ホワイトデー・カーニバル Missing-Link

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・午後十時三十分:長門

「長門有希さま、ですね」
 入口の前で警備員の姿をした男性がわたしの名を呼ぶ。特に否定せずに近づくと、
「……お待ちしておりました」
 警備員は入り口の扉を開けてわたしを中へと招き通した。

 この場所へ来るのは何度目だろう。わたしは夜の帳が降り静寂が支配するホールから辺りを見回した。
 数多くの紙とインクが鎮座する無機質にして心地よい棚の数々。
 彼に連れてこられた、わたしにとって特別な場所。

 わたしは、いつもの図書館を訪れていた。



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・午後十一時四十五分:みくる

「ひぇ、ひぇ……はふぅ、ふぅ……」
 子供の早歩き程度の速度でわたしはとにかく走る。残された時間はもうそんなには無い。
 もうすぐあの場所。そこにたどり着くまでは苦しくったって足を止められない。
「ふひぇ、ふひぇ、はぅ」
 肺からの焼けるような息に乗り、何ともいえない声が漏れる。
 肩が重い。ブラがずれる。こういう時、胸の膨らみが疎ましく感じる。
 走りながら直せるだけ直しつつ、それでも足は止めない。

「も、もうす、ぐ……もう、すぐ」
 ようやく入り口を抜けて中へ入る。転びそうになるが何とか踏みとどまり、一度足を止めて空気を求めた。
「あと、少し……急がなきゃ」
 息を整えつつ、今度は歩く。目的地はもう目と鼻の先だ。

「……えっ」
 ずっと目指していた目的地──あの七夕の時に訪れた公園のベンチには、先客が座っていた。
 頭髪が白く染まった初老の男性。新川さんのようないわゆる老紳士と呼ぶに相応しいような人だった。
「来られましたか……朝比奈みくるさん、ですよね?」
 老紳士は優しそうな瞳でこちらを見つめると、何故か自分の名を告げて聞いてきた。



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・午後十一時二十分:ハルヒ

 慣れ親しんだ扉の前に立ち、あたしはポケットからスペアキーを取り出すとカギ穴に差し込んだ。
 カチリ、小さな音と共に錠が外れた。扉を開けてあたしは遠慮なく中に入る。
 夜にこの場所を訪れたのはこれで二度目、いや三度目か。
 映画編集の際に泊り込んだ時と、未だに忘れられないあの夢の中。

 北高部室棟、文芸部室。
 あたしとアイツが立ち上げた非公認同好会、SOS団。その団員みんなが集う、この学校で一番大切な場所。
 そう、あたしは部室に忍び込んでいた。


 昼過ぎに使ったカップが三つ洗って干してある。愛用のパソコンもまた今は沈黙を守り続けていた。
 そのままゆっくりと視線を走らせる。
 有希がいつも座る椅子、みくるちゃんの定位置と化しているコンロ前、あたしの席と抜け、古泉くんの席と長机を超えた先であたしの視線はぴたっと停止した。
 無造作に置かれたパイプ椅子。まるでそれは一年付き合ってきた主の気質が移ったかのようにも感じ取れる。

「……と、感傷に浸っている場合じゃなかったわね」

 あたしは椅子から視線を外すと、その横に置いてあるゲームと本と、その他諸々が詰まった棚に注意を向けた。
 長机に足をかけて上り、その棚の上を見る。
 埃が乗っていてもおかしくないはずの棚の上は、だが実に綺麗に拭かれてあり、そして

「──あった」

 そこにはリボンのついた赤い袋がぽつんと置かれていた。



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・午前八時:ハルヒ

 数字の羅列って暗号は大体対応する表があるものだけど、こういうヒントが無い場合って簡単か難しいかのどちらかなのよね。
 まずは難しい場合。『対応する表をあたしが見つけていない状態』の時はこのパターンになるわ。
 このパターンの場合、解読するのはまず不可能。あたしがすべき事は解読じゃなくて『対応表を探す』事になるわ。



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・午後十時三十五分:長門

 暗号は既に手に入れていた。そう、一番最初に送られてきた『No.3、No.10』という形で。
 喜緑江美里が言っていた「与えられない問題」とはこの事だったのだ。
 あとはその暗号と『対応表』を示し合わせて解答を導くのみ。

『図書館の本 棚の上』

 わたしがよく借りる分野の棚、その一つの上にあった。
 彼が置いたであろう、封筒のような青い袋が。

 図書館を後にして家に戻る。道すがら封を開き中身を取り出すと、ソレはきらりと光って自分の姿を映し返した。

「ユキ……まれにある、奇跡」

 暫くそうしていたが、やがてソレを袋に戻すとわたしは言葉を紡ぐ。

「───────────」
 人間には理解不能な、何処かの世界の言葉で。そして

「ありがとう」
 この気持ちが伝わるよう、彼の言葉でもう一度。



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・午後十一時五十五分:みくる

「間に合われたようですね、お嬢さん」
 老紳士はそう言うと脇においてあった箱を取り上げる。真っ白い外装に、可愛らしいピンクのリボンが巻かれた箱だ。
「あなたは来られないかもしれない。これをわたしに託した人はそう言ってましたからひやひやしてましたよ。いや良かった、こうして待っていたのが無駄にならずに済んだ」
「え、あ、す、すいません、おじいさん。わたしがもっと早く来ていればすぐに帰れたのに」
 わたしはおじいさんに謝りながら、この場所に来る事となったさっきの出来事を思い出していた。



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・午後九時三十分:長門

『……ってカードが入っていたんです。長門さんはどうでした?』
「ない」
 朝と同じように朝比奈みくるから電話がかかってきた。話を聞くとクッキーの袋に暗号文が入っていたらしい。
 しかし今更何故暗号が、しかも朝比奈みくるにのみ入っていたのか。

『そ、そうですかぁ。……じゃあこれ、あたしだけなのかなぁ?』
 その可能性はある。あなたにだけ伝えたい何かがあった、そう解釈すべき。
 微小なノイズを感じつつわたしは一般論を答える。
『そ、そうですかぁ』
 全く同じ受け答えを返してくる。その声は多少喜んでいるようにも聞こえ、それを感じ取ったわたしに更なるノイズが走る。
 だがそのノイズも一瞬に過ぎず、またそれを感じている余裕も彼女の言葉で消えうせた。

『てっきりわたしは数字にしないといけない理由があるのかなぁって思ったんです。えっと、ほら長門さんも涼宮さんも、最初の暗号って数字だったじゃないですか。
 えっと、カードは明日キョンくんに聞いてみる事にします。こんな時間にごめんなさい。それじゃ長門さんまた明日、おやすみなさい……』

 解き終えた暗号を、あえて数字にしないといけない理由。
 電話が切れていたことにも気づかず、わたしはただその事だけを考えていた。



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・午後十時十分:みくる

「みくるちゃん! あの新聞の脅迫状を見せてっ!」
 わたしの家まで押しかけてきた涼宮さんは、わたしが持ち帰っていた例の脅迫状を見直すと
「……本当、確かに有希の言うとおりだ。くっ、もう少しでキョンに騙されるところだったわ!」
 とわたしに脅迫状を返して走り出していった。いったい何だったんだろう。長門さんの言う通りって? キョンくんに騙されるっていったい?
「……っと、みくるちゃん! 判ってないと思うから言っておくわ! その脅迫状をもう一度、いえ日付が変わるまでとにかくじっと見て考えなさいっ! みくるちゃんが貰った手紙と一緒に! いい、これは団長として……いえ友達として、あたしと有希からの忠告よっ!」


 わたしの暗号だった『−RD』。それを『18、4』に置き換えろと書かれた謎の紙。そして、脅迫状。


部室の 棚の中にある 図書館の本
椅子 に 置かれたもの
ハルヒの 教室 にある 棚の上

そのもの が 知っている
次へ 進む為 の 道しるべを

公園の 中で 待つ
わたし はそこに いる


「……え。あれ? もしかして……『公園の 椅子』……? 公園の椅子ってもしかして、七夕の時にひざ枕した……あの?」



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・午後十一時五十八分:みくる

「え、あ、す、すいません、おじいさん。わたしがもっと早く来ていればすぐに帰れたのに」
「謝るのはわたしにではありません」
 老紳士が静かにわたしを制すると、すっと白い箱を差し出してきた。
「あなたと出会うのを待ち続けた、この箱にです。さあ、受け取ってください」
 老紳士から白い箱を両手で受けとると、わたしはそのまま箱をそっと抱きしめる。

 ──ごめんね、待たせちゃって。
 そしてありがとう、わたしの元へ来てくれて。

 わたしはその白い箱に、何度も愛情を込めてささやき続けた。



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・午後十一時二十五分:ハルヒ

『部室の 棚の上 にある』

 与えられた番号順に脅迫状の文節を読む。まさかこんな仕掛けがしてあったとはね。
 有希からの電話が無かったら気づかなかったわ。
 これも古泉くんとの共同? ……いや、多分違う。

「本当に三十倍にして返すなんて……本当、バカなんだから。あんたもそー思うでしょ?」
 ハルヒはいつもと違う椅子に座って部室を眺めながら一人呟いていた。



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・翌、午後三時五分:キョン

 カーニバルというには名前負けしそうなイベントだったホワイトデーも無事に終え、今日からまたSOS団は通常運転となった。
 バレンタインデーの時のようなゲリラ的なイベントを起こすでもなく、団長はのんびりとパソコンに向かい相変わらずワールドワイドな謎探索に精を出し、長門は俺がイベント用に借りてきた『なるほど解決! ゼロから始めるコンピュータ』を読みながら時折空中でタイピングを行い、朝比奈さんは紅茶葉とシナモンミルクを手にゴールデンルールとか完璧な一杯とか呟きながらメモとお湯を交互に見つめ、俺はそんな三者三様な姿をのんびりと眺めながら鉛筆を弾いて古泉の戦闘機を一機、また一機と撃墜していた。
「まるで間違い探しですね」
 古泉が小さく呟く。何の話だ。この椅子が今日に限って何だか微妙にすわりが悪い事か?
「それはそれで気になりますが、そうではありません」
 言われなくても判ってるさ。俺は古泉の姿を視界から外しつつ、こいつの言う間違いとやらをゆっくりと辿っていった。
「いやはや、全く気がつきませんでした。いつの間にあんなネタを仕込んでいたんですか?」
 まさにお前が気づかないうちに、だ。俺はいつも通りの表情で答えると、視線を戦場に戻してから鉛筆を弾き、古泉軍最後の一機だった戦闘機を撃墜した。
 当事者でない古泉が気づくぐらいだ、既に他の三人も気づいているのだろう。だが朝比奈さんも長門も、そしてハルヒすらも何も言わない。
 だから俺も、そして古泉もそれ以上は何も言わなかった。

 今日もまたいつも通りのんびり時は過ぎていく。
 今日から新たに加わった、花の浮き彫りが入った真っ白い陶磁器と、雪の結晶がさり気なく刻まれた白銀の栞と、部室に差し込む陽射しを受けて金色に輝くリボン付きカチューシャと共に。


- 了 -

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