのその子供だましな手品と比べているのでしたらレベルが違いますわ。それであなた、今一体何をしたんです?」
ボールペンをもてあそぶ少年に一度突っ込みを入れた後、黒衣の少女が訝しげにこちらを伺う。
何をしたかと聞かれても別に……ああ、さっきの長門への呼びかけか。いきなり手品なんて見せられたからすっかり忘れていた。
いや、何でもない。こうやって俺が呼ぶだけで知り合いが飛んできたらちょっと面白いかなと思っただけだ。
俺の言葉に、しかし黒衣の少女は表情を崩さない。
少年は少年でそんな黒衣の少女を見つめながら微笑み続けている。気づけばボールペンは既に手にしていなかった。
「あなたに聞いたのではありません。この人の言う通り、あなたが呼び寄せたかもと考えもしました。ですがわたくしなりに何度チェックをしてみても、あなたからEMP能力は全く感じとれません。という事は、いくらあなたが思わせぶりに何か行動を起こしても、それによって起こった行為があなたの仕業で無い事だけは事実なのです。
ですからわたしはあなたにではなく、あなたの後ろに現れた、そちらの物静かな女性に尋ねているのですわ」
は? 後ろ? そう言われて俺が振り向くと、
「…………」
そこにはいつの間にか長門が立っており、無言でじっと俺の事を見つめていた。
正直に言おう、本気でびっくりした。
思わず悲鳴を上げたりその場で飛び上がったり失禁したりしなかった事をどうか褒めてもらいたい。
そして長門よ、頼むから無音で俺の背後に立つのだけはやめてくれ。この調子で驚いていたらそろそろ一回ぐらい心停止を起こしそうだ。
「…………」
俺が何に驚いているのかがわかっていないのか、長門はただ首を数ミクロン程横へ傾けながら見つめてくる。
まあいい。人間が驚くアルゴリズムなんてものを長門に説明しようものならばその話題だけで今日一晩徹夜してしまいそうだ。それはまた今度機会があったときにでもしよう。今はとりあえずおいておく。
それよりも長門。もしかしてもしかすると、お前は俺が呼んだ声を聞きつけて部室までかけつけて来てくれたのか?
「わたしの取れる、考えられる限り最速の手段で来た」
廊下に上履きで作ったドリフト痕が無い事を俺が祈っていると、長門はすっと俺の前に立ち闖入者たちを見つめだした。
ややあってから再度俺に向き直る。
「物理、精神、情報、その全てにおいて防御障壁が展開されている。解析不能。発生源はリボンと思われる」
何だそりゃ。まさかあのリボンが情報統合思念体からの力を上回るって言うのか。
「そう」
「……何人たりとも、このリボンに籠められた力を打ち破る事はできませんわ」
黒衣の少女は俺たちを見つめながら、優しくリボンに手を添えた。
「このリボンは……二度と戻る事のないわたくしたちに対して、わたくしの親愛なる友人が贈呈してくれた大切な物。そう、彼女のばりやーは────無敵です」
よりにもよってばりやーかよ。もっとイージスの盾とかそういう表現は無かったのか。
「ありませんわ。ばりやーという名前は、この失くしたはずのリボンを渡してくれた、わたくしの敬愛すべき親友がつけた名前。彼女の意思を尊重する事に比べれば、名称のチープさなど全く以って問題ではありません」
黒衣の少女がリボンに静かに触れながら優しく微笑む。その表情は谷口でなくても最高ランク評価を与えたいぐらい、正直に言って可愛かった。
「とまあ、そう言う訳さ。それに彼女のはともかく、俺のはただの盾じゃないしからね。イージスの盾と呼ぶいう呼称はちょっと変かな」
少年が水色のリボンを指して続ける。黒衣の少女は少年に厳しい視線を送ると一喝した。
「わざわざ手の内をばらしてどうするのですか、あなたは!」
「別に彼らは敵じゃないんだから構わないと思うね。それに万が一彼らが敵だったとして、俺たちじゃどうがんばってもあの子には勝てないよ」
少年は肩をすくめた後、こちらへ改めて向き直る。
「さて、そろそろ重要な事を話そうか。実は俺たちはわざわざこの部室を訪れたくやってきた訳ではない。俺たちは気づいたらこの部室の前に立っていたんだ。
俺も彼女も生憎と偶然って言葉は信じないタイプで、つまりここにこうして俺たちがいるのは何らかの必然なんだと、俺は思う。
では何故俺たちはここにいるのか。これから俺たちはどうしたらいいのか。キミたちの知恵を貸していただきたい。
俺たちは何の為の登場人物なのか、それを解き明かすために」
少年はターン終了と言わんばかりの視線を投げつけてくる。さてこれは一体何の前兆だ。
俺は一旦長門を見つめ、そして再び闖入者たちへと視線を戻した。
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部室のドアがノックされる。部室内にいるメンバーを見渡し、仕方なく俺が応対に出ると
「あぁ、あなたでしたか。ちょうど良かった。涼宮さんは?」
我らSOS団きっての自称超能力者が、いつもより笑みを三割ほど減らして聞いてきた。
ハルヒなら今日は休みだ。体調不良だって言って帰ったぞ。
「体調不良……やはりそうですか。ちょっと失礼」
古泉が扉から離れて携帯を取り出し、何処かへと電話をかける。どうした、また何処かで閉鎖空間でも発生したのか。
部屋の連中に聞こえないようにと、俺は廊下へ出て扉を閉める。
「まだ僕にもわかりません。ですが、何だかおかしいんです」
携帯に何か一言二言だけ告げると、古泉は携帯をしまいながら告げてきた。
「涼宮さんの精神波が今までに無い波長を示しています。閉鎖空間を発生させている時の感覚にも似ているのですが……実際のところはわかりません。閉鎖空間が発生したと言う報告も今のところは受けていません」
なるほど、それでハルヒを確認しようとしたわけか。
「ハルヒのヤツ、熱っぽいとか言ってたな。案外アイツの病気が影響してるんじゃないのか?」
「いえ、涼宮さんが熱病やその他病気にかかった時にも確かに閉鎖空間、そして《神人》は発生していました。ですが今回の様な不完全な感知なんて前例がありません。少なくとも僕は知りませんし聞かされた覚えもありません」
それなら一体何が────とそこで俺は今回のイレギュラーな存在たちを思い出した。
「古泉、EMPって言葉に心当たりないか」
「EMPですか? ……いえ、残念ですが。それは一体」
「俺にもわからん。だがそれが今回の件に関わっているのはおそらく間違いない」
俺はそう言いながら、古泉にあの二人と会わせてやろうと部室の扉を開けた。
「こんな状況でわたくしたちを放って、一体何をなさっていたのですかあなたは!
こちらのお方は何を話しかけても我関せずと、先ほどから本を読んだまま全く反応を示しませんし! 全く以って不愉快この上ありませんわ!」
黒衣の少女が俺の姿を確認するなり指を突きつけて指摘してくる。視線を横に走らすと、長門はいつもの位置でいつもの様に分厚い本を読み始めていた。
「まあまあ、彼らには彼らの事情があるんだろうって。それよりどうだい、お茶でも飲みながらオセロでも」
少年は給湯設備を一瞥しながら棚を漁り、俺が持ってきたオセロを取り出していた。
「あなたはあなたでもう少し遠慮と言うか危機感を持つべきですっ! 罠でもあったらどうするおつもりですか!」
「部室に罠を仕掛ける部活なんて滅多にないよ。そうだな、<黒夢団>ならありえるかも知れないけれどね」
悪びれもせずに答える少年。少し目を離しただけで部室内は大騒ぎ状態になっていた。
「……えっと、彼らは一体?」
流石に引きつった表情を浮かべながら、古泉が俺に説明を求めてきた。
俺に答えを求められても困る。
「すいませぇん、お掃除が長引いて遅れました〜。……あれ、キョンくんに古泉くん。二人して廊下に突っ立ってどうしたんですかぁ?」
入口で立ち尽くす俺たちにエンジェルボイスが投げかけられる。俺は声のした方を振り向き、我が青春の理想郷である朝比奈さんをじっくり見つめて心技体全てを癒すと、とりあえず古泉と朝比奈さんを部室に通してから緊急会議を開く事にした。
何かが起こっている。この状況はそれを承けた結果に過ぎない。珍客二名に視線を送りながら、俺は体調不良を訴えてきた元気のないハルヒの顔を思い出していた。
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・継承
黒衣の少女は光明寺茉衣子、少年は観音崎滋と名乗った。
「さっきの光明寺の考えで言うと、俺たちがこの名前を使っていいのか実に悩むところだけれどね」
「わたくしは生まれた時から光明寺茉衣子です。ですからわたくしが光明寺茉衣子と名乗っても何も問題はありません」
「ま、名前なんてただの記号だと言うヤツもいる事だしね。別に俺も構わないさ」
そんな禅問答のような自己紹介の後、俺はお盆にお茶を持ってきた朝比奈さんに尋ねた。
「そうだ。朝比奈さん、ハルヒの家って知ってますか?」
「え、あ、はい。知ってますけど、どうしてですか?」
最後に古泉へお茶を渡してお盆を抱きかかえると、朝比奈さんは俺に興味を示す純粋無垢な瞳を向けてきた。ちなみに今日は衣装に着替えてない。来客者がいるのもあるが、俺なりに考えがあって、着替えるのを待ってもらった。
「知ってるなら話は早いです。実はハルヒのヤツが調子悪いって言って帰りまして」
「え……涼宮さんが?」
俺は朝比奈さんにハルヒの状態を伝えた。そして俺なりに考えたその原因も。
古泉の言葉を信じる限りハルヒの体調不良は《神人》関連、つまりは古泉サイドがらみとみて間違いないだろう。その場合ハルヒに必要なのは休息や医者などではない。《神人》を何とかするための力だ。
「朝比奈さんにはハルヒのお見舞いに行ってもらいたいんです。できれば今からすぐに。
俺たちとの連絡係もかねて、ハルヒの様子を見ていてもらいたいんですよ」
「ふふっ、キョンくんったら素直じゃないですね」
朝比奈さんは少しだけ成長したやんちゃな弟を優しく見守るお姉さんの様な表情を浮かべて俺の事を見つめていた。何かもの凄い誤解をされているようだ。
「わかりました。そういう事でしたら、みなさんの分もちゃんとお見舞いしてきます」
朝比奈さんはお盆を片付け帰り支度を整える。一瞬ナース服に目をやりつつ悩んだのが何ていうか朝比奈さんらしい。これ着て看護したらハルヒが喜ぶと思いますよ。
「やっぱり、そう思いますよね。それじゃこれ借りていきま〜す」
ナース服とカバンを持ち、朝比奈さんは部室を後にした。これでハルヒの方に何かあれば朝比奈さんがすぐに連絡してくれるだろう。
観音崎が一連の動作を見つめ、光明寺に視線を移し、最後に俺に向かい合った。
「……今の人、何でナース」
おっと、それは禁則事項だ。聞くな。
「なるほど。あなたがここでの高崎兄の役割なのですね。しかし無能者な存在であるという部分まで同じとは」
光明寺が頷く。無能で悪かったな。そして誰だそいつは。これ以上まだ誰か増える予定があるとでもいうのか。
「いえ、こちらの話です。お気になさらず」
多少気にはなるが気にするなと言うのなら放っておこう。こっちは既に山のような懸案事項で思考が飽和状態だからな。
さてどうするかね。俺はとりあえず手持ちのカードを思い切りよく切ってみる事にした。
「まずはそちらに聞きたい。閉鎖空間、そして《神人》という言葉に心当たりはないか」
「ちょっ……!」
流石に古泉が止めようと動くが、俺はアイコンタクトでそれを制止させる。
「閉鎖空間、《神人》……いえ、どちらも存じませんわ」
「《神人》は知らないけれど、閉鎖空間と呼べそうな状況なら知っている」
またしても意見が分かれる。だからどっちなんだ。
俺があきれながら突っ込もうとしたら、光明寺も観音崎の意見に対して意外だといった表情を浮かべていた。
「あなた、知っているとはどういう事ですの?」
「どうもこうもないさ、光明寺。キミもよく知ってる場所だよ」
「わたくしが? それはいったい何処ですの。わたくしはそういう勿体ぶった言い方は嫌いだと前に申し上げたはずです」
光明寺が更に聞き返す。観音崎はそうだったねと微笑むと
「俺たちのいた学園だよ。あそこはEMP能力者が数多くいた為、学園全体は物理的、能力的にある種の結界が展開されていた。想念体だって学園内にのみ発生して外には出ていかない。全てひっくるめて、あそこは閉鎖空間だったじゃないか」
観音崎は主に光明寺に教えるように答える。あまり事情が飲み込めないが、どうもEMPと呼ばれる謎の能力者が集う謎の学園がどこかにあるらしい。知ってたか、古泉。
「いえ初耳です。……そして実に興味深い話です」
そして視線を長門へ送る。
「創作文献で読んだ事はある。でもこの世界においてそのような学園の存在は知らない」
まあ超能力学園だなんて設定があるなんて、どう考えたってファンタジー小説の世界だよな。
「全く同感です」
お前が言うな、超能力者。
- * -
その後、彼らと古泉の情報提供と腹の探りあいが一時間ほど続いたのだが割愛する。
こいつらが何を言っているのかわからない事の方が多かった事もあるし、古泉なりに解釈したEMPの定義についてなど今回の件に必要ない部分もかなり多かったからだ。
その間二回ほど朝比奈さんから連絡があり、ハルヒの状態が伝えられる。
どうも家の人がいないらしく、ハルヒは一人で寝込んでたという。朝比奈さんを看護に送りだして正解だったようだ。
『えっと、何か身体の中で知らない人が暴れてるみたいな、そんなイライラする感じらしいです。私にはよくわからないんですけど、キョンくんわかります?』
すいません、何が言いたいのか全然わかりません。病状に関してはとりあえずおいておく事にし、俺はハルヒに電話を代わってもらえるよう告げた。
『……何よ』
とりあえず生きてるみたいだな。何だかよくわからん病気みたいだがとっとと治せよ。
『ふん、あんたに言われるまでも無いわ。こんなの一過性、大した事なんて無いんだから。見てなさい、明日のSOS団課外活動までには絶対完治してみせるわよ』
そうか、そいつは頼もしいな。だが明日も体調悪かったら無理せず休め。一時の意地で体調を更に悪くしたりしてみろ、それこそ団員みんながお前の事を心配するぞ。
『……それも、あんたに言われるまでも無いわ』
そうか、そうだったな。それじゃあ、今日はゆっくり寝てろ。病人のわがまま範疇内なら朝比奈さんに色々頼め。朝比奈さんも頼られるためにそこへ行ったんだから。
『……あんたに』
あ、そうそう。もし明日治ってなかったら団員全員で見舞いに行くから。それじゃ。
『な! ちょ、ちょっと待…!』
ぷつっ。ハルヒの叫び声を聞かず俺は通話を切り、ついでに電源も切っておいた。
- * -
さて、情報提供の〆として行われた古泉の長ったらしく遠まわしな解説から、なんとか俺が理解できた事だけを述べていこう。
彼らはEMPと呼ばれる能力を持ち合わせている。それは思春期の少年少女にのみ現れる、まさに不思議な能力なのだそうだ。
その力や、テレポートやサイコキネシスといった世間一般で言われている超能力のような力から、おみくじで必ず中吉を引くといった何の役に立つのか全く持ってわからない能力まで多種多様。また一人で何種類の能力を持つ者もいるという。
能力が現れる人間はまれで、世間ではEMP能力についてトップシークレットとなっている。また時期は人によってまばらだが、平均して思春期を終えるころになるとEMP能力は消失してしまう。これは今のところ例外無しの事項だそうだ。
さて、世間一般の目には秘密にしておかなくてはならないEMP能力。それが発動してしまった少年少女たちは政府が秘密裏に運営するEMP専用の全寮制学園に編入させられる。それが彼らのいたEMP学園なのだそうだ。
彼らのいた学園の状況は、古泉の背後関係である『機関』によく似ていた。
彼らの不思議能力は時として『想念体』と呼ばれる謎の存在を生み出すという。生徒たちが放射する不思議な精神派が寄り集まり形を持つようになった存在、想念体。彼らの定義で言うのなら、《神人》はハルヒの能力が生み出した一種の想念体と呼べる事になるだろう。
想念体は基本的に迷惑な存在として認識される。人を襲ったり物を破壊したりといった破壊活動を行うからだ。そんな想念体を倒し学園と生徒を守る為、対想念体の能力を持った人間には対想念体業務が割り当てられる。
そして俺の目の前にいる黒衣の少女、光明寺。彼女は高いカウンター想念体能力を持っているのだそうだ。ちなみに観音崎の方はどんな能力を持っているのかはぐらかされた。
「まったく……見世物ではありませんでしてよ」
そう言いながら、光明寺は自分の指先に蛍火の様な光の弾を生み出した。同時にリボンが淡く光りだし、光明寺の身体を薄いオーラが包み込む。あれがリボンのばりやーか。
「なるほど。感覚的に感じ取れるのですが、この蛍火は僕のあの紅い超能力に似ています。
これはあくまで僕の推測ですが、この力でも《神人》にダメージを与える事は可能ではないかと思われます」
古泉が蛍火を見つめながら答えた。
まあ予想していた通りだ。そうでなければ彼らがここに存在する理由が思いつかない。
「そうだね。それが俺たちの必然なのだろう」
観音崎がすっと手を伸ばし、ぱちんと指を鳴らす仕草を取る。次の瞬間にはその手に小さく包まれた飴玉をつまんでいた。
だから何なんだその手品は。長門がさっきから微妙な好奇心を見せているじゃないか。
「必然とは、どういう事ですの」
光明寺が尋ねてくる。だがそれには俺ではなく彼女に付き添い立つ観音崎の方が答えた。
「必然は必然さ。俺たちがこうしてこの場所に立っているのは、まず間違いなく彼らのトラブルを解決する為なのだろう」
「でしょうね。彼らが訪れたのはおそらくは何者かの──そう、僕たちの力が遠く及ばない何者かの力によってでしょう」
モザイクをかけて語っているが、古泉が言いたい事は一つだろう。
つまりこれもまたハルヒの望んだ結果だと。
「長門。閉鎖空間、《神人》、あるいはそれっぽいのが発生している場所があるか」
俺の問いかけにしばし長門が目をつぶる。こう見えてもの凄い力を使いもの凄い勢いで索敵しているのだろう。その証拠に、目の前の二人からいきなり余裕の表情が消えうせた。どうもこいつらは長門の力も感じ取れるらしい。
「な……何なんですの!? こんな、こんな力が一個人になんて……ありえませんわ!」
「想像以上、だな。正直言って、彼女が人間なのかどうかすら疑いたくなってくる」
二人のリボンが淡く輝き、主を守護する不思議な光が二人の身体を覆っているのが見て取れる。長門のハイスペックでこんな状態になるんだったら、もし覚醒したハルヒとか出逢ったら一瞬にして気絶するんじゃないだろうか。
ピルルルルル。
と、突然部室に電子音が鳴り響く。固唾を呑んで長門の事を見つめていただけに、この不意打ちには驚いた。それは光明寺も同じだったようで、突然の音に胸元を手で押さえて驚きをの表情を浮かべている。
「……申し訳ありません」
古泉が電子音の原因を懐から取り出す。だが鳴り響く携帯を持ったまま一瞬俺に対して不思議な表情を浮かべて見せた。
まるでそれは掛かって来る筈のない相手からの電話が掛かってきたかのようだ。部屋から出ようと扉に向かいながら電話に出る。
「もしもし……、え? どういう事です? ……あなたの言うことが本当か、その証明を……いえ、結構です。信じましょう」
何を信じたのかは知らんが、古泉は足を止めると俺たちの元へと戻ってきた。
「それで……はい、覚えています。……何ですって!? そ、それは本当の話なんですか!?」
古泉が珍しく表情を変えて驚いている。前にこいつ自身が言っていたが、こいつが微笑を隠し驚くという状態はとんでもなくまずい状態でしかない。つまりあの電話はとんでもなくまずい内容を伝えているのだろう。おそらく俺にとっても。
「……それで僕らは……はい、わかりました。すぐに対処します。……はい、わかりました。……はい」
古泉が電話の相手に挨拶すると、そのまま通話を終えずに観音崎へと電話を差し出す。
「あなたにです、観音崎さん」
「え、俺?」
観音崎は首をかしげながらも携帯を受け取る。そりゃびっくりするよな。
「はい、もしもし。……は? キミ誰? ……ああ。……いや、俺は……その話、本当なんだな? ……わかった。……あぁ、確かめたら渡してやる」
やはり最後には納得をみせるとやはり電話を切らずに長門へと差し出した。おいおい、一体何なんだその電話は。
「えっと、長門さんだったよな。キミにだ」
もう何が何だかわからない。同じように電話が回ってきていない光明寺を見ると、彼女もまた何事かわからず苛立ちを覚えているようだった。騒いでないのは自分にも電話が回ってくるかもしれないと思っているからだろう。
長門は観音崎から携帯を受け取ると耳にあて、何故か一度だけ俺の方を見つめてきた。
「……、……、……、……わかった」
数度沈黙の頷きの後、やはり俺を見つめて一言だけ相手に返す。アイコンタクトではなくただ単に俺を見ていたいだけのようだ。
短い返事をした後、長門は携帯を切ると古泉へと差し戻した。なんだ、俺と光明寺は仲間はずれか。
「ちょっと何でしたの、今の電話は。何故あなたにまで電話がかかってくるのですか」
光明寺が観音崎に詰め寄るが、それは古泉の有無を言わせぬ制止によってさえぎられた。
「すみませんが光明寺さん、その件に関しては後にしてください。それと」
古泉が携帯をしまいつつ俺のほうを向く。何だ。
「携帯の電源が切れっぱなしでは、朝比奈さんと連絡がとれませんよ」
忘れていた。ハルヒ対策にと切りっ放しだったんだったっけ。俺は慌てて電源を入れた。
「さて、緊急事態です。《神人》が現れようとしています……いえ、現れたようです」
《神人》の気配を感じ取ったのか古泉が真剣な眼差しで告げてきた。長門や光明寺たちも何かを感じ取っている様子だ。
俺は携帯の電源が入るのを確認してポケットにしまう。そして状況を尋ねようとした途端、狙ったかのようにたった今しまった俺の携帯が鳴り響いた。設定した専用の着信音、そして取り出した携帯のディスプレイに表示される名前が朝比奈さんからである事を告げている。
「あ、すいません。さっきまで電源を落としてて……」
『キョ、キョンくん! た、大変なんです!』
俺の謝罪をさえぎり、朝比奈さんが必死の声で伝えてくる。
「どうかしましたか、朝比奈さん」
『涼宮さんが、涼宮さんが突然倒れて! 凄い熱で、わ、わたし一体どうしたら……』
とそこで何か大きな音が電話の向こうから聞こえてくる。
『うひゃあっ!! ……え、キョ、キョンくん!? ええっ!? こ、これって一体……!?』
妙な叫び声と共に電話が切れた。
何だ、何があったんだ!? 俺は朝比奈さんに電話を返そうとした。
だが、そんな俺と部屋にいるメンバーに掛けられた古泉の言葉は、慌てふためいていた俺の動きを完全に停止させてしまうぐらい、とんでもないものだった。
「ですが閉鎖空間は発生しておりません。《神人》が現れたのは閉鎖空間じゃありません。
我々の住む通常空間────────この現実世界に、です」
ハルヒの病状悪化、朝比奈さんの叫び、そして《神人》の顕在化。
何処かで何かが起き、俺たちがそれを承けた結果、事態は考えた以上に急転する。
- * -
・急転
俺と長門、そして光明寺と観音崎の四人は『機関』の用意したミニバンに乗り込んで《神人》の待つであろう現地へ向かう。
対《神人》のエキスパート古泉は
「申し訳ありません。僕は別の場所へ向かわねばならなくなりました」
そう言い残しバンに乗らなかった。いったい《神人》討伐に優先される用事って何なんだろうね。
「わたくしの方は詳しくは知らされておりません。ですがこの《神人》討伐に並ぶぐらい重要な任務なのはわかります。数少ない能力者の一人である古泉を送り込むぐらいなのですから」
バンに同乗しているメイド姿の森さんが答える。古泉に代わり、今回は彼女が俺たちと一緒に行動し、みんなのサポートと『機関』との橋渡しをしてくれるのだそうだ。
ところで何でメイド姿なんでしょうか。
「それは、そうですね。禁則事項ということにしておいてください」
どうも今年の流行語大賞は『禁則事項』で決定のようだ。
朝比奈さんにはあの後少ししてから連絡がついた。
『ご、ごめんなさいキョンくん、わたし慌てちゃって……。えっと、こっちは大丈夫です。
あ、その、涼宮さんは全然大丈夫じゃないんですけど。でも応援が来てくれました』
古泉がそっちにつきましたか。
『はい。それとEMPの人も一人来てくれています。えっと、さいばー何とかって能力者だそうです。……あ、ちょっと長門さんにかわって欲しいそうですよ』
何でそのEMPのさいばーさんは長門を知っているんだと考えつつ、俺は長門に電話を渡す。長門は一言二言相手に何かを告げるとすっと目を閉じた。
「……涼宮ハルヒならびに朝比奈みくると同席する者に対し、電子ネットワークを通じた接続を確認した。彼女は自分の事を志賀侑里と呼んでいる」
ややあって長門が再び目を開けると、携帯を俺に戻しながら告げてきた。
「志賀侑里ですって!?」
「なるほど……確かに条件は揃ってるからね。彼女がいたって別におかしくはない」
結局登場人物が更に増えた。その志賀さんとやらはお前たちの知り合いなのか?
「彼女の友人の友人さ。直接面識は無いけれどね」
「しかし、侑里さんは何故涼宮ハルヒさんの家にいるのです? 訳がわかりません」
全くだ。
「経緯は俺にもわからない。でも、そこにいる事が彼女の必然なのだろう。俺たちがここにいるのと同じ理由でね」
観音崎が長門をみる。長門は小さく頷くと、
「わたしと彼女を介する事で、どのような状況下においても双方向通信が可能」
よくわからんが、朝比奈さんたちといつでも連絡が取れると考えて構わないのか。
「構わない。閉鎖空間内からでも問題ない」
「それは頼もしい話です。これで万が一の時でも外界との連絡手段が断たれる可能性が低くなりましたね」
森さんは薄く微笑むと、再び誰かへと電話を掛けだす。彼女は彼女なりに、そして『機関』なりに色々作戦を練っているのだろう。
『キョンくん。こっちはわたしたちが何とかします。ですからキョンくんは《神人》さんの方をお願いします。
……本当にお願いします、キョンくん。涼宮さんを、助けてあげてください』
わかってます。そこで看病する朝比奈さんのためにも、そして苦しんでいるハルヒのためにも。
このメンバーの中で何ができるかわからないけれど、俺もやれる事はやろうと思います。
朝比奈さんからの激励に、俺は力強く答えた。
- * -
バンの中で俺たちはこの異常事態について話し合っていた。
「先ほど申したとおり、私たち『機関』の『超能力者』の力は閉鎖空間限定です。《神人》の顕在化に際して、《神人》の近くでなら能力者たちの能力も使用可能かもしれないと期待されましたが……やはりそう旨い話はないようです。先に現場に到着しているわたし達の仲間が確認しました」
森さんが力なく、それでも微笑を絶やさずに教えてくれる。案外古泉にあのアルカイックスマイルを教えたのは彼女なのではないだろうか。
まあそれはともかくだ。つまり古泉のお仲間である超能力者たちは、《神人》を倒す為のあの紅い力は全く使えないと、そういう訳ですね。
「はい、そうです」
長門はどうだ。お前なら《神人》を倒す事ができるんじゃないのか。
「情報統合思念体は、あなた達が《神人》と呼ぶ存在も涼宮ハルヒの一部と認識している。
わたしがあの存在に直接干渉する行為は禁止されている」
それで今まで《神人》へは不干渉だったのか。妙な部分で俺は納得した。
「という訳で、我々が《神人》へ対抗できる手段は全く無くなってしまった……と、本来ならばなっていた事でしょう。ですが──」
言葉を受け、この為に俺たちの元へとやってきたのであろう、光明寺が頷く。
「ええ。その《神人》と呼ばれる存在が想念体と同じ存在であるならば、わたくしの出番なのでしょうね」
「光明寺さまにお一つお伺いいたします。光明寺さまが過去に退治された想念体で、最大の大きさは一体どれくらいのサイズでしょうか」
「最大ですか……教室程度の大きさでしたら倒した事がありますわ。それが」
その回答に俺は苦虫を噛んだ様な表情を浮かべる。森さんをみると表情自体は変わっていないが、やはり同じような気持ちなのか、俺のほうを見つめて薄く微笑んだ。
想念体の標準サイズがどれくらいの大きさなのかは知らないが、やはり《神人》と比べると明らかに小さすぎるようだ。
何せ《神人》は────
「光明寺さま、そして観音崎さま。《神人》と会う前に先にお二人にお伝えしておきます。
《神人》とは十数階のビルに匹敵する大きさを持つ、まさに巨人といった存在なのです」
「……なんですって? 今、何とおっしゃいました?」
光明寺の表情が目に見えて固まる。隣に座る観音崎の顔からも笑みが完全に消えた。
「無駄だと思うけど、あえて聞かせてくれ。……本当なのかい、それは」
「はい、我々も常にその存在自体嘘であって欲しいと思っていますが、本当の事です」
観音崎は空を仰ぐ。ミニバンなので天井しか見えないと思うが、別に天井を見たい訳ではないのだろうから構わないだろう。
「光明寺さま。数十メートルの巨人、光明寺さまのお力で何とかできますでしょうか」
「……倒せるかどうかと聞かれれば、わからないと答えるしかありません。心に正直に言うならば、そんな化け物サイズの想念体がいるなど、わたくしは知りたくもありませんでしたわ」
目をつぶり、膝に置いた手を握り締める。それでも背筋を曲げたりせずピンとしているのは、彼女の心が気丈な証拠か。
「ですが」
光明寺は目を開く。そこにはある種の強い決意が現れていた。
「力ある者が逃走すれば、力無き者が虐げられます。それはわたくしの知る常識において、許されるべき道徳ではありませんわ
何故わたくしにこのような力があるのか────それは当然『力を使う』ためであり、それ以外に理由など無く、また必要もない。
これがわたくしが班長より教わった、心の底から共感できる数少ない言葉です」
「そう言ってもらえると助かります。我々も、そしてこの世界も」
森さんは憂いを消した微笑を浮かべてきた。
さて、何で一番の役立たずというかどう考えたってお荷物確定の俺が、この超常集団の集う対《神人》攻撃部隊にいるのかというと特に殊勝な理由があるわけでもなく、
「あなたが必要」
と長門に言われたからである。
そうでもなければ俺は自分の領分をしっかりとわきまえ、わざわざこんな危険極まりない戦場へと赴くバンになど乗らず、今頃ハルヒの見舞いにでも向かっているところだ。
ところで長門よ。もうこれで何回目なのかわからないがもう一度聞かせてくれ。
俺は本当に必要なのか?
「必要。あなたがここにいる事、それが涼宮ハルヒを救う事になる」
どういう計算でその答えが導き出されたのか、長門はきっぱりと言い切った。長門がそう言うのなら俺は従うしかない。俺に何ができるのかはわからないが、こいつが俺に言う事は正しい。それだけは絶対に疑ってはならない部分だ。
「……見えてきました」
森さんの言葉に全員が窓の外を見る。かつてハルヒの陰謀の元、俺たちが宝探しを行った鶴屋家所有の山。その山頂で木々に足元を隠しながら、まるで空に浮かぶ人影のように、直立不動の黒い巨人が下界を見下ろしていた。
- * -
すでに『機関』の力によって《神人》の立つ山を中心にかなりの距離に避難勧告が出されている。
「表向きは映画撮影と言う事になっています。報道規制は十分に行っておりますわ」
それがありがたい事なのかどうだかわかりませんが、世間への騒ぎはやはり小さい方がいいんでしょうね。できれば俺も逃げ出したい気分でいっぱいですし。
ところで森さん、一つ聞いても宜しいでしょうか。
「何でしょう」
俺は過去二回しか見たことが無い上に二度目の時は観察してる暇すらない状況だったので聞くのですが……《神人》ってあんな姿でしたっけ?
「いえ、違います。あれが《神人》なのは確実なのですが、少なくとも『機関』が今までに知る《神人》ではありません。『機関』の見解では亜種、あるいは《神人》の新しい形態なのかもしれないという声もあがっているようです」
流石に新種はヤバイでしょう。せめて亜種かアルビノ程度にしておいてください。
「……想念体、ですね」
「ああ。流石にこんな化け物的なヤツは始めてみるけどね。あの班長が見たら狂喜乱舞して勝手な行動を取りまくっていただろうね」
「ええ。あんなのがいたら事態が悪化するだけですわ。いなくてせいせいしてます」
光明寺が少しだけむきになる。どうも班長とやらは光明寺に対してNGワードのようだ。
どこの世界もリーダーには苦しめられるものなのさ。
対《神人》作戦はこうなった。
長門と光明寺の二人がコンビとなって《神人》に近づく。そしてある程度近づいた所で光明時が攻撃。長門は防御とサポートを行う。
それに離れて俺と観音崎。観音崎には攻撃手段がないが、防御障壁が展開できる事から前後の中継に入ってもらう事になった。俺が観音崎と一緒なのはこの《神人》攻撃の間、ヘタな場所に避難するよりはこいつの障壁に守られていた方が安全だと判断されたからだ。
彼らのリボンによる障壁の強度は既に検証済みで、彼らは先の実証実験で数発の銃弾と長門の強烈な一撃をその障壁で見事防ぎきってみせた。
防御に関しては問題ない。後は光明寺の蛍火次第だ。
『我々機関の方も、ありとあらゆる攻撃手段を用いて殲滅行動を開始します』
耳につけた通信機から森さんの声が届く。森さんは機関と合流し戦闘態勢を引いていた。
『──頑張りましょう。まだ明日を後悔なく捨てられる程、わたし達は生きていません』
わかっている。そんなのは当然の事だ。大体一高校生たる俺たちにこういう怪獣大戦争は似合わない。
俺たちは明日以降も、いつも通りハルヒを交えて笑いあっていればいいのさ。
『連絡。涼宮ハルヒの状態に変化発生』
長門の声と共に前方二人が動きをみせる。光明寺が手のひら大の蛍火を生み出しているのが遠くからでも見てとれた。
同時に今まで沈黙を守っていた《神人》が右手をゆっくりと振り上げ、左足を踏み出す。
そのまま《神人》振り上げた右手を斜めに勢いよく下ろす。右手の軌道上にあった木々の殆どはその勢いで吹き飛び、また残った木々も例外無く全てなぎ倒れていた。
『────こちら第三EMP学園妖撃部、光明寺茉衣子。攻撃を開始致します!』
光明寺が生み出した輝く蛍火、その第一射が漆黒の影の如き《神人》へと撃ち放たれた。
- * -
《神人》のサイズ対比で見ると線香花火の灯火程度しかない蛍火は、《神人》の身体にあたるとパンッという音と共にはじけた。意外に大きな爆発になったのか、蛍火がぶつかったあたりの黒い肌が青白く円状に輝いている。だがそれも僅かな間の事で、まわりの黒い部分が青白い円を侵食し、すぐにもとの漆黒な状態に戻ってしまった。
『攻撃は効いています。光明寺さん、続けてお願いします』
『わかっていますわ! 後ろのお二方、お気をつけて。少々派手に撃たせてもらいます!』
言うなり《神人》へ伸ばされた光明寺の指先から立て続けに蛍火が撃ち出される。
一点集中と機動力削減を狙っているのか、全弾を左足の太もも部分に対して集中砲火。
《神人》は踏み出していた左足をガクッとさせて立てひざをついた。
『どうですっ!』
「上だっ、光明寺!」
《神人》が立てひざをついた勢いを利用し、左腕を長門と光明寺目掛けて勢いよく振り下ろす。
『くっ、ばりやー展開っ!』
『…………』
二人がそれぞれ障壁を生み出し左腕を防ぐ。直接的な衝撃は二人の防御障壁で防いだものの、地面に伝わる振動で光明寺がよろめいた。長門がとっさに手を伸ばしてそれを支え、光明寺が転ぶのを寸前で防ぐ。
『た、助かりましたわ。礼を申し上げます』
『いい。それより、来る』
『え?』
声につられ光明寺が、そして後ろに立つ俺と観音崎もまた《神人》を見る。《神人》は目の前の二人を敵と認識したのか両手を振り上げ、その驚異的な質量を二人に対して次々と交互に振り下ろしてきた。
『きゃああ──────────っ!!』
「光明寺っ!」「長門っ!」
光明寺の悲鳴に俺と観音崎の叫びが重なる。もどかしい事に俺と観音崎も地面に伝わる振動のせいで、二人の元へ駆けつけるどころか立っていることすらできていない。
くそっ、これじゃ本当に役立たずじゃねぇか! 森さん! 観音崎! 何とかならないのか!
『APFSDSや対戦車ミサイルなら既に使用しています! ですが、《神人》に対して気休め程度にもなっていませんっ!』
「さっきからやっている! だが何も起こらないんだ! おい、本当に俺に能力が残っているのか!?」
そんな事俺が知るわけないだろ! くそっ、長門! せめて場所を移動しろ!
『それはできない』
長門はあっさりと俺の意見を否定した。どうしてだ。お前ならば光明寺を抱えてその場を移動ぐらい難なくできるだろう。
『わたしたちが移動したとき、この存在があなたを狙う可能性がある』
長門は遠くからこちらを見つめて言ってきた。何てこった、長門は俺たちの為に盾になりその場を移動しないと言うのか。
「だったら俺たちも連れていけばいい! とにかく撤退しろ!」
『わたし達が全員撤退すれば、この存在は何を始めるか予想できない』
長門はこちらを見つめたまま小さく呟いた。
『────だが涼宮ハルヒが生み出したこの存在が、世界を次々と蹂躙していくのは事実。
その現実を、あなたは受け入れられる? わたし達が撤退すると言う事は、あなたがそれを受け入れるという事になる。でも、あなたはきっとそれを望まない。
それにこの存在が涼宮ハルヒに影響を及ぼしているのは明らか。何らかの対策が必要』
長門はそう言葉を締め、再び《神人》の方へと視線を戻した。
正直、俺は何も言い返せなかった。
- * -
『もう大丈夫ですわ、長門さん。そのまましっかりわたくしを支えていてくださいませ。
攻撃を再開します!』
光明寺から蛍火が射出される。振り下ろされる両腕に対しとにかく撃ちまくるという、狙いもへったくれもない乱射状態だ。その攻撃に《神人》の動きが鈍るも、《神人》の攻撃自体は止まらない。
『……長門さん、どうか正直におっしゃってください。わたくしのこの攻撃で、あの巨人を倒せると思いますか?』
次々と蛍火を撃ちながら光明寺が尋ねる。長門は一呼吸分だけ時間を取ると絶望的な回答を述べた。
『あの存在が回復する速度はあなたの攻撃が与える損傷度を上回っている。この攻撃のみでは不可能』
『……やはりそうですか。さてどう致しましょう。こうなってはもう機械仕掛けの神にでも祈るしかないでしょうか?』
そう言いながらも攻撃を続ける。無駄だとわかっていても止めるつもりはないらしい。
「無茶だ、光明寺! 一度退いたほうがいい!」
『この振動の中をですか? 長門さんが退くと言わない限りそれは無理と言うものです。それに、わたくし自身この場を退くつもりなど毛頭ありませんわ。無駄になっているとはいえ、想念体にダメージを与えられているのはわたくしのこの力のみ。そのわたくしが退いて、一体誰がこの想念体を倒すというのですか』
「無駄だ! キミはどこかで期待しているのかもしれないけど、いくらあの班長さんでもここには絶対にやってこられない!」
俺たちは地面の振動で転がりながらも、地道に長門たちの元へと向かっていた。
『…………わかりませんわよ。あのでたらめな存在の班長の事、もしかしたら意外な所から現れるかもしれませんわ。そして、そのような可能性がほんの僅かでも残っている限り、わたくしは無様な姿をみせる訳には参りません。
万が一そんな醜態を晒している姿をあの班長に見られようものなら、わたくしはその場で班長をくびり殺した上で自害します!』
もはやムチャクチャな理論で光明寺が撤退を拒否する。だが観音崎も必死だ。
「キミだって感覚的にわかっているんだろう! ここは俺たちの世界から見て異世界とかそんなレベルの場所じゃない。ここは……俺たちがいた世界よりも『遥か上位』の世界なんだ。俺たちの世界から何かが来るなんて絶対に無理なんだよ!」
『──それでも、です。わたくしは生徒自治会保安部対魔班、その班員なのですから』
ダメだ、意志が強すぎる。観音崎の言葉で光明寺を退かせる事はできない。
俺は転がりながら、覚悟を決めて長門に告げた。
「もういい! 長門、光明寺をつれて今すぐ退くんだ!」
ハルヒがどうの言っている場合ではない。このままでは目の前の二人がやばい。
だが。
『まだ』
長門が返す。そして今までの話の流れが何だというぐらい謎な事を告げてきた。
『まだ、あなたの指示した鍵が揃っていない』
事態は集結する。
- * -
・集結
同時に観音崎が突然右手を空へと向ける。
「何だこの感覚は!? まさか、本当に何か呼べるというのか!? ……ならば、来いッ!!」
観音崎の呼びかけに掲げた右手が輝いて応える。刹那、光が弾けたかと思うと観音崎の右手には一冊の本が握られていた。手の平より大きい文庫本サイズのちょっと薄めな本だ。ポップなイラストとふざけたタイトルがいわゆるライトノベルである事を示している。
……ん? どっかで見たことあるような本だと俺が記憶を漁ろうとすると
『それを、わたしに』
間髪いれずに長門が告げてきた。
そうだ、それどころじゃない。俺は反射的に叫んでいた。
「観音崎、その本を長門へっ!」
言ってからどうやって渡すんだと考える。長門たちの場所までまだ距離がある。投げたところで届かないし、そもそも地面の振動がそれを許さない。だが観音崎はわかったと応えると何も考えずに本を放り投げた。
「この大きさなら俺でも操れる……頼むぜ、寮長の妹さん! 飛んでけええッ!!」
観音崎の水色のリボンが光ったかと思うと、放物線を描いて飛んでた本がいきなり空中に静止する。そして長門目掛けてありえないぐらいまっすぐに飛んでいった。重力なんて完全に無視、まるで野球大会の時のインチキボールだ。
長門が右手を真横に伸ばし、後ろから飛来する本を振り向きもせずに受け取る。左手で光明寺を支えているというのに、なんとも器用なものだ。
『媒体を入手、鍵は揃った』
そのまま手にした本を額に当てる。
鍵だと? さっきから長門は何をしようとしているんだ。
『機械仕掛けの神より接続。確認。《自動干渉機[アスタリスク]》、わたしにも機会を』
恐ろしく静かな声で淡々と長門が呟く。いつもと違い、まるで機械音声のようだ。
驚く俺たちをよそに、長門はそのまま抱きかかえる光明寺に告げる。
『対象より条件提示。機械仕掛けの神の名を入力せよ』
あっけにとられたような、雰囲気にのまれたのか、光明寺の息を呑む音が聞こえてくる。
『き、機械仕掛けの神?』
機械仕掛けの神、デウスエクスマキナ。「状況を一気に打破するご都合主義」の事だ。
決して万能インターフェースである長門の事ではない。と、思う。
『あなたが信用せず、だが信頼するモノの名を』
長門があくまで冷淡に告げる。ややあって、今度はふぅとため息に似た息遣いが耳に届いてきた。
『……こんなふざけた状態をどうにかできるようなふざけた存在など、わたくしはたった二人しか存じておりません。そしてわたくしの前に立つのは想念体。ならばわたくしが呼ぶのは不本意なれどただ一人です。
ええ、良いでしょう。わたくしが全く以って信用せず、だが全身全霊を以って信頼するその機械仕掛けの神の名、お教えして差し上げますわ。
其れは第三EMP学園の恥部、<黒夢団>首領にして生徒自治会保安部対魔班班長!
そしてわたくしを勝手に一番弟子と呼び付きまとう天上天下唯我独尊なあの男!
常に被害を拡大し事態を最悪へと動かす故に誰からも信用されない存在でありながら、それでいて全てを終結させる力を兼ね揃えるが故に誰よりも信頼される存在である、第三EMP学園きってのトリックスター!
──その名、班長、宮野秀策っ!』
<正解だ、茉衣子くん! 我が愛すべき後輩にして唯一なる弟子よ!>
そんな男の声が届くと共に、《神人》の足元を中心に闇のように昏く巨大な同心円が出現した。
- * -
突如現れた闇の法円から無数の黒い触手が伸び始め、《神人》の身体をがんじがらめに捕らえて動きを封じる。
「はっはっはっ! なかなかに楽しい状況になっているではないか、茉衣子くん! 私ももちろん参加させてもらうとしよう!」
触手の拘束によって《神人》の動きが、攻撃が止まった。俺と観音崎は《神人》から受け続けた振動で三半規管がいかれた状態だったが、ふらつきながらも何とか立ち上がると長門たちの元へと走り出した。
「光明寺! これはいったい! あの闇の法円はまさか!」
「ええ……冗談半分で期待したら本当にやってきてしまったようですわ、あのアホ班長」
光明寺が前方を指差すと、そこには白衣を纏い両手をバンザイ風に広げて笑いながら《神人》と向き合う人物の姿があった。どうやらあれがその班長とやららしい。
それで、このブラックライトのような法円と今夜の夢に出てきそうな薄気味悪い触手はそこで笑っているちょっとアレっぽく見える彼の仕業か。
「そうですわ」
「だ、だけどどうやって!? ここは彼の表現でいえば『上位の世界』だっていうのに!?」
「話は後にしたまえ! 今は議論を行う時ではない。実務の時間だ!」
班長──たしか宮野だったか、は振り向いて檄を飛ばす。言ってる事は格好良いがその心底楽しんでいるという笑みが全て台無しにしていた。どこかの百ワット団長を思い出す。
「ええ、確かに。ですがこれだけは言わせてください。いったい誰があなたの愛すべき後輩で唯一なる弟子なのですか!」
「無論キミに決まっていよう、茉衣子くん!」
宮野は何を言っているんだと言わんばかりに返す。そしてこちらに近寄るとおもむろに光明寺を抱き寄せた。
「なっ! ……何をなさるのですか、この変態!」
「全て後だと言ってるだろう。キミは何よりも先にすべき事がある。違うかね」
「違いません! ですからわたくしを放してください! 班長がわたくしに抱きつく理由が全く以ってわかりません!」
「意味などない。ただムードを盛り上げただけだ。久しぶりの抱擁にこう元気が注入されやる気がふつふつと沸いてくるかと思ってな!」
「余計そがれます!」
白と黒のかけあい漫才が続く。こうも息がぴったりだと二人に気を取られ《神人》の事すら忘れてしまいそうだ。
「やれやれ、一安心みたいだね。光明寺も緊張が解けたようだ」
観音崎もなにやら安堵の息を漏らしている。どうしてそこまで余裕になれるんだお前ら。
「あの二人が組んで解決しない事など一つもなく、生き遂せた想念体もまた一体もいない。それが俺たちのいた学園で常識だったからさ。
そう言う訳でお二人さん、早いとこ何とかしてもらいたいんだけど」
観音崎が二人に水を向ける。光明寺たちは再会の抱擁状態から、いつの間にやら光明寺の肩を宮野が背中から支える姿勢へと変わっていた。
「わかっておる! さあ茉衣子くん、キミの力であの巨人の外側に群がる想念体どもを派手にぶっ壊したまえ!」
びしりと肩越しに《神人》を指差す。って、外側? なんだそりゃ。
「うむ! アレは想念体が巨人に纏わりついておるのだ。だからあの巨人は本来あるべき力を揮えないでいるのだろう。内面で葛藤しているのがヒシヒシと伝わってくるぞ!」
本来の力──つまり閉鎖空間か。《神人》が、ハルヒが閉鎖空間を生み出せないのは取り憑いている想念体が原因だと、そう言うのか。
「そう。涼宮ハルヒの意思に纏わりつく意思を破壊すれば、あの存在も涼宮ハルヒも正常状態に回復すると思われる」
『そうなったら、後は我々能力者たちの出番です』
長門が俺の意見にうなずき、森さんがそれを受ける。まさにその通りだ。
「さぁキミの力を見せてやれ、茉衣子くん。キミはあんな想念体などに遅れをとるようなやつではない。キミの力もまた然りだ。前にも言ったがそれはあちらの茉衣子くんだったようが気がしなくもないのでもう一度言おう。しかとその心に留めるのだ。
──信じることだ、茉衣子くん。限界を設定しているのは自分自身の心だ。EMP能力を持つ者に力の強弱は本来ない。相手が超回復を持つのならば、キミはそれを上回る圧倒的な力をぶつければいい。そう、思い込みさえすればいいのだよ」
光明寺が両手を伸ばす。右手の中指と人差し指を伸ばし、銃のような形をとる。左手は右手首をしっかり握り支えて揺れを止める。
光明寺が見据えるその指先に今までとは段違いに輝く、こぶし大の蛍火が灯り始めた。
「信じたまえ、茉衣子くん。キミは無敵だ」
「────当然です」
それを合図に心のトリガーが引かれ、蛍火はまっすぐ《神人》目掛けて飛んでいった。
触手をすり抜け《神人》に蛍火があたる。着弾地点を中心にして黒い身体に光のヒビが無数に走り、乾いた音と共に砕け散った。黒い外側が弾け飛び、中から青白い《神人》が姿を現す。青白い《神人》が自由になった身体を伸ばし声なき声を叫ぶと、《神人》から強烈な波動が打ち出される。俺はとっさに長門を庇おうと抱き寄せ《神人》に背を向けた。
いつの間に目をつぶっていたのか。
「大丈夫」
長門の声に意思を取り戻し目を開くと、そこは先ほどと同じ景色で、しかし灰色が支配する空間だった。どこからともなく飛び出してきた紅玉の光が《神人》に突撃していく。
『光明寺さま、観音崎さま、そして宮野さま。我々はお三方に心の底から感謝いたします。もちろん、SOS団のあなた方にも。……さあ、下がっていてください。後は、閉鎖空間で《神人》を倒すのは、我々の役目です』
「うむ、そうしよう。この空間もキミたちも、もちろんあの巨人も実に興味深い。さあ茉衣子くん。我々の出番は終わりだ。後は特等席でじっくりと見物させてもらうとしようではないか」
- * -
二つのリボンと長門の障壁展開で安全地帯を生成し、俺たちは腰を下ろす。もしこれを破れる力が襲い掛かってきたとしたら、その時すでに世界は終わっている事だろうよ。
「班長さん、キミはどうやってこの地へ来たんだい?」
一息ついてまず切り出したのは観音崎だった。確かに今回最大の謎だ。ご都合主義にもほどがある。だが宮野はその場におもむろに立ち上がり腕を組むと、質問に対し
「つまりキミたちは私が宮野秀策だと信じて疑わないのだね」
と妙な質問で返してきた。
「信じても何も、班長は班長ではないですか。ああ、それとも実は班長は人類ではなくて何か別の生命体ですか? そしてわたくしたちにその事実を暴露して、正体が知られた以上宇宙の果てや地底と言った本来の自分の世界へ帰還しようと、そういう事なのですね」
「ふむ、さすがは我が最愛なる弟子だ。迷う事無く核心を突くとは、いやはや師として嬉しい限りで今にも踊りだしそうだ!」
光明寺の表に出まくりな皮肉に、宮野はまるでご褒美を貰った子供のようににこやかに微笑むと光明寺の手を掴み、引っ張り上げ、両手を取ってぐるぐると回りだした。
「な、何をなさるのですか! 紙一重の先を行きすぎですわ! その手を離しなさい!」
「……で、どういう事なんだい班長さん」
いつもの事だからと特に驚いた様子も見せず話を進める観音崎に、宮野は素直に手を離し踊りをとめるとあっさり解答を告げた。
「判らないかね。私はキミたちと同じ存在なのだよ、茉衣子くん。
私もキミたちと同じく人の意思──私の場合この少女だったがまあその辺りはどうでもいい。詰まるところ、誰かの意思によって生み出された存在だと言う事だ。キミたちは確か<シム>と呼んでいたか? この私もそれだ。だから正確には宮野秀策がこの世界にやって来たわけではない。私のコピーが、つい先ほどこの世界に誕生したのだ」
なんだかとんでもない事をさらりと言わなかったか、こいつ。話についていけていない部分が多いが、ひとつ質問させてくれ。
つまりお前、いやお前たち三人は、実は人間じゃないってことなのか?
「その通り。そして元をただせば私たちとあの巨人に群がっていたモノは同じ存在である。私たちはより明確な意思によって生み出された故にこうして人としての身体をとり、人としての知性を持ち、人としての意思を宿している。
オリジナルとの相違がどれだけあるのかという点はともかく、私たちは限りなく人間に近い存在なのだ。彼女と共に居るキミならば、この意味が判るだろう?」
宮野はそういい長門に視線を送った。確かに彼らが人間かどうかなど既に些細な事なのかもしれない。今更人間っぽい人間外生命体が現れたところで、驚く感情は品切れ状態だ。
「世界は今、涼宮ハルヒの力によって<シム>が生み出せる状態になっている」
長門が静かに語りだす。
「涼宮ハルヒの力によって想念体が生み出され、その想念体が涼宮ハルヒに取り憑いた事で世界はこの状態になった。
だがこれは一過性のもの。涼宮ハルヒから想念体が分離した為、あと一時間程度でこの特殊な状況は収束する」
つまり《神人》に取り憑いてたような想念体がこれ以降もわらわら出現する、って事は無いんだな。それを聞いてとりあえずは安心したよ。しかし、だ。
「ちょっと待ってください。班長がわたくしたちと同じ<シム>だというのはわかりました。わたくしの力を当てればそれが真実かどうかはっきり致しますが、そこはぐっと堪えて我慢しておきましょう。ですがその場合、新たな疑問が生まれます。
わたくしがこうして見る限り、班長はどう見ても本物の班長と寸分違わぬ存在に思えますわ。そう、まさにあの時のわたくしと同じように。百歩譲って、長門さんが若菜さんと同じく他人に色眼鏡を付加せず観察する事ができる人だと致しましょう」
その点は一歩も譲らなくていい。長門は殆どの物事に対し、それをありのままに捉える事が可能なやつだ。
「そうですか。ならば尚更大きな疑問が残ります」
ああそうだな。問題は長門がいつ、何処でこの宮野の事を知ったかと言う事だ。
長門、お前いつの間にこんな訳わからんやつと知り合いになっていたんだ?
「……」
長門は物言わず、すっと一冊の本を差し出してくる。それはさっき観音崎が召喚した文庫本だ。赤い背景に吸血鬼の扮装をした女の子が描かれたその表紙には、やはりどこかで見た記憶が残っている。
俺が頼りない自分の記憶を探していると、横から伸ばされた手に文庫本を取り上げられてしまった。もちろん宮野である。
「ふむ、これが我らか……なるほど『学校を出よう!』とはまさに的を得た表題だな」
なにやら呟きパラパラとめくって中を確認する。ざっと見終えた後、本をこちらに投げて返すと宮野は長門に問いただした。
「キミが私と繋がっていた存在なのかね?」
「違う。あなたと繋がっていたのはその本の持ち主」
そう言って一度長門がこちらを見ると、再度宮野に視線を戻して言葉を続けた。
「あなたと繋がっていたのは、涼宮ハルヒ」
その言葉に、俺は今日の放課後だるそうにしていたハルヒの事を思い出していた。
ハルヒが枕にしていたこの文庫本の存在と共に。
- * -
観音崎が俺の手にする文庫を見つめて頷く。
「……そうか、そういう事か。班長さんの言う上位下位の世界とは、つまりこういう表現になるのか。そして長門さんはその本の既読者だったが故に班長さんの事を知っていた。そうだね?」
「その通り。わかったかね茉衣子くん」
「全然わかりませんわ」
「ふむよろしい。ヒントは与えていたつもりだったが、これまたキミが消された後に話したのかも知れんので教えよう。
私たちのいた世界には、私たちの世界に似た平行世界がある。同じ理屈で上位下位の世界も存在するのだ。例えばその小説。この世界の住人からすればその小説の世界は下位にあたる。この世界の人間がやろうと思えばいくらでも自分たちの気に入るようにその小説の文章を、つまり世界を書き変える事が可能なのだからな」
「……ちょっと待ってください、班長。もしかして……あの本は、まさか……」
光明寺がそれに気づいたのか、俺の持つ本をまるで忌むべき対象物であるかのような何ともいえない表情で見つめてきた。
「その通りだ。表紙に描かれている二人のイラストを見れば一目瞭然であろう?」
そう言われて俺は改めて表紙を見直した。観音崎は興味心身に、光明寺は覚悟を決めて俺が二人にも見えるように差し出した文庫本を覗き込む。
文庫本の表紙には、吸血鬼の扮装をした少女に抱かれる『黒衣の美少女』の姿が描かれていた。
……後で光明寺にサインでも貰っておくか。これはハルヒの本だがな。
- * -
その後も宮野の禅問答のような講座が続く。何を言っているのかちんぷんかんぷんだとなかば聞き流していた所で、俺の携帯にメールが届いた。
『またね。by SOS』
なんだこりゃ。変な広告か間違いメールか? 俺が謎のメールに頭をひねっていると
「連絡」
長門が俺に顔を向けながら告げてきた。どうやら長門の方に朝比奈さんたちからの連絡が入ったようだ。
「トラブルは回避した。涼宮ハルヒはもう大丈夫……以上」
そんな長門の報告とほぼ同時に、目の前で繰り広げられていた《神人》との戦いも決着がついていた。崩れていく《神人》を、紅玉の光が大きく取り囲む位置で待機する。
『みなさん、お疲れさまです。《神人》は無事に討つ事ができました』
耳につけたイヤホンから森さんの終戦宣言が伝えられる。これで一件落着のようだ。
「うむ。中々に興味深い戦闘だった。《神人》とやらについてキミ達『機関』とやらの見解をぜひとも伺いたい所だが後にしよう。さてそこの少女よ、先ほどサラリと言ったトラブルとは一体なんだね」
宮野が長門を指差し聞いてくる。白衣を着ているのもあってまるで教師のようだ。
指された生徒長門は返事をする事も立ち上がることも無く、少しだけ顔を動かして海洋深層水を汲み出す深さの海の色のような瞳を宮野に向けた。
「涼宮ハルヒの精神に想念体が寄生していた」
……何だって?
「涼宮ハルヒの体調不良とあの存在の顕在化は、涼宮ハルヒの精神に想念体が寄生していたのが原因。こちらで想念体をあの存在から分離させた為、涼宮ハルヒ自身からも想念体が分離した。想念体は涼宮ハルヒの思考から一つの個体となって攻撃。その場で護衛していたメンバーでそれを撃退。涼宮ハルヒは現在小康状態で眠りについている」
俺の与り知らぬ所でそんな事が行われていたとは驚きだ。
「これが、この世界の既定事項。そして」
《神人》が倒れ、閉鎖空間が終焉を迎える。空にヒビが入り、鈍色の空間は砕け散った。
砕けた世界の破片の向こうに、現実世界で俺たちを迎え入れる一人の女性の姿が見える。
その麗しい姿をしたスーツ姿の女性は、長門の言葉に続けて告げてきた。
「──そして、その既定事項を実行するのはあなたです。キョンくん」
集結した事態は、再起する。
- * -
・幕間
少しだけ先の話になる。
朝比奈さん(大)によって行われた時間移動の際、俺は何かを見た、ような気がした。
男子生徒は教室に似た一室でメガネを外し、窓の外を眺めながらタバコをふかしていた。
その部屋に一人の女子生徒が入ってくる。男子生徒は特に驚くでも取り繕うでもなく、そのままゆっくりと煙をのむ。
「……珍しいですね。会長がそんなきついタバコを吸われるなんて」
「たまにはな。騒がしい連中がいない時に限って、これを吸う事にしている」
会長はタバコの箱を放り投げる。女子生徒は受け取るとラベルを見つめ
「涼宮ハルヒもSOS団も帰宅した、今の学校の状態ですか」
会長へ向けて優しく微笑みながら、女子生徒は自分のポケットへとそのタバコをしまう。
そんな視線にも会長は少しも微笑まず、振り向きすらせずにただ遠くを見つめてタバコを黙ってのんでいた。
「さて、と。今日はもう閉めるか」
「後片付けしておきます。会長」
そうかと告げて会長が女子生徒へと近づく。女子生徒は会長が咥えていたタバコを取ると、その開いた唇へ自分の唇をそっと交わらせた。
そのまま手に持ったタバコに気をつけながら軽く抱きつく。
ほんの数秒そうしてから会長から離れると、女子生徒は春の日だまりのような柔らかい暖かさを感じさせる微笑みを浮かべてきた。
「匂い、落としておきました」
「悪いな、喜緑。じゃ、後は頼む」
「はい」
会長が部屋を後にする。残された喜緑は開いた窓に火の点いたタバコを掲げた。
「……それとも、先ほどまで戦われていた友人への餞ですか」
喜緑は会長が吸っていたタバコをピンと器用に弾き、窓の外へと放り出した。
だが、弾かれたタバコは放物線を描くことなく──
- * -
危ないところだった。もう少し遅ければ、完全に消滅していた。
その存在は静かに空間を漂う。
だが生き残った。今は無理でもいずれ自分は力を取り戻す。その時には……。
<それは無理な話よ>
突然の精神干渉にその存在が静止する。対抗策を考えるも、全てが手遅れだった。
<はい、これであんたはおしまい。終劇。ジ・エンドよ。恥さらしなお兄ちゃん>
バカな、何故お前がここにいる。
<そりゃ茉衣子ちゃんが頼るもう一人の存在ですもの。それじゃ消えちゃいなさいな>
精神干渉する声が別れの声を告げると同時に、制止させられたその存在に対して急速に接近する物体があった。
飛来する物体──喜緑の放ったタバコがその存在を貫く。タバコに残っていた火種がその存在に触れた途端その存在は一瞬にして焼失し、今度こそ完全に消滅した。
- * -
<完全に消えたわ。ありがと>
窓からポイ捨てした途端にありえない物理法則が働き、あたかもロケット花火のごとき速度で空の彼方へと飛んでいった、『平和』の名を冠する吸殻タバコの行方を見つめていた喜緑に対してどこからか声が掛けられる。
「お礼は必要ありません、《黙示録[アポカリプス]》。わたしの今回の役目は後片付け。あなたのご助力があって、逃げた想念体を迅速に捉える事ができました。おかげで思いのほか早く後片付けが済みましたわ」
喜緑が姿無き声に応える。
<そう? でもまぁお礼ぐらいは言わせてよ。アイツを倒すのはわたしの使命っていうか宿命みたいなもんだった訳だし>
「でしたらわたしもあなたにお礼を申し上げます」
窓の外に向かって、喜緑は静かに頭を下げた。
<……さて、それじゃわたしも消滅しようかな>
「あら、彼らみたいに留まらないのですか?」
<まぁね。あんたみたいに思考が全く読めない相手がいるっていうのは、凄い魅力的よ。こっちの世界のユキちゃんや坊やもちょっかい出したら面白そうだし。
でも私にとってユキちゃんはやっぱアイツなのよ。そのユキちゃんがいない世界じゃ、面白さも魅力も半減以下に感じちゃうわ。
ま、そんな訳でわたしは消える事にするわ。それじゃ〜ね、宇宙人さん>
それを最後に軽げな声も、その気配も完全に消える。
喜緑は換気を終えた窓を閉めると荷物を持ち、夕焼けに染まる部屋を静かに後にした。
──俺が見たのは、こんな風景だった。
- * -
・再起
「それじゃ、過去に向かいます。酔わないように目を閉じてください」
帰りのバンの中で俺はこれからの事について説明を受けた。後はそれを実行するだけだ。
「あ、忘れてました。時間移動の際は、携帯電話の電源をお切りください」
朝比奈さんの不意打ちに思わず笑ってしまったが、どうやら冗談ではないようだ。
「この時代の携帯には時間の概念が組み込まれていませんから、同じ携帯電話が二つあると通信障害が起こっちゃうんです。ですから」
なるほど。過去の俺が取るはずの電話を、こっちの携帯で取ってしまう可能性がある訳か。俺は言われたとおり携帯の電源を落とすとポケットへとしまった。
ついでにもう一度持ち物を確認する。俺がみんなに渡されたのは全部で三つだ。
まず観音崎が呼び寄せた文庫本。これはハルヒのだ。本と友達を大切にする長門いわく
「持ち主に返すべき」
との事で、勝手に持ち出した文庫本を持ち出す前の時間に返却することになった。
次に光明寺たちから借り受けたリボン。これがあれば無敵の障壁が展開できる。ピンクに比べ青い方は障壁の力がやや落ちるが、代わりに念動力の力が付与されているらしい。
最後に長門が精製し宮野や光明寺が力を込めた、対想念体用の軍事用ナイフ。かつて俺が二度ほど襲われ、しかも一度は腹に刺された記憶まで蘇ってくるあの忌まわしきデザインだが、その記憶はとりあえず封印しておく事にする。
まるで戦争だな。俺はいつからダイハードな人生を送るはめになったんだろうか。
目を閉じ朝比奈さん(大)の匂いを感じながら、地面が消失した感覚を覚える。
何度体験してもこれだけは馴れない。身体全体がシェイクされるような感覚が続き、何やら見たことあるような連中を遠くから眺めるような気分に陥り、そろそろ俺の三半規管がギブアップを告げようとした所で重力が正常にのしかかってきた。
「お疲れさま、キョンくん。着きましたよ」
朝比奈さんの声に目を開けると、黄昏時だった世界は太陽光降り注ぐ昼となっていた。
同時に見覚えのある家が視界に飛び込んでくる。もう何年も慣れ親しんだ我が家だ。
「……何で俺の家なんですか」
「下校する涼宮さんと落ち合わない為です。それともう一つ」
朝比奈さんが玄関を指し示すと、俺の家を見上げている少女がそこに立っていた。
何を見ているのかと視線を追えば、俺の部屋の窓際ではシャミセンが少女の事を見つめ返していた。
シャミセンが俺に気づき顔を向ける。それに合わせて少女もこちらを振り向くと
「始めまして。あなたがキョンさんですね」
見た事の無い制服を着た少女は優しく微笑んできた。
「あんた……えっと、志賀侑里さんか? <シム>の」
「はい。今し方キョンさんのお話を伺っておりました」
志賀が微笑んだままそっと手を差し握手を求めてくる。俺はそんな雰囲気に微妙に照れながらその手を握り返した。
ところで俺の話を聞いてたって、誰にだ? 妹も親もまだ帰ってきてないと思うが。
尋ねると志賀は「彼からです」と再度俺の部屋の方を向く。それに応えるように俺の部屋からシャミセンの短い鳴き声が聞こえた。
「シャミセンさんからお話は伺いました。それにしても、本当に彼の言うとおりですの。
キョンさんが何故わたしの名前や、わたしの正体が<シム>である事まで知っていらっしゃるのか、わたしはとても不思議に感じてなりません。
でも確かに、そんな不思議なキョンさんならわたしの事を何とかしていただけそうな気が致します」
日向ぼっこが似合いそうな微笑を浮かべ続けながら志賀が語ってくる。
ってシャミセンの言った通りだと? まさか……シャミセンの奴が喋ったのか?
俺は慌てて部屋のシャミセンを見る。シャミセンはというと既に我関せずといった様子で日向ぼっこに明け暮れていた。
「その考えは違いますの。シャミセンさんが実際に言葉を喋った訳ではなくて、わたしがシャミセンさんの思考を理解できただけです。ですからシャミセンさんは何も言葉を発しておりませんわ」
猫の思考を理解した……それは初耳ですが、それもまたEMP能力ってやつですか。
「はい。……これはわたしの本来の能力ではありませんけれど」
志賀が少しだけ寂しそうにして微笑む。彼女自身の力でない、という事は彼女もまたこのリボンのように誰かからその力をわけてもらったのだろう。
「そろそろ時間です、キョンくん。涼宮さんの家に移動しましょう。あ、志賀さんもご一緒にお願いします」
「はい」
朝比奈さん(大)は俺と志賀を伴い、近くの大通りでタクシーを捕まえる。いわくつきの黒塗りじゃない、ごく普通のタクシーだ。三人で乗り込み、朝比奈さん(大)の指示で俺たちはハルヒの家へと向かいだした。
「キョンくん、そろそろ皆さんに頼まれた電話を」
ああ、そうでした。ですがどうやって掛けましょうか。俺の携帯は電源を切っちゃっている状態なんですが。
「キョンくんの携帯で大丈夫です。そろそろ向こうのキョンくんが携帯の電源を切ってしまうはずですから。そういえばどうして電源を切ったんですか?」
ああそうか。たしかあの時ハルヒの事をからかった後、電話が掛かってこないようにと携帯の電源を落としたんだった。
「番号を教えてくだされば、その携帯が接続されているか調べてみますけれど」
志賀が隣から告げてくる。彼女が本来持っている能力はサイバーテレパス。コンピュータのネットワークにインターフェースなしでダイレクトアクセスできる感応力だそうだ。その力を応用すれば携帯が繋がるかどうか調べることができるのだろう。
俺が番号を告げると、志賀がゆっくりと目を閉じる。
「……大丈夫のようですの。その番号を持つ端末には現在接続できません」
ありがとう。俺は素直に礼を言うと携帯の電源をいれ、早速長門へと電話を掛けた。
- * -
「古泉か? 俺だ、未来から来た。
……どういう事かは後で話す。とりあえず部室を出ないでそのまま話を聞いてくれ。
……証明? そうだな、雪山の山荘、長門印のオイラー問題の前で俺に誓ったお前の言葉を一字一句そのまま告げてやろうか?
……今長門に《神人》探しをしてもらっているだろうが、その場所を教える。宝探しをした鶴屋さんの山を覚えてるか。
……そこにこれから《神人》が現れる。だがその《神人》はいつものヤツじゃない。いいか、そいつは閉鎖空間じゃなく、こっちの世界に、俺たちの世界に直接現れる。
……ああ本当だ。さっきそこで話し合われた想念体、そいつらが《神人》に取り付いたんだ。ハルヒの体調不良もそれが原因だ。
……今すぐそこにいる全員で討伐に向かってくれ。そこにいる俺も、客人二人も連れてだ。『機関』にも連絡するんだ。ただし、お前はこっちに向かってくれ。どうもこっちでもトラブルが起こるようで、その解決にはお前の力が必要らしい。
……ハルヒの方へはこっちの俺も向かう。そっちは長門たちに任せろ。どうにかなるのはわかってるんだ。それじゃ観音崎に……っと、もう一つ言うのを忘れてた。長門が話し終わって電話を切ったら、そっちにいる俺に携帯の電源を入れろと伝えておいてくれ。
……それじゃ、観音崎に代わってくれ」
「……観音崎か。
……俺はそこでお前の目の前にいるヤツだ。但し未来から来ている。証拠はないが、お前が光明寺に贈った一輪の花が証明してくれる、と未来のお前が言っていた。俺には意味わからんがこれで信じてくれるか?
……わかってもらえて助かる。それでお前に伝えたい事があるんだ。
いいか、観音崎。お前にはEMP能力がある。お前が手品でごまかしている《物質をその手元へと召喚する能力》アポーツ。今のお前にはその力がある。
……お前の能力は失われてない。お前の力は限定能力に変質したんだ。だから普段は何も手繰れなくなっただけなんだ。それが誰かによって望まれた必然だからだと未来のお前は言っていた。俺は知らんし意味もわからん。文句なら未来のお前に言え。
……ああ。それでお前の力なんだが、さっきも言ったが俺にはよくわからんので言われたままを言うぞ。
お前の能力は変質した。無作為な物を手繰り寄せるんじゃなく、自動的になった。だから普段は何も起こらないんだ。お前が何かを手繰れたとしたら、それは全て必然的な行為であり、どんな物体であれそれは必ず何らかの意味がある。わかったか。
……それともう一点。お前たちはこれから巨人を倒しに行くはずだが、それが終わったらお前たち二人のリボンをそっちの俺に渡して欲しい。それがこっちの俺に必要なんだ。
頼む。
……それじゃ今度は長門に電話を代わってくれ」
「……長門か、俺だ。未来から来た。異時間同位体だったか、まあそれだ。前みたいに思い出を語ってる暇が無いが信じてくれ。
……頼みがある。お前たちはこれから《神人》へ攻撃するはずだが、その場にはそこにいる今の俺を必ず連れて行ってくれ。そうしないと今の俺がここに立てない。そうなるとハルヒがやばいらしいんだ。だから頼む。
それともう一つ、機械仕掛けの神への鍵はハルヒの本と光明寺だ。わかったか。
……お前が《神人》相手に戦えないのは知っている。だからみんなの事をサポートしてやってくれ。頼んだぞ」
電話を切るとすぐに電源を落とし、朝比奈さんからの電話がこっちの俺に掛かって来ないようにする。これで俺が知る限りの伏線は張り終えたはずだ。後はこの俺がやるべきことをやるだけだ。
タクシーが一軒の家の前に止まる。俺は志賀と共に初めて見るハルヒの家を眺めていた。
朝比奈さん(大)が躊躇う事無く玄関の扉を開ける。
「わたしが案内できるのはここまでです。……キョンくん、涼宮さんの事頼みますね」
俺にとっては二度目のトラブル。朝比奈さん(大)の願いを承諾すると、俺は志賀と共にハルヒの部屋へと向かっていった。
- * -
・承諾
ハルヒの部屋だと教えられた扉の前で一度深呼吸をする。まさかアイツの部屋にこんな形で入ることになるとは思いもしなかった。
気持ちを落ち着かせ、扉を開けようとドアノブに手をかける。と、同時に部屋の中から朝比奈さん(小)の切実な声が聞こえてきた。
「キョ、キョンくん! た、大変なんです! 涼宮さんが、涼宮さんが突然倒れて!」
何だって? 朝比奈さんの言葉に俺は勢いよく扉を開けて飛び込んだ。
「朝比奈さん、ハルヒが倒れたってどういう事です!?」
「凄い熱で、わ、わたし一体どうしたら……うひゃあっ!!」
ナース姿の朝比奈さんは携帯を掛けたままこちらを見て驚く。
「……え、キョ、キョンくん!? ええっ!? こ、これって一体……!?」
朝比奈さんが携帯を切り俺に話しかけてきた。
確かに電話をしていた相手が目の前に現れたら、通話を切って直接相手と話すのが普通の反応だろう。なるほど、あの時の大騒ぎの相手は俺だったのか。
時間移動したんだなぁと妙な所で納得しながら、俺は朝比奈さんにハルヒの事を尋ねた。
「あっと、驚かせてすいません。それで朝比奈さん、ハルヒの様子は」
「あ、え、そうです! 涼宮さんが倒れて! さっきまでは普通にベッドで起きていたのに、突然苦しみだして……どうしましょう、キョンくん……」
おそらくその倒れた時に《神人》が発生したのだろう。俺はハルヒに近づくと額に手をあててみた。
「……熱があるな。朝比奈さん、氷嚢か氷枕、無ければ濡れタオルをお願いできますか」
「は、はいっ!」
朝比奈さんが台所へと飛び出していく。俺はハルヒを見つめたまま後ろに立つ志賀に聞いてみた。
「やっぱり想念体が原因か?」
「言い切ることはできませんけど、おそらくはそうだと思いますの。このお方の潜在能力がもの凄くて、寄生している想念体の事が感じ取りにくいですけれど」
やはりそうか。そうなると、あっちの連中が《神人》に取り憑く想念体を倒すまでこの状態は続くという事になる。わかっている結果と言えど早いところ頼むぜ、光明寺。
とんとんという階段を上る音が二つ聞こえてくる。何で足音が二つなんだと扉を見ると朝比奈さんが古泉を引き連れて戻ってきた。
「すいません、お待たせいたしました」
全然待ってない。むしろ早すぎだ。お前はどこでもドアでも持っているのか。
「あのぅ……涼宮さんは《神人》さんのせいで病気になっているんですよね? それなのに古泉くんがこちらに来てしまっていいんですか? 《神人》さんは?」
「さあ、僕には何とも言えません。僕は彼にこちらへ来いと呼ばれただけなもので。ですが、未来から来た彼が言うのでしたら、僕は掛け値無しで彼の事を信頼します」
「未来から……えええっ!? キ、キョンくんは未来から来たんですか!? どうしてですか、どうやってですか!?」
あなたが驚かれるのもわかります、朝比奈さん。ですが今は先にそのタオルでハルヒの事を少しでも楽にしてやってくれませんか。
- * -
朝比奈さんが洗面器に入った氷水でタオルを絞り、ハルヒの額に乗せる。俺はその様子を眺めながら、みんなに今回の全容を伝えた。
「……では、その想念体が涼宮さんの体内にいる限り、涼宮さんはこの状態から回復しない、そういう訳ですね」
ああ、そうだ。だが想念体がハルヒから追い出されるのは既定事項だ。何せさっきまで向こうのメンバーと一緒に《神人》討伐に参加してたんだから間違いない。
「信じましょう。この時間では未来の事象ですが、お疲れさまと言っておきます」
「でででも、キョンくんはどうやって未来から来たんですか? 前から不思議に思っていましたけど、キョンくんはどうして未来の事を知っているんですか?」
すいません朝比奈さん、それは『禁則事項』なんです。ですが朝比奈さんの知る未来からの命令で俺は動いてるって事だけは言っておきます。間違ってもあのいけ好かない野郎の未来じゃありません。
俺の真剣な訴えに、朝比奈さんは少し残念そうに、でもいつもの様に宝石のような瞳の輝きと共に微笑んでくれた。
「……わかりました。キョンくんの事、信じます」
それだけでやる気が倍増しそうなありがたいお言葉と共に。
- * -
「ご、ごめんなさいキョンくん、わたし慌てちゃって……。えっと、こっちは大丈夫です。
あ、その、涼宮さんは全然大丈夫じゃないんですけど。でも応援が来てくれました」
朝比奈さんが向こうの俺に電話を掛ける。俺がこちらにいる事については、向こうの俺には秘密にしておくように頼んでおいた。
「はい。それとEMPの人も一人来てくれています。えっと、さいばー何とかって能力者だそうです」
「サイバーテレパスですの」
志賀がにっこり微笑んだまま訂正する。朝比奈さん、向こうの俺に長門に変わってもらうよう伝えてくれますか。
「あ、ちょっと長門さんにかわって欲しいそうですよ……あ、もしもし、長門さんですか。こっちのキョンくんがお話したいことがあるそうです。今かわりますね」
朝比奈さんが俺に携帯を回す。
「長門か、俺だ。お前、インターフェース無しで地球のコンピュータネットーワークにアクセスできる力があるよな? それを利用して繋がってもらいたい人がいるんだ。今からその人に代わるから、どうすればいいのかはその人と相談して決めてくれ」
そういって電話を志賀に渡す。志賀は少しだけ戸惑うと
「その長門さんってお方もサイバーテレパス能力者なのですか?」
厳密に言うと違いますが、ある意味それ以上の力を持ってます。
長門が本気を出せばコンピュータネットワークの全てを牛耳る事すら可能なはずです。
俺が太鼓判を押すと志賀は頷いて電話を受け取り、長門とネットワーク接続を行う為の方法を話しあいだした。
ややあって、志賀がすっと目を細めて右手を天に伸ばす。くるりと手を回すと何かを掴み取るかのように手を閉じ、そのまま自分の胸元へ握った手を引き寄せた。
「長門さんと接続しました。なるほど、キョンさんの仰るとおりですの。長門さんの力はわたしのサイバーテレパス能力を遥かに凌駕しています。長門さんが自分にフィルターをかけてくれていなければ、わたしは今頃情報過多を起こしていた事でしょう」
驚きを表しながらも志賀は微笑む。どうにも掴みがたい性格だが、とりあえず長門と接続できたのならよしとしておこう。
志賀が電話を朝比奈さんに戻す。
「キョンくん。こっちはわたしたちが何とかします。ですからキョンくんは《神人》さんの方をお願いします」
そこまで言うと朝比奈さんが真剣な表情で俺を見つめてくる。そして。
「……本当にお願いします、キョンくん。涼宮さんを、助けてあげてください」
向こうの俺に伝えられたメッセージ。それは俺に対しても向けられていたものだった。
わかっています、朝比奈さん。俺は黙って朝比奈さんに頷き返した。
- * -
「涼宮さんに取り憑く敵の正体。そして想念体の変化。僕がこちらに呼ばれた理由……。
あなたが知る未来は先ほど語られたもので全てですか?」
志賀の件が一段落したのを確認してから、古泉がいぶかしみながら聞いてくる。
あぁ、残念だがこれで全てだ。想念体とどう対峙してどう倒せばいいのか。一番重要な未来は何故か俺には教えてもらえなかったからな。
「さっき言われていた想念体の変化とその能力、それが理由でしょう。想念体の精神攻撃を受けた時に、情報が想念体に漏れる事を防ぐ為だと思います。ここは敵となる想念体の能力がわかっただけでも良しとしておきましょう」
古泉はそう言いながらハルヒの部屋の本棚から一冊の本を取り出し、ぱらぱらとページをめくり出した。読むというよりは何かを探しているようだ。
……そうか、なるほど。確かに想念体や敵の事をもっと知りたければそれが一番早いな。
「ええ。この『学校を出よう!』でしたか、この本の中の存在がこの世界に出現しているのでしたら、この本こそ彼らについて全ての答えが載っている賢者の石となるわけです」
古泉はハルヒの部屋にあった六冊の文庫本を取り出す。
と、その内の一冊の表紙を見て俺は持ってきたモノの存在を思い出した。
観音崎が呼び寄せ長門から返しておいてほしいと預かった『学校を出よう!』の六巻。俺は預かってきた本をポケットから取り出すと、他の六冊と一緒に置いた。
ついでに一緒に持ってきたリボンとナイフも取り出して机の上に置く。
「ひゃっ! キョンくん、そ、その危なっかしいナイフは何ですか?」
朝比奈さんが抜き身のごついナイフに驚きの表情を浮かべた。あぁ、これは長門が作り出してくれた、対想念体の力を宿したナイフですよ。
「敵をこのナイフで倒せと言うことなのでしょうか。……それでこのリボンは?」
古泉に示唆され、俺は二本のリボンについても説明する。完全防御のピンクのリボンと防御力はやや劣るが念動力付の水色のリボンだ。
「なるほど。このリボンの防御障壁なら、想念体の精神攻撃も防げるというわけですね」
光明寺や宮野の言う事が本当ならな。防御壁が変化した想念体の力を退けられるのは既に立証済みらしい。
「わかりました。まずはこのリボンとナイフを誰が持つか、それが最初の作戦ですね」
話し合いと実験の結果、ピンクのリボンは古泉が、水色のリボンは朝比奈さんがつけることになった。そしてナイフは俺が預かる。
想念体へのアタッカーとして呼ばれた古泉は、おそらく戦闘時は単独行動になるだろう。そうなると古泉一人に対してリボンが必要なのは確実だ。残ったメンバーは戦力に不安がある以上、ひと塊となって防御に専念する。ナイフは防衛手段だ。
朝比奈さんがリボン役に選ばれたのには二つの理由がある。朝比奈さんが持つ空間把握能力がずば抜けており、更に念動力と相性が良かったからだ。
時間と空間を指定して時間移動するTPDD、それを操るのに空間把握は絶対必須の能力なのだという。朝比奈さんは謙遜していたが、彼女の空間把握能力は正直言って普段のメイド姿なドジっ娘からは想像できないぐらい高かった。
そして思った場所へ物体を移動させる念動力についても、朝比奈さんは誰よりも上手に、そして確実に操ってくれた。今まで黙っていたのが勿体無いぐらい、人に誇っていい力だ。
- * -
「う……うああああっ! あああああああっ!」
ハルヒが突然苦しみだす。濡れタオルを交換していた朝比奈さんが驚き、ハルヒの肩をしっかりと捕まえた。
「涼宮さんっ、どうしたんです! しっかりしてください、涼宮さぁんッ!!」
「志賀、長門にハルヒの容態が変わったって連絡してくれ! 向こうで《神人》が動き始めたはずだ!」
「わかりました。……はい、向こうでも《神人》が活動を開始したみたいです」
「くうっ……うああ……っ!」
小さな声でうなされ続けるハルヒを見つめる。布団から落ちた手が何かを掴もうと動いていた。俺はハルヒの手を握ってやる。妹が病気の時、こうして手を握ってやるとなぜか安心して眠りにつけるって言っていた。
もう暫く辛抱してくれ、ハルヒ。向こうでも長門や光明寺たちがお前の為に戦ってくれている。だからお前ももう少しだけ頑張ってくれ。なんなら俺のやる気を注入してやってもいい。体がぽかぽかして発刊作用が促進される効果か望めるのだったら、お前に取り憑く想念体だって参るだろうよ。
「あっ」
ずっと小説を確認していた古泉が小さな声で驚く。どうした。
「いえ、本が一冊消えてしまったものですから」
観音崎が本を呼び寄せたか。ならばもうすぐのはずだ。俺と志賀は朝比奈さんのそばに近づく。古泉も本を閉じて机の上に置きリボンをもう一度確かめた。
「……来ます」
志賀の言葉と共にハルヒの身体が激しくのけぞる。やる気注入にと繋いでいた手がかなりの力で握り返された。
「うあっ、あ、ああああああぁ─────────────ッ!!」
ハルヒの叫びと共に、全身から黒いもやのような物体が勢いよく放出される。霧散するかと思われたそのもやはやがて一つの場所へ集いだし、
そして、世界は一瞬にして暗転した。
- * -
・暗転
見渡す限り広大な砂漠が広がっている。
朝比奈さんはとっさにリボンの力でばりやーを展開してくれたらしい。朝比奈さんを中心にドーム型の障壁が展開されていた。そのまま朝比奈さんはしゃがみこみ、倒れていたハルヒを抱きかかえる。ハルヒのそばにいた俺と志賀も一緒のドームの中だ。
古泉のほうも障壁を展開したらしく、同じようなドームの中にその身を置いていた。
「カマドウマの時を思い出す光景ですね、これは」
古泉は辺りを一通り見回した後で右手を前に伸ばす。すると古泉の手のひらに紅玉の光が生まれ始めた。《神人》相手に使う力の縮小版で、これもカマドウマ戦の時に見られた現象と同じだ。
古泉がアンダースローで紅玉の弾を投げる。紅玉は障壁をすり抜けて飛び出し剛速球という名に相応しい速度で飛んでいくと、距離をおいて存在していた黒いもや──想念体にヒットした。
爆煙と砂煙があがり想念体の姿を隠す。来るぞ古泉。障壁だけは絶対に消すなよ。
「わかっています。精神を乗っ取られ操られるなんて想像しただけでごめんですからね」
ハルヒに取り憑いていた想念体は、分離する前にハルヒの記憶を読み取っていった。
そして奴は、自分の世界において最強と思われる人物の姿とEMP能力を手に入れる。
「──随分と激しい歓迎ですね。これがこの世界での歓迎方法なんですか?」
声と共に爆煙が一瞬にしてかき消される。そこに黒いもやは無く、代わりに一人の青年が古泉のような爽やかな微笑を浮かべて空中に立っていた。
古泉の力を食らって無傷かよ。光明寺たちに言われたとおりでたらめな奴のようだ。
『学校を出よう!』作中最大最強の難敵。
火炎能力、精神干渉能力、迷彩移動能力など数々の能力を持ち合わせるEMP能力者。
宮野を始めとしたメンバーが総力をあげて戦っても全く動じなかった男。
想念体が自らを変異させ形成した<シム>。
それは《水星症候群[メルクリウス・シンドローム]》の二つ名を持つEMP能力者、抜水優弥の姿をとっていた。
- * -
「どうやら自己紹介の必要は無いようですね。どうぞ僕の事は優弥と呼んでください」
ああ必要ないぜ、優弥。だから俺から尋ねるのは一つだけだ。
「何でしょうか」
お前は想念体からめでたく意思を持つ<シム>になった訳だ。それならもうハルヒの事を苦しめず、俺たちにも干渉しないでどこか遠いところで適当にのほほんと慎ましげな隠居生活を送ってくれないだろうか。
そうしてくれるなら俺たちはお前に何もしない。どうだ。
「……そうですね。EMPという能力も概念も存在しないこの世界では、僕の本来の目的である『EMP能力について世界へ公開する』なんて全く意味が無い事ですしね」
優弥は額にこぶしを当てて考える仕草をとる。だがそれも少しの間で
「ですがお断りします。僕は保証が無い事は信用しない事にしていますので」
「その保証を得る為に涼宮さんの力を使おうというのですか」
「ええ。どうせでしたら彼女の力を使い、僕たち<シム>や想念体にとって住みやすい世界にした方がいいじゃないですか」
古泉が新たな紅玉弾を生み出す。ハルヒを刺激し力を狙う以上、古泉の『機関』にとっては完全に敵となる存在だろう。そしてそれはこちらのお方にも言える事だ。
「そ、そんなのダメです! 涼宮さんは、そんな風に誰かに利用するとか、されるとかって言う存在なんかじゃありません!」
朝比奈さんの言うとおりだ。ハルヒは単なる北高の一生徒で、何故か常に俺の後ろに存在するクラスメートで、俺たちSOS団のはた迷惑なリーダーとして君臨し続ける存在、ただそれだけの奴だ。
だからそれ以上の何かをハルヒに求めるな。そんな事は俺が許さん。何せ誰かがハルヒの力を求める度に、高い確率で俺が貧乏くじを引く運命にあるらしいんでな。
「主張は素晴らしいですが、それは結局のところあなたたちの都合の良いように彼女を利用したいだけなのでしょう? あなたたちが望む世界、望む未来を手に入れるために。あなたがたのその行為、彼女を狙う他の存在とどう違うというのです?」
「違います。少なくとも僕たちは涼宮さんの事を第一に考えて動いています」
古泉がきっぱりと言い返すが、優弥はそんな古泉に蔑んだ笑いを見せる。
「彼女を第一に、ですか。それは素晴らしい決意です。ならば彼女がこの世界に絶望し、心から切実に望み実行した世界改変を、そこの彼を使ってまで食い止めたのはどう説明するのですか? あなたたちはあの時、自分たちが望んだこの世界が消えないように、つまり
自分自身の保身の為だけに彼女の改変を望んだ意思を握りつぶした。違いますか」
「な、何でそれを知っているんですかぁっ!?」
朝比奈さんの驚きはもっともだ。だがおそらく優弥は想念体の時にハルヒの記憶を見てあの五月の閉鎖空間の事を知り、そこから予想してみただけだろう。
「違わねえよ」
俺はぶっきらぼうに返す。そうだ、俺たちだってやってる事は他の連中と同じだ。だが俺はハルヒの力を利用しようとした訳じゃない。ハルヒに知ってもらいたかっただけだ。
世界を改変なんかしなくったって、楽しいことばかり起こる世界なんか作らなくたって、この世界は十分に楽しいって事をな。それでもまだハルヒが世界を改変したいって言うんだったらその時は勝手にしろと言いたいね。
「ふふっ……流石ですね。彼女がこの世界の誰よりも高い評価を与えている人物だけはあります。能力が全く無い能力者という部分も含めて、まるで彼のようですよ。
彼と同じ評価をあなたに対して下すとするなら、あなたという存在こそが、彼女の力を手に入れるにあたって最大の障害となるのでしょう。ですから」
優弥が両手を合わせる。その手の間に小さな火が生み出された。
「ぶしつけで申し訳ありませんが、あなたを排除させてもらいます」
「そうはさせませんっ!」
古泉が優弥の行動に真っ先に反応し紅玉弾を投げるが、紅玉弾は優弥に届く五メートル程前で軽い音と共にあっさりと消失してしまった。しかし古泉も負けていない。一発投げて様子見なんて事はせず、紅玉弾を次々と生み出しては優弥目掛けて投擲していた。
まるで少年向けの格闘マンガ状態だ。
「なかなかに面白い能力を持っているようですが、それだけでは僕は倒せませんね。なんでしたら無駄無駄無駄と叫んであげても構いませんよ。ふふっ……さて、防戦一方なのも面白くありませんし、こちらも攻撃を始めるとしましょうか」
紅玉弾を全て打ち消しながら、優弥は両手をそっと開いて小さな火を地面に落とした。
火が地面に落ちた瞬間、激しい業火となって俺のほうへと襲い掛かる。
「ひ、ひえぇ〜〜〜〜〜っ!! うひゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
朝比奈さんが叫ぶと同時に防御壁の輝きが増し、炎を完全に受け止めた。
「高崎若菜さん、そして春菜さんの防御障壁ですか。なるほど、それなら僕の精神干渉も火炎攻撃も無効化できます。まさに天敵のような力ですね」
優弥は人当たりの良い笑顔を浮かべて褒め称えてくる。その仕草や表情を見ているとまるで古泉が二人いるようにさえ感じる。実は生き別れの兄弟なんじゃないのかお前ら。
「冗談でしょう? 僕はこんなに腹黒くはありませんよ」
「同感ですね」
無数の紅玉弾が優弥に襲い掛かり、紅蓮の炎が古泉を飲み込む。しかしどちらも相手に全くダメージを与えていなかった。
「朝比奈さん。優弥の動きを念動力で捕まえることはできますか」
「や、やってみます。え、えりゃ────っ!」
ハルヒをひざに抱いたまま、朝比奈さんは両手を伸ばして優弥に力を使う。
「おやおや、おいたはいけませんよ。それと、あまり念動力に集中していると」
ピシッ。周りの障壁に小さなひびが入る。だめだ、このままじゃ破られる。
「ひゃあっ! キョ、キョンくん、どどどどうしましょう!?」
「念動力はいいです! 朝比奈さん、壁だけに集中してください!」
「わかりましたぁ!」
朝比奈さんが障壁のみに集中を始める。ひびはあっさりと消え、障壁はその絶対的な力を取り戻した。
旗色が悪い。こちらは防御こそ優弥以上のスペックを出しているが、古泉の攻撃があそこまで無効化されては攻める手立てが全く無い。ナイフを持って突撃しようにも、優弥は瞬間移動か迷彩化か、とにかくこちらに気づかれず移動することが可能だと聞いている。
そんな奴をいったいどんな手で倒せというのか。
「通信です。キョンさんに」
志賀が小さく告げる。どうやらこのピンチに長門が救いの手を差し伸べてくれたようだ。
「いえ、違います……発信者はSOSとなっています」
SOS? 最近どこかで聞いたような名前だが、それにしてもいったいどういう事だ。長門以外で志賀を通じて俺にメッセージをよこしてきた奴がいるっていうのか。俺は頭を抱えながらも志賀に内容を促した。
「えっと、『幸せかしら』……それだけです」
幸せかしら……SOS? 何がなんだかさっぱりわからん。いったい何なんだ。
この絶体絶命の状況を見て幸せだと言える奴がいたらどうか挙手をお願いしたい。
「まぁ、コイツなら言いそうだけどな」
俺は後ろで朝比奈さんに抱きかかえられっぱなしのハルヒを見つめる。想念体が身体から出て行ったことで多少は苦しさが緩和されたようだ。だが、相変わらずうなされた状態は続いている。ハルヒの幸せはまだまだ遠いようだ。
──ハルヒが、幸せ?
ふと思い出す。待て、昔どこかでそんなような言葉を聞かなかったか?
アレはどこで、そして誰から聞いた?
- * -
「そろそろ彼女を僕に渡してくれないかな。分の悪い千日手だと言うことは君たちにもわかっているはずだよ」
「どうですかね。時間がたてば不利になるのはあなたの方ですよ」
「機械仕掛けの神でも待つつもりかい? 無駄だよ、この空間には誰も入ってこられない。通信するのがやっとのはずさ」
「通信できるという事は完璧な閉鎖空間ではない証拠です」
古泉と優弥が相手を挑発しあう。その間も紅玉弾は撃たれ、炎は燃え続けていた。
機械仕掛けの神。優弥の元となる想念体、その《神人》に取り憑いていた方はまさにそのせいで敗北した。
長門によって呼び出された機械仕掛けの神、新たな<シム>によって。
「その方法で向こうでの危機を回避できたのでしたら、こちらにも機械仕掛けの神、つまり<シム>を呼び出すと言うのはどうでしょうか」
志賀が告げてくる。そう簡単に言うが、あれは長門だからできた事だろう。
「そうでもありません。確かに<シム>を生み出すにはEMP能力、ないしそれに准ずる力が必要と思われます。ですが先ほどから空間的にその条件が満たされているような気がするのです」
空間的に条件が満たされている……そういえば長門も言っていた。
『世界は今、涼宮ハルヒの力によって<シム>が生み出せる状態になっている』
長門と志賀の意見を合わせるならば、作ろうとさえ思えば俺でも<シム>を生み出す事が可能なのだろう。さらに考えるならば、長門があえてその事実を俺に語ったのは、俺に対して暗に<シム>を生み出せと伝えたかったのではないだろうか。
だが<シム>を生み出せるとして、誰を、または何を生み出せばいい。
優弥の繰り出す炎をかいくぐり、精神攻撃を受け付けず、潜伏行動を見破れる存在?
そんな人智を超えた規格外的な存在、まさに機械仕掛けの神と呼ぶに相応しい存在など、俺には思い当たる節が──
──長門と、アイツしかいなかった。
「朝比奈さん、お願いがあります。次に古泉が攻撃したら、俺の合図で……」
「ええっ!? そんな、どうしてですかぁ!?」
それはやってもらえたらわかります。とにかくお願いします。
「は、はぁ、わかりました、やってみます」
朝比奈さんに期待しつつ俺は眠りっぱなしのハルヒを見つめた。ハルヒが未だに苦しんでいるのは、きっと優弥が何かしているからなのだろう。
だったら何が何でも優弥を倒すしかない。
ハルヒの手を握り、俺は小さく耳に告げる。
「<シム>を生み出す方法だなんてどうすればいいのか、正直言って俺には全くわからん。……だからお前の力を借してくれ、ハルヒ」
ハルヒを志賀に託し、俺は立ち上がると持っていたナイフを構える。成功する自信なんて全く無いがやるしかないだろう。
このままじゃジリ貧なのはわかっている、ならばここからは現場の判断って奴だ。
そうだったよな『SOS』、いや『505』の住人さんよ。
事態は終結する。
- * -
・終結
「古泉、数で押せ!」
「仰せのままにっ!」
俺の言葉に古泉が素直に応え、作れるだけの紅玉弾を生み出して一斉攻撃した。
「何をするつもりかは知りませんが、付き合ってあげましょう」
優弥が爽快な笑いを見せながら紅玉弾を迎え撃つ。そしてもうすぐ届くかといった所で俺は朝比奈さんに合図を出した。
「今です!」
「は、はいっ! ええぇ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜いっ!!」
朝比奈さんの叫びと共に何か強烈な力が発生する。直後、優弥目掛けて飛んでいた紅玉弾が全て地面目掛けて急降下した。
「念動力? しかし何故地面に」
優弥の言葉を聞き終える前に紅玉弾が全て地面に着弾する。激しい爆音と共に地面の砂は巻き上がり、優弥の姿を砂煙の中へと完全に沈めた。
「これでどうだぁ────────っ!!」
更に優弥がいた辺り目掛けて俺はナイフを投げつける。自慢じゃないがこれでも上ヶ原パイレーツ相手に三振をとった実績持ちだ。まああの時はインチキだったし、今回もインチキ投法な訳だが。
「朝比奈さん!」
「ははははいっ! とわぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
軽い放物線を描いていたナイフが凄い速さで砂煙目掛けて突撃していく。さらに古泉が追い討ちをかけるように砂塵の中へ紅玉弾を撃ち放った。
砂煙が上がる攻撃地点を見つめる。あれで倒せてれば一件落着なんだが……。
「それで、次の手はどうするのです?」
突如背後から声がかけられる。振り向くと俺たちの後ろ、障壁のすぐそばに砂の一つぶも浴びていないであろう姿で優弥が立っていた。手には律儀にも俺が投げつけたナイフを受け止めたのか、こちらに対してちらつかせてくる。
「目眩ましにナイフ投擲、まさかこんなザル計画で終わりだなんて言わないですよね?」
まさか、もちろん次の一手は用意してあるさ。
優弥の声に振り向いた朝比奈さんすら驚かす、王を殺す最強最後の一手が。
「はい、チェックメイト」
その少女は規格外の強さを誇る優弥に全く気づかれること無く背後を取ると、その手からすっとナイフを取り上げ、優雅な動作のまま一気に優弥へとそのナイフを突き刺した。
「な──がはあっ!? ……くっ!」
優弥が一度鈍く叫び、ついで一気に距離を開ける。痛々しく押さえるわき腹からは黒いもやのような物が見え隠れしていた。あの黒いもやこそが、優弥の姿をとる想念体の真の姿なのだろう。
北高の制服を着た少女は、手にしたナイフを一振りして刀身についた黒いもやを散らす。軽くなびくセミロングの髪を片手で抑えながら俺のほうを見ると、少女はまるであの夕焼けに染まる教室でみせた、みんなに慕われる事が楽しげな委員長のような慈愛の笑みを浮かべてきた。
「久しぶりね。涼宮さんの事、ちゃんと幸せにしてあげてるかしら?」
余計なお世話だ。第一声がそれかよ。もう少し話すべきことがあるんしゃないのか。
俺の答えに機械仕掛けの女神──朝倉涼子はただ微笑んだままだった。
- * -
「……木々や昆虫ですら微弱な精神の波長は出しているし、それが出ているなら僕はどんな微弱な波長でも感じ取れる。精神の波長を全く感じさせない存在なんて、生きている限りはありえない事だ。
それなのに……朝倉涼子。キミからは精神の、生命の波長を一切感じ取れない。キミはいったい何者、いや何なんだ」
流石の優弥も驚きを隠せないでいる。
そりゃそうだろう、ハルヒの記憶では朝倉はただのカナダへと転校していった委員長でしかない。そんなただの一般人という認識しかないクラス委員長が、自他共に認める最大にして最強な能力者の力をあっさりと凌駕したんだ。驚くなという方が無理な話である。
「そうね、別に教えてあげても良いけど」
相変わらず女友達と休み時間に談合しているような笑顔を浮かべながら、朝倉は自分の持つナイフを軽く持ち直す。そして優弥の方を向くと、
「聞き終わるまでちゃんと生きててよね?」
まるで子供に優しくお願いをする近所のお姉さんのような口調でさらりと告げた。
朝倉が軽やかな動きで走り出す。かなり距離を開けていた優弥にものの数秒で近づくと手にしたナイフを躊躇いも無く突き出した。
「この銀河を統括する情報統合思念体によって造られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース。しかし情報統合思念体の意思に叛いた為に情報連結を解除された存在、それがわたしよ」
優弥は今まで以上の火炎を生み出して朝倉を包む。だが朝倉はその炎を難なく突破するとナイフを優弥の心臓目掛けて突き出した。
「くっ!」
優弥は一瞬にして自分の姿をかき消し、再度距離をおいた場所へと出現させる。
「稚拙といえど、コンピュータネットワークは情報だけが存在しえる世界。連結解除されたわたしが情報の塵としてたゆたうには適した空間だったわ」
朝倉が距離を開けた優弥に左腕を向ける。その腕が白く輝いたかと思うと、一瞬にして光の触手に変化して伸び、優弥の右肩を深々と貫いた。直後に古泉が放った紅玉弾が優弥を次々と襲う。
「ぐああっ!」
優弥の身体が一瞬ぶれて黒いもやになる。すぐに優弥の姿を取り戻すが、貫かれた右肩から先は黒いもや状態のままだった。
「この空間はあなたの情報制御の元、物質存在に対しては強固な障壁を展開しているわ」
朝倉が触手と化した手を元に戻しつつ、律儀に優弥に語り続ける。
「だけどこの制御空間と外部との間で通信はできた。つまり情報という非物質な存在の侵入は可能だったって事ね。情報だけの状態で存在していたわたしにとって、この空間に対してメッセージを送る事も、そして実際に侵入するのも造作も無い事だったわ。
でも、いくらこの空間へ侵入したとしても情報だけの状態のままじゃ何もできないわ。そこで彼にわたしの<シム>を作ってもらう事にしたの」
元通りになった左手を撫でながら、朝倉が俺を見つめてくる。
「あとはその<シム>の身体をわたしが乗っ取れば、こうしてめでたくオリジナルの朝倉涼子が復活できたって訳。わかったかな?」
俺にとってはあまりめでたい話ではない。今の話が本当なら、こいつは正真正銘本物の、春先の教室で長門によって情報連結解除された、あの朝倉涼子って事になる。
それで今の話はマジなのか? マジでお前はあの朝倉だって言うのか。
「うん、マジよ」
朝倉は相変わらず腹の底が見えない無垢な微笑を浮かべてくる。
「ついでに言うと長門さんの改変劇も知っているわよ。涼宮さんの力で情報統合思念体を消去するなんて本当に思い切った事するわよね。わたしもそれぐらい思いきった事をすればよかったのかな」
よくねえよ。全く何てこったい。
どこをどう間違えたのか、俺は間違って機械仕掛けの死神を呼び寄せてしまったようだ。
「と・こ・ろ・で。対想念体の力を真似て触手に付与してみたんだけれど、どうかな?」
「……何故だ。キミも<シム>、つまり想念体のはずだ。それなのにキミは何故、この触手に込めた対想念体の力で自滅しないんだ」
右腕はもやのままだが、それでも優弥は冷静さを取り戻しだしたようだ。俺たちと初めて対峙した時ほどではないが、その顔に爽やかな笑みが戻りつつある。
しかし優弥の意見ももっともだ。対想念体の力は相手を特定しない。それ故、<シム>であった光明寺も自滅する事を恐れ、蛍火を射出する際にはリボンで防御障壁を自分に展開していたのだから。
「それってそんなに悩む事かしら? それとも確認を取りたいだけなの? ま、いいけど」
朝倉は簡単な問題に悩む妹に対し、いったい何を悩んでるのかと言いたげな目で見つめる兄のような表情を浮かべて首をかしげていた。
「自分の身体を再構成したからよ。この身体は既に<シム>と呼ばれる物体ではないわ。だから対想念体の力もわたしには利かないと、そういう事」
流石元インターフェース、そのでたらめっぷりは相変わらずだ。
自分の身体を<シム>からそれ以外の物質に再構成するなんてもう反則だろそれ。
「全くですよ。……ふう、実力の差がここまで歴然としてるとはね。キミに隙でも生まれない限り、どんな策を練ろうともキミに勝つ事はできないみたいだ」
優弥は炎を全て消し去ると、肩をすくめた後に左手を上げて降参のポーズをとった。
「涼宮さんを解放してください」
古泉が紅玉弾を手に俺たちのそばまで近づいてくる。もちろん障壁は展開したままだ。
「わかりました」
その一言を告げた途端、ハルヒの表情が目に見えて和らいでいった。苦しがっていた声も消えて大人しくなる。
「す、涼宮さん……よかったぁ。キョンくん、涼宮さんがぁ」
ハルヒをずっと抱きかかえていた朝比奈さんも、ハルヒの様子に安堵の息を
「だから隙を作りましょう」
刹那、優弥の全身からこれまでに無いぐらい勢いよく火炎が噴き出した。
地獄の業火は気を抜いた朝比奈さんが展開していた障壁をあっさりと打ち破り、その場にいた俺たちを一瞬にして飲み込んだ。
俺は朝比奈さんとハルヒを守ろうと二人に覆いかぶさった。
同時にラジオの砂嵐を大音響で流しているようなノイズが脳内に鳴り響く。そしてノイズと共に嫌悪感しか感じないクサビが俺の中につき立てられた。
くそっ、いったい何が起こってるんだ。わかる事と言えばコイツが最後まで打ち込まれたら俺がやばいだろうって事だけだ。
全身全霊を持って抵抗しようとするが、炎がまとわりつき動きが取れない。
何かとてつもない力でクサビが打ち込まれる。一撃で半分足らずが埋め込まれた。
<無駄です。如何にあなたと言えど僕の精神干渉は防ぎきれませんよ>
優弥の声が遠く響く。そうか、これも奴の攻撃か。
このクサビが最後まで打ち込まれたら、俺は優弥の傀儡になってしまう、そういう事か。
しかしおかしくないか。俺たちは優弥の炎で焼かれたはずじゃなかったか?
いや、そんな事はどうでもいい。俺がまだ生きているのなら、早いところ優弥を倒さなければ。俺が抱きかかえている、この温もりを守るためにも。
<おや、動くつもりですか? そうですね、この攻撃で僕はかなり無茶をしています。あなたが攻撃すれば僕は簡単に倒される事でしょう。
おめでとうございます、あなたは確実に生き残る事ができました。
ですが、あなたが今盾になっているその方々はどうでしょうか。あなたの動き方次第では、彼らは消し炭も残らない状態まで焼き尽くされてしまうかもしれません>
……くそっ、そうくるか。そう言われてしまうと動けなくなる。
しかしどうする。このままじゃクサビを心に打ち込まれ洗脳されてしまうだけだ。しかもこのクサビが俺だけに打ち込まれているという保証も無い。朝比奈さんや志賀、それにハルヒにも襲い掛かっているかもしれないんだ。
ガツンという音と共にクサビが再度打ち込まれる。同時に全身を苦痛と快楽の束縛が駆け巡る。心を握られ始めている証拠だ。
たった二撃でその殆どが埋め込まれてしまった。もう一発食らったら今度こそおしまいだろう。その前に……その前にどうしろと? こんな攻撃どうやって防げというんだ。
何かいい手段があったはずだ。だが、クサビから響く音が邪魔をして思い出せない。
<さあ、これでおしまいです>
その言葉に反応してか、俺の手を誰かが握ってきた。その手は暖かく、そして柔らかく、それでいて力強い感触だった。
握られた手から力が注がれたのか、俺は閉じていた目を開く。懐にハルヒと志賀を抱きよせ、まるで我が子を守るかのように、朝比奈さんが二人の上にかぶさっていた。震えているのか頭に巻いた水色のリボンが微妙に揺れ動いている。
リボン? リボンリボンリボン……リボン! そうだ、リボン!
俺は朝比奈さんのリボンに触れると、ありったけの思いをリボンに込めて叫んだ。
「ばりやぁ────────────────っ!!」
思いっきり恥ずかしい言葉を叫んだような気がする。そもそも別に叫ばなくても良かったような気もするが、こういうのは気合の問題だ。
とにかく俺のこっ恥ずかしい呼びかけに対しリボンは青白く輝いて応え、俺たちの周りには一瞬にして防御障壁が展開された。それと共に心の中が青白く暖かい力で満ち溢れ、突き立てられたクサビがその差し込む光によって崩壊していく。
どうやら間に合ったようだ。俺の下にいる朝比奈さんたちの表情を見ると、苦悩していた表情が少しずつ和らぎはじめていた。
そして俺の手を握ってきていた手の先を追いかけると
「……キョン」
ハルヒが小さく呟きながら、やはり小さく微笑んでいた。
機械仕掛けの神は、招かれた。
- * -
・<機械仕掛けの神>
「バカな……リボンの記憶は真っ先に封印したはずなのに」
「それでも何とかしちゃうのよね、彼ったら。何の力も無いただの一般人のはずなのにね。でもだからこそ一番頼もしく、そして恐ろしいの。あなたもそう思っているんでしょ?」
「そうですね。だから僕は彼の事を素直に尊敬しているのです」
背後から優弥と朝倉、そして古泉の声がする。振り向くと朝倉がナイフを持った手を腰に、もう片手を頭に置きなびく髪を抑えつつ、いつも通り優等生の微笑みを浮かべていた。
そのそばでは古泉がぼろぼろの制服から砂を叩き落としながら立っている。ぼろは着てても心は錦を心がけているのか、こちらも相変わらずの爽やかな笑みを浮かべていた。
優弥は俺の位置から二人をはさんで更に後ろ、防御障壁の外側で腕を組んで立っている。いつの間に治したのか、その右腕は黒いもやではなく元通りの状態になっていた。
「おはよう。調子はどうかしら」
まだ頭ががんがんするが、とりあえず大丈夫だ。俺も他の連中も火傷した形跡とかは無いし、ちゃんと息もしている。ハルヒは小さな笑みを浮かべたまま静かに眠っていた。
本当に眠っているのかどうかはわからないが、とりあえず苦しんでいる様子は伺えない。
俺の答え古泉がほっと安堵の胸を撫で下ろす。
俺にしてみれば、お前たちの方が大丈夫なのかと問い返したいぐらいひどい姿だ。
「長門さんに情報連結解除を受けたあの時よりは余裕があるかな」
「僕もまだ大丈夫です。《神人》に殴られた時に比べればこれぐらい」
揃いも揃ってサラリときつい事を言うな。
全く無茶しやがって。お前らが何をしたのかなんて地面を見れば一目瞭然だ。
黒い砂地に朝倉と古泉の白い影が伸びている。光と影が反転したかのようなこの不思議な状況は、優弥の炎で辺りの殆どが黒く焼け焦げてしまっているこの砂の大地でただ唯一、二人の足元から俺たちの倒れていた場所までの短い空間だけが白い砂地のままだからだ。
ハルヒの上に覆いかぶさるようにして気絶している朝比奈さんからリボンを外し、自分の手に巻きつける。そして朝比奈さんをそっと抱きかかえてハルヒの横に寝かせた。
その間に志賀がゆっくりと身体を起こしてその場に座り込む。大丈夫か、お前。
「はい、みなさんが守ってくださったおかげです」
志賀もまた陽だまりのような微笑を浮かべてきた。
「さて……これが最後の攻撃になると思われます。先ほど強がっては見せましたが、見ての通り僕はもうぼろぼろでして、実の所こうして動くのがやっとの状態なんですよ」
「なぁんだ。正直に言うと、わたしもこうやって立ってるのがやっとかな。こう見えて有機生命体のあなたに負けたらちょっと恥ずかしいかなって思って、少し強がってただけ」
朝倉と古泉は口の端だけで小さく笑い、そのまま優弥の方へ身体を向けた。
それまでじっと二人を見つめていた優弥が、静かに口を開く。
「朝倉涼子さん。あなたに一つお伺いしていいでしょうか」
「なに?」
優弥は腕組みを解くと、両手を胸元で合わせて合掌の形をとった。
「何故あなたは彼らに協力をするのですか? そのように献身的に彼らに協力したとして、いったいあなたに何のメリットがあるというのでしょう」
確かに朝倉が戦う理由は全く無い。普通に考えれば、本来の目的であるハルヒの観察とかは長門に情報連結解除された時点で解任されているだろう。だとすれば、今の朝倉には身を挺してまでハルヒや俺たちを守る理由はない。
朝倉は指を頬に当てて考える。そして「うん」と頷き出した答えは
「彼を殺すのは他の誰でもない、わたしの役目だから──って言うのはどうかしら?」
「なるほど、それは確かに。これ以上無いぐらい素晴らしい回答です」
「全くですね。僕もいつかはそんな台詞を口にしてみたいものですよ」
何処の格闘マンガのお約束だそれは。
そしてそこのWイケメンバカ野郎共、お前らもそんなので納得するな。
「想念体によってコピーされた存在とはいえ、死ぬのは遠慮したいですからね。最後の攻撃に相応しいよう、ここからは手加減なしでお相手させてもらいます」
「手加減無し、ですか。まるでヒロイックサーガに登場する悪の首領のような台詞ですね。
しかし戦闘中に手加減だ本気だなどと語るとは、あなたの底が知れるというものです。
その様な世迷言を語る者の殆どは、自分が敗北した時の為、そう、ただそれだけの為に保険をかけているに過ぎません。あの時は本気じゃなかったとか、手を抜いてやっただけだとかいう、見苦しい言い訳の為の保険ですよ。違いますか?」
両手に紅玉弾を生み出しつつ古泉が挑発する。優弥は相変わらず取っ付きのよい爽やかな微笑を浮かべると世間話をするかのように話してきた。
「違わないさ。でも退路を作ることによって精神面に余裕が生まれ、それが自分の持つ力を十二分に引き出す要因になる事もある、と言う事も君なら当然知っているよね」
「ええ。ですから僕はこのスタンスを徹頭徹尾貫いているんです」
「その点は評価しよう。あとはそのスタンスに君の実力が追いつくかどうか……見せてもらうとしようっ!!」
手のひらの隙間から炎が現れ、一瞬で世界を煉獄に変える。古泉は障壁でガードしつつ距離を開け、朝倉は迷わず炎の中に突撃をかけてナイフを振るった。
こうなると俺にできることは障壁を張りみんなを守ることだけだ。手に巻いたリボンに祈りを込めて障壁を作り続ける。
「……キョン……くん」
ふと後ろから声がかけられた。か細いながらこの天使のような麗しい声はあのお方のだ。
気がつきましたか、朝比奈さん。俺は後ろを振り向かずに声だけかける。優弥から目を放す事がどれだけ危険なことかつい先ほど思い知ったからだ。
「ごめんなさい……ヒクッ、わたしの、せいで、ヒクッ、みんなが……」
泣き声と共に途切れ途切れの言葉が震えて聞こえてくる。
いいんですよ。あの時油断したのは俺も同じです。俺がリボンを持っていたとしても今と同じ結果になってましたよ。
「でも……でもぉ! わたしが! もっと……役立たずじゃなかったら!」
違います。朝比奈さんは充分に役立ってくれています。今この場で一番役立たずなのは誰でもない俺なんですから。朝比奈さんは俺やハルヒたちの事を必死になって護ってくれたじゃないですか。
俺が恥ずかしい言葉を告げると、背中にぎゅっと暖かい温もりが伝わってきた。
「……キョンくん………………ありがとう……」
「……あ」
抱きついてきていた朝比奈さんが軽く震える。どうしました?
「通信です……未来から……は、はいっ! 名誉挽回なんていいんです! わたしに、わたしにできる事があるんでしたらっ!」
なんだかわからないが勢いよく返事をすると、朝比奈さんがリボンを持った俺の手に自分の手を重ね合わせてきた。
「……上司からあの人を倒す方法を教わりました。キョンくん、それと志賀さんも。わたしに協力してもらえますか?」
「ええ、わたしにお手伝いできる事があるのなら……ですよね」
志賀の笑みを受け俺も頷く。もちろん協力させてもらいますよ、朝比奈さん。
朝比奈さんは俺たちに作戦を説明し、最後に志賀へと触れる。二人の視線が交差すると志賀は朝比奈さんを見つめながら薄く微笑んだ。
俺もまた頷きながら、空いた方の手でハルヒの手を握った。無意識にかハルヒの方も俺の手を小さく握り返してくる。
「……ハルヒ、わかるか。あそこで古泉たちと戦っている優弥がお前を苦しめているんだ。
今からみんなで優弥を倒してやる。だから、お前はここで安心して寝てろ」
俺の呟きに、ハルヒは目を瞑ったまま何も応えない。眠りについた状態のままだ。
「それでよろしいんですの?」
ハルヒを握る俺の手に志賀の手が重ねられた。それはどういう意味なのかと思ったが、どうやら志賀は俺ではなくハルヒに話しかけているようだ。
「キョンさんたちに任せきりで、あなたはよろしいんですの?」
再度問いかける。その言葉にハルヒが少しだけ反応したように見えた。
志賀はそれ以上は何も言わず手を離すと、じっと俺の方を見つめてきた。何だその微妙に優しげな眼差しは。いったい何を期待しているんだお前は。
俺は一度ため息を吐く。わかっている、確かに志賀の言うとおりだ。このまま俺たちに任せきりだなんてスタイルは全然お前らしくない。
少しだけ手を強く握り、俺は眠るハルヒをたきつけてみる事にした。
「確かに志賀の言うとおりだな。……ハルヒ、お前の事を苦しめてるのは間違いなく奴だ。涼宮ハルヒともあろう者がこのまま誰かにやられっぱなしでいいのか?
無意識でかまわないさ。どうせお前はいつも無意識でトンデモパワーを使ってんだから。だから眠ったままで聞け。もしお前が奴に対して憤りを感じているのなら……」
かすかに握りあっていた手に力が加わった気がした。
「構う事はない。お前自身の力で、奴に一発ぶちかましてやれ」
- * -
朝倉と古泉の攻撃を器用にかわしつつ優弥が距離を置いた時、それは起こった。
「……なっ!?」
優弥の立つ位置を中心に突如砂が激しく隆起し始める。遠くから見ればその砂が巨大な手の形をしているのがわかっただろう。優弥はその手のひらに立っているような状況だ。
ハルヒの手を握る力が強くなる。それに合わせて、砂の手は優弥を捕まえるかのように一気にその手をこぶし状に握り締めた。
優弥が爽快な笑みでこちらを見つめてくる。
笑っているのも今のうちだ、優弥。俺たちは今度こそお前を倒す。
「できますか? それにしてもこれが彼女の力……何て強大で素晴らしい。ですが、この程度で僕を捕らえられるつもりでいるのならば、それは甘い認識というものです」
「そうでしょうか? そう易々とは逃がしませんよ!」
古泉の紅玉弾が器用に動き、砂の指の隙間をぬって優弥へと襲い掛かる。だが手と攻撃が襲い掛かる直前、優弥は瞬間移動を行った。
朝比奈さんが未来から聞いた、既定通りの時間に、既定通りの場所へ。
「たぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」
優弥が出現すると同時に、俺の手に巻かれたリボンを掴んでいた朝比奈さんが念動力を発動させて優弥の動きを全て封じる。
「っ!?」
優弥は異変に気づきこちらへ向けて炎を一気に捻出したが、俺が生み出し続ける障壁によってその全てが阻まれた。
一人で障壁と念動力の同時操作が難しいのならば、二人でそれぞれ行えばいい。実にシンプルな答えだ。そして優弥の動きを封じるのはほんの数秒で構わないのだ。
朝比奈さんを中心に俺たちがしたことは三つ。
ハルヒに無意識的に攻撃させ、優弥を瞬間移動させること。
瞬間移動した優弥を縛りつけて、更に優弥の意識をこちらへと向けさせること。
そして朝比奈さんが知りえた優弥の転移時間とその座標を、あらかじめ志賀を経由して朝倉へ秘密裏に伝えておくことだ。
優弥も気づいただろう。わずか数秒、だが自分にとって致命的な隙を作ってしまった事に。慌てて何か行動を起こそうとするが、全ては手遅れだった。
「──チェックメイト。二度目の待ったは無しよ」
優弥の後ろに現れた朝倉がナイフを深く突き刺す。そのまますぐにナイフから手を離し、優弥を捕まえるような感じに両手を開くと、十本の指を一気に伸ばして優弥の身体をことごとく貫いた。
「これはおまけですっ!」
最後に古泉が紅玉弾を撃ち込む。これが最後と全ての力を込めたのか、優弥に当たった途端に大爆発を起こした。
「ぐああぁ──────────────────………!!」
爆発の中で優弥が黒いもやへと変質し、そのまま徐々に霧散していく。
それと共に砂漠状態の情報制御空間も徐々に崩壊し、気づけば俺たちはハルヒの部屋へと戻ってきていた。
- * -
「それじゃ朝比奈さん。ハルヒの事、後はよろしくお願いします」
「はい。……本当に今日はお疲れさまでした」
ハルヒが目を覚ます前に退散しておこうと言う事になり、最初から来ていた朝比奈さんだけを残し、俺と古泉、志賀の三人はハルヒの家を後にした。朝倉は俺たちがハルヒの部屋で意識を取り戻した時には姿を消していた。
志賀には長門へ連絡を入れておいてもらった。ハルヒが無事だと連絡するのも既定事項だったはずだからな。
「僕はこれから『機関』のメンバーと合流します。それでは、また」
そう言って古泉は黒塗りのタクシーで去っていった。最初は志賀も一緒に連れて行こうと言っていたのだが、
「わたしはここでお別れいたします。あちらの<シム>の方々と直接面識があるわけでもありませんから」
そういって志賀は辞退した。
二人で黒塗りの車を見送りだす。俺の方はこのままこの時間に残る事になる。元々いた数時間先に戻っても構わないのだが、どうせ後一時間程度でこっちのキョンが連れて行かれるんだ。このままいても問題ないだろう。せいぜい他人から見た俺の寿命が数時間分だけ早まって見えるだけの事だ。
「キョンさん、少しお時間よろしいでしょうか」
志賀が微笑んでくる。俺が頷くと志賀は俺を連れてゆっくりと歩き始めた。電車に乗り俺たちが集合場所にしているいつもの駅で降りる。
「こちらです」
志賀に案内され更に歩く。何だか見覚えのある道筋を辿っているのはただの偶然なのか。
「キョンさんは、わたしに聞きたいことがありますよね」
少し前を歩きながら志賀が聞いてくる。そうだな、確かにお前に聞きたいことかある。
例えばどうして<シム>であるお前が、この世界の者でないお前が、こうして目的地を目指して歩くことができるのか、とかな。
「そうですね。不思議ですよね」
まるで他人事のように笑ってくる。そうしている間に目的地へと俺たちはたどり着いた。
俺たちが歩きついたマンションの前では四人の集団がたむろっていた。制服二人に黒のゴシック少女に白衣姿の男とSOS団に負けず劣らずの怪しさ大爆発な集団だ。
その中の一人、制服姿の少女が俺に近づいてきて小さく告げる。
「……遅刻、罰金」
ハルヒの行動がどれだけ長門に対して影響を与えているか、どうやら一度ハルヒと話し合う必要があるようだ。
- * -
「ふむ、やはりそういう事だったか」
宮野がこちらを見て大きく頷く。どうもこいつは一人で納得し完結してしまう節がある。頼むから何がそういう事なのか俺にも伝わるよううまく言語化してくれないか。
「頼まれれば語るのもやぶさかではないが、私が語ってもよろしいのかな? 志賀侑里よ」
「構いませんわ。わたしが全てを語るよりその方が盛り上がるでしょうから」
志賀がにっこり笑って告げる。では、と宮野が片手をびしっと志賀に指差して語りだそうとした時、光明寺がその腕を掴んで叩き落した。
「ちょっと待ってください。班長、あなた今何とおっしゃいました?」
「どうしたのかね茉衣子くん。今までの私の発言に何か問題でも?」
「今までといわれるならその大半以上が問題発言と括れてしまえますが、とりあえずそれは置いておいて、私が問うているのはつい先ほどの発言ですわ」
そして宮野に代わり光明寺が志賀を指差すと、はっきりと聞いてきた。
「何故、彼女を志賀侑里と呼ぶのです? 彼女は確か……音透湖、だったはずです」
その指摘に今度は宮野が光明寺の伸ばした腕を掴んで天に掲げる。
「その通りだよ茉衣子くん! 流石は私の唯一の弟子、よく気がついた! そう、私たちがかつてのミッションで関わった時より成長してはいるが、彼女は間違いなく音透湖だ」
「何をなさるのですかこのセクハラ班長! 手を離してください!」
その訴えにあっさりと手を離す。だが彼の言葉は止まらない。
「そして彼女こが、私が常日頃から考えに考えて届かんとしている上位世界の存在が一人、《年表干渉者[インターセプタ]》と呼ばれる者なのだよ!」
- * -
・<年表干渉者>
俺たちは揃ってマンションの507号室に招待された。ちなみに二つ隣はかつてハルヒと玄関前まで訪れた朝倉の家であり、さらに二階上には長門が住む部屋がある。
「どうぞ」
志賀と名乗っていた音透湖にしてインターセプタの案内でリビングへと通される。
部屋にはソファーやテーブル、テレビといった生活観溢れるものが整然と置かれていた。
ふと阪中の家を思い出し、まるでいいとこのお嬢さんの部屋に通された気分になりながら、俺たちはそれぞれソファーへと腰掛けた。
「『学校を出よう!』の世界で、溢れかえった想念体<シム>に対して大掛かりな攻撃が展開されたことがあったのです。宮野さんたちは当然ご存知ですよね」
台所でやかんに火をかけながら、インターセプタが話し出す。
「ええ、痛いほどに。何せわたくしたち<シム>が学園から消去された攻撃でしたから」
「CIOB、確かカウンター想念体パラージだったか。で、それがどうしたんだい?」
「CIOB攻撃は想念体の存在を0にするものだとあなたがたは考えています。ですが、実際は想念体を別世界へ移項する攻撃方法なのです」
「なるほど。移項しようが消滅しようが自分の世界からは消えたとした観測できん。間違えてもおかしくはない」
インターセプタのいるダイニングへ乱入し何やら焼き菓子を発掘してきた宮野は、手にした皿にざっと盛ると俺たちのいるリビングの机に出し、勝手にぼりぼりと食い始めた。
某団長が人の家で賞味期限切れのわらび餅を漁ったシーンが思い出される。
「あのCIOBのせいでこの世界に想念体が出現したと、そういう事なんですね」
「はい。殆どの想念体は同レベルの別世界に移項しました。ですが力の強い想念体が移項の力を利用して上位世界へと流れてしまったのです」
「彼と涼宮ハルヒが接続していたラインを辿られたと思われる」
宮野に負けじと菓子をほおばりながら長門が続ける。
と、沸いたお湯を別容器に入れる音と紅茶のいい匂いが漂ってきた。人数分のカップと琥珀色の液体が入った透明なティーポットをお盆に載せ、インターセプタがリビングへと戻ってきた。
注がれた紅茶にそれぞれが砂糖やミルクを落とし、香りと味を楽しみながら一息ついた。紅茶を出す技術に関しては朝比奈さんと張っているのではないだろうか。
「俺と光明寺を彼らの部室に送り込んだのは、やっぱりキミなのかい?」
「はい、わたしです。あなたがたなら想念体相手に戦えると思いましたので。光明寺さんの能力で自滅しないように、あのリボンも用意しました」
と、そこで未だ預かりっぱなしだった二本のリボンを取り出す。お礼を告げて差し出すが、光明寺は受け取ろうとしない。
「……用意というのは、つまりこれはあなたが作り上げた」
「いいえ」
インターセプタはきっぱりと否定した。
「それは本物です。若菜さんに話せる限りで事情を説明し、二人の力を添えてあなたへ渡すと確約した上で預かりました。それは間違いなく、あなたへ贈られた彼女からの餞です」
光明寺はその言葉でようやくリボンを受けとると、そっと二本のリボンを撫でて小さく微笑んだ。その様子を見て他のメンバーも薄く微笑む。それはまるで自分の意思を汲み取ってくれた相手に対し、喜びを表現しているかのようだった。
「上位世界で意思のある想念体<シム>が活動すれば下位世界がどうなるか。その危険性はわかっていただけますよね」
ああ。もし優弥をあのままにしていたとして、優弥が『学校を出よう!』の世界にこちらからちょっかいを出したらどうなっていただろうか。
「まず間違いなくはぐれEMP、あの《水星症候群》の派閥が勝利する世界になっていた事でしょう」
「それぐらいで済めばかわいいもんさ。最悪、こっちの世界に想念体やEMP能力者たちが流れて来ていたかもしれない」
しかも今回以上の規模で、か。まさに最悪だな。
何だかんだで、お前たちのおかげで俺たちもハルヒも、ついでと言ってはなんだがこの世界も助かったってわけだ。ありがとよ。もちろんお前にも礼を言うぜ、長門。
「いい。それがわたしの役割」
まあそう言うなって。それとインターセプタ、お前にも礼を言わせてくれ。
「構いませんの。わたしにとって望まない事態を避ける為に行った結果ですから」
それでもだ。経緯はどうあれ、お前がハルヒを救ってくれたという事にはかわらない。
それに俺が朝倉の<シム>を生み出した時や、ハルヒに無意識に力を使わせようとした時、実はこっそり俺をサポートしてくれてたんだろ?
「ばれていましたか」
いくらなんでもあの二つの行為、ぶっつけ本番にては上手くいき過ぎていた。だが彼女がサポートしてくれていたと言うのならば納得がいく。
- * -
「かくして真犯人は自白を遂げ、ここに事件は幕を下ろす……でいいのかな」
ハルヒが助かったんだ。俺たちとしてはそれで問題ない。後はお前たちの存在ぐらいか。
「そうですね。どうしますか? この世界にい続けるか、他の世界へ渡るか。あなたたちがいた元の世界や、わたしたちの世界に来るという選択肢も用意できますよ」
「それは興味深い。キミの言う『わたしたちの世界』とは私たちに介入し続ける世界かね? それとも、本来キミがいるべき世界の事かね」
何だその禅問答の様な質問は。
「考えても見たまえ。キミは本の中の人物を自分の世界に呼ぶことはできるかね。もしかしたらキミにそのような能力が存在しており可能かも知れん。だが一般的には不可能と答えるだろうし、不可能という答えこそここでは期待されている。
では、Aという話の人物をBに出すことはどうかね。これは可能なはずだ。キミ自身がBの話にAが登場するよう手を加えればいいのだからな」
つまり、俺たちのこの世界に<シム>を介入させる事ができるインターセプタは、俺たちの世界よりも高位の世界の存在だと、そう言いたいのか。
「ええ、そうです。あなたがたの考えるとおり、本当のわたしはここよりも更に上の世界の存在です。ですから下位であるこの世界に、更に下位世界の<シム>を転移させる事ができました」
「更に言うならば、キミはインスペクタ達をも騙している。彼らが私たちより上位にしてこの世界より下位なのは明らかだ。何せ『学校を出よう!』に出ているのだからな。さて、そうなると、キミはあたかもそこの世界の者のように振舞っている、と言うことになる。
実に興味深い話だ。キミはいったいどれだけの高みにいる存在なのかね」
「語りましょうか?」
「結構だ。私には考える為の脳も行動する為の手足もある。いずれ自力で向かわせてもらうとしよう。その際には同伴者がいても構わぬかな?」
「班長について異世界めぐりをするなど、よほど奇特な人間がいるのですね」
「そうだな。そして人間とはえてして自分が奇特である事に気づかないものだ」
「わたくしを見るより鏡を見て語ったほうが説得力ありますわよ」
会話がどんどん電波と痴情のもつれになっているように感じるのは俺だけだろうか。
どうやら俺の出番はこれで終わりのようだ。適度な喧騒をバックミュージックに紅茶を飲み干すと、今日一日の疲れを癒すべくソファーに身体をゆだねる。途端に全身がだるくなり、一気に疲れが押し寄せてきた。
やばい、ふかふかのソファーもあってあっさり撃沈してしまいそうだ。
睡魔に囚われ少しずつぼける思考と視界の中、俺は突然にある仮説を思いついた。
なぁ、長門。情報統合思念体というのは……もしかしてそういう奴らの事なのか?
そしてハルヒの力は、それよりも上位の存在から渡されている、ないしハルヒの望むよう改変している……という事なの、か……?
長門は珍しくうっかり指紋をつけてしまい曇ってしまったガラスのような透明度の瞳で俺を見つめ返してきた。
「情報統合思念体についてはそうとも言えるし違うとも言える。一概に上の世界の住人と割り切れる存在ではない。
涼宮ハルヒの力については全く不明。涼宮ハルヒの持つ進化の可能性が更なる上位世界から渡されたのではないかと言うあなたの仮説に対して、わたしは否定するだけの材料は持ち合わせていないし、肯定する理由付けも同じく行えない。
だがそのような回答は全て些細な事。今、ここで何よりも重要なのは──」
俺の頭が動かされ、そのまま身体が横向きにソファーへと倒される。ただ頭の下だけは何か暖かく柔らかいものが敷かれていた。
そのまま頭を優しく撫でられると、俺がギリギリ保っていた意識は完全に飛んでしまった。
「──重要なのは、あなたの休息」
- * -
・終幕
目が覚めた時、俺は慣れ親しんだ愛用のベッドで横になっていた。あまりに日常どおりな状態に、昨日の騒動が実は夢オチだったのではないかと思えてくるほどだ。
だが俺は知っている。ハルヒがらみでこういう夢か現実かわからない状況に陥った場合、その九割以上はまぎれもない現実だという事を。そんな事はこの一年でいやと言うほど思い知らされてきた。
さてそうなると気になるのは光明寺たち<シム>の事だ。彼らはインターセプタの部屋で話を聞いた後、どういう決断を下したのだろう。
彼女が差し出した異世界への切符を受け取り、別世界へと移動したのだろうか。
……いや。あの宮野がいる限りその選択肢は考えにくい。少し話しただけだが、あいつはどうもハルヒと同じで、自分で自分の道を探していくタイプのようだ。
きっとインターセプタからの提案をあっさりと断り、今頃どこかで光明寺と漫才トークでもしながら自力で何とかする方法でも考えている事だろう。
気になる事といえばもう一つある。昨日の騒動で見事に復活してしまった朝倉の事だ。
あいつはあいつでこれからどうして行くつもりなのだろう。もう命が狙われるような事も、いきなりナイフで腹を刺されるのもご免被りたい。
まあ光明寺たちと朝倉の件に関しては長門や古泉に聞いてみることにしよう。
大きな問題を二つ後回しにした所で、俺の脳内に次の大きな問題が浮かび上がってくる。
俺は布団からもれている自分の右腕に視線を送った。俺の手を取り握りあっている暖かい右手を見つめ、そこから伸びている腕をゆっくり経由し、最終的に俺が寝るベッドに寄りかかるようにうつ伏せて眠る少女へと視線を移した。
部屋に入る風と少女自身の呼吸で、髪と黄色いリボンの飾りが揺れる。
問題とはまさにこの少女の事だった。さて何でこいつは俺の部屋にいるんだろうね。
このままこうしていても仕方がないので。俺はうつ伏せの少女の頭を軽く撫でて起こしてやることにした。顔が見えていれば前みたいにつねってやるのだが。
ほら、起きろハルヒ。
「……ん」
ハルヒがゆっくりと頭を起こして目をこする。そのまま一度あくびと共にのびをすると、まだ少しぼうっとした表情で俺を見つめてきた。
おはよう、良く眠れたか。
「全然。まだちょっと眠……ってこらバカキョン! それはあたしの台詞よ! あんた一体今何時だと思ってるのよ!」
さあ。何せ今まで寝てたからな。それで何時なんだ?
俺の問いかけにハルヒが左手にはめた腕時計を見て、それを俺に見せ付けてきた。
「見ての通りもうすぐ正午になるわ。集合時間は九時だから約三時間の遅刻、しかも集合場所は駅前だから、今なおあんたの遅刻時間は記録更新中って事。これはもう罰金レベルじゃ済まされないわよ?」
そうかい、そいつはすまなかった。ところで何でお前はここにいるんだ。他の連中は?
「いないわよ。みんな急用とかで朝からは出られないって言うから、今日の活動は午後からって事にしたの」
三人とも急用ねえ。本当は急用じゃなく休養なのかもしれないな。
って午後から集合だったら俺だって遅刻じゃないじゃないか。
「みんなはちゃんと集合時間の三十分前には連絡してきたわよ。だからいいの。でもあんたは連絡が無かったから遅刻。
集合時間過ぎても来ないし、携帯に電話しても電源切れてるって言うだけで出ないし。
どういう事よと家の方に電話かけて妹ちゃんに様子を聞いたら、あんたが死んだように眠っててどんなに起こしても起きないって言うじゃない。だからこうしてあんたの様子を見に家まで来てあげたのよ。
それにしても本当ぐっすりと眠ってわね。あたしがいない間にSOS団で何か疲れるような事でもしてたの?」
ああ思いっきりしたさ。
こっちは《神人》戦に優弥戦とヘビーな連戦だったんだ。緊張の連続で身体はともかく精神が磨耗しきっていたんだろうよ。
だがそんな事をハルヒに言える訳もないので、相変わらず苦しい説明を行うことにした。
「ああ、ちょっとしたごたごたがあってな。解決はしたんだが随分とくたびれさせられた。何があったかは古泉から聞いてくれ。俺よりもあいつの方が把握してるから」
「ふうん……古泉くんって事は生徒会がらみ? まあいいわ、後で来た時に聞けばあんたが本当の事を言ってるのかすぐにわかるから」
おい、何だその『後で来た時』って言うのは。
「あんたが起きそうも無かったから、午後はみんなであんたのお見舞いをする事に決めたのよ。だからもう暫くしたらみんなもやって来るわよ」
邪神の微笑みを浮かべてハルヒが告げる。くそっ、間違いない。こいつは昨日俺が見舞いに行くぞとからかった仕返しをするつもりなんだ。
やれやれ、客人が更に来るというのならこうして寝てもいられないか。
俺は溜息をつくと身体を起こす。そして未だに握られている右手をじっと見つめてからハルヒに何で俺の手を握っているのか聞いてみた。
ハルヒは言われてから気づいたのかぱっと手を離す。そして少しだけ挙動不審な態度を見せながらもきっと睨み返してきた。
「あ、いや、何となくよ! ほら病気の時ってさ、こうやって手を握ってあげるとどうしてか安心して眠りにつけるじゃない。団員の事を気遣うのも団長の務めだからね。
後はキョンがあまりにもぐっすり眠ってるから、激しく疲れてるのかなって思ったのよ。だったらあたしの溢れんばかりのやる気をこうやって手から注入してあげればいいじゃないって思いついてね。あんた目を閉じてるし。
どう、体がぽかぽかして発刊作用とか促進されたでしょ」
わかった、そのネタはもういいから。一度着替えるから部屋を出てくれるか。
「じゃ、妹ちゃんにあんたが起きた事伝えてくるわ。ご飯どうするんだって言ってたから」
ハルヒは立ち上がり扉を開ける。だが何かを考えているのか、出て行こうとしない。
「……ねぇ、キョン。あんた昨日……」
「にゃあ」
ハルヒの言葉は意外な来客によってさえぎられた。見ればハルヒの足元でシャミセンが部屋に入ろうと待ちわびている。
「あ、シャミセンごめん」
ハルヒがどくとシャミセンはゆったりと入ってきて、俺のベッドにあがると丸くなる。
俺たちはその様子をただじっと見ていたが、やがて
「……ううん、やっぱ何でもないわ。それじゃ妹ちゃんに伝えてくる」
それだけ言い残してハルヒは部屋を出て扉を閉めた。
……ハルヒの奴、一体何を言い出すつもりだったんだろうな。何とはなしに言葉を邪魔したシャミセンに聞いてみる。
シャミセンは珍しくただ一言「にゃあ」と答えてきた。
まるでハルヒに対して『まだ早い』と制したかのように。
俺は昨日から切りっぱなしだった携帯の電源を入れる。着信履歴やメッセージが流れてくるが確認は後回しだ。俺はアドレス帳の中から一人を選び出すと電話を掛ける。数回のコール後、電話の相手と簡単な挨拶を交わし本題に入った。
「問題だ。昨日俺たちSOS団はハルヒがいない隙をつかれて、メンバー全員が精も根も尽きるようなトラブルに巻き込まれてしまった。さてそのトラブルとは何か。……悪いが俺の家に着くまでに考えておいてくれ、古泉」
シャミセンはそんな俺の行為に興味を無くしたのか、
- * -
<インターセプタ・1>
意外だった、《高等監察院[インスペクタ]》。
あなたもまた高位の存在であるのは知っていた。涼宮ハルヒをも監察している事も。
しかし、よもやあのような手段で監察していたとは。
<インスペクタ・1>
人間は常識に縛られる。故にこの様な存在に自分が監察されているとは誰も思わない。
危機的状況は何度か訪れているが、現在対象に接近する事ができている。
そもそも涼宮ハルヒの監察はお前に関係ない話。文句はあるまい、《年表干渉者[インターセプタ]》。
<インターセプタ・2>
ああ、わかっている。だがあえて意見させてくれ。
……あなたのお姿、とても可愛かったですよ。
- * -
・終幕・B
──ただゆっくりと目を閉じた。
[ 了 ]