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キョンの消失
三日目・放課後

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 放課後になり、わたしは部室へと足を運ぶ。わたしにとってこれが最後の部活となる。
 部屋にいたのは長門と古泉だけだった。SOS団きっての天使と悪魔の姿が見えない。
「涼宮さんが何かを思いついたようです。先ほど朝比奈さんを連れて廊下を歩く姿を目撃しましたよ」
 一体何を企んでるのやら。折角の最終日なんだから朝比奈さんの淹れてくれる甘露なお茶を心いくまで味わいたかったのだが。

 そう思いカバンを投げてお決まりの定位置に座ると、横からカーディガンを纏った腕がそっとお茶を差し出してきた。
「あなたの期待に添えているかわからない」
 何とまあ長門にお茶を淹れてもらうなんて、部室では初めてではないだろうか。
 一口すすり、ゆっくりと味わう。朝比奈さんのとは違うが、これはこれで格別の味だった。
「ありがとう。美味しいよ」
「そう。よかった」
 仄かに満足げな表情を浮かべ戻ろうとする。とその背にゲームを持って戻ってきた古泉が声をかけた。
「たまには長門さんもどうですか。このダイヤモンドというゲーム、三人で遊んでこそ面白いんですよ」

 一時間ぐらい経過しただろうか。
 長門の驚異的なゲーム展開の隙間を縫いながらわたしが駒を動かしていると、部室の扉が激しい音と共に開いた。
「全員あたしに付いてきなさいっ!」
 扉を開けた正体の第一声である。声の主が誰かなど今更語ることも無いだろう。
 後ろからひょこっと顔を覗かせる特級天使、朝比奈さんを従えてハルヒは満身の笑みを浮かべて告げてきた。

 ハルヒが主語の無い会話をするのはいつもの事で、わたしがそれに突っ込むのもまたいつもの事だ。
「……何処へだ」
「来ればわかるわ! 古泉くんはそれお願い。キョンはコンロとヤカン、有希は冷蔵庫のビニールを持ってね」
 言われて気づく。そういえば部室の隅に何やら丸められた長いものが置かれていた。
 古泉がそれを持ち、長門が冷蔵庫からペットボトル等が詰まったコンビニ袋を取り出す。
 仕方なくわたしもコンロとヤカンを持ってハルヒパーティに加わる事にした。

 ハルヒを先頭にSOS団は校舎の中を歩いていく。
 わたしは銀紙で覆われた何かを持って後ろに付いて歩く朝比奈さんにこっそり聞いてみた。
「これは一体何が始まるんですか」
「えへっ、それは秘密です。でもすぐにわかりますよ」
 そう言いながら朝比奈さんが、男子の殆どと一部の女子(わたしを含む)を至上の快楽へと堕とすぐらい小悪魔的な清純さと浄化された愛くるしさを兼ねた強烈なウインクを見せてくれた。
 何だかもうそれだけで満足してしまいそうである。実際かなり満足しました。


 連れてこられたのは本館屋上だった。校舎をはじめ、かなり広域な街並みを見下ろす事ができる。
 ハルヒの指示で、古泉が持ってきていた大きなビニールシートのゴザを広げて四隅を重石で留める。
 後はそれぞれが持ち歩いていたものを中心に置けばセッティング終了だ。
「って何なんだ、この屋外簡易宴会場は」
「折角の春なんだから花見をするの! 桜はまだ咲いてないけど、何も桜だけが花見の対象じゃないわ」
 校舎の屋上で一体何の花を見るつもりだ、お前は。
 ハルヒは両手を広げ、その全身で風を感じながら街並みを見下ろした。
「何かを一輪ずつ見る必要なんて無いわ。こう見渡して春を感じ取れたら、それはもう花見なのよ!」
 そうでしょ、と言いながら首だけ振り向いて笑いかけてくる。
 風の暖かさは、色々な部分に春を運んでいるようだ。ハルヒの脳内が春色なのはいつもの事だけどな。

「涼宮さぁん、キョンさぁん。準備できましたよー」
 朝比奈さんの爽やかな呼びかけにわたしたちが振り向くと、既に三人の手には飲み物が用意されていた。
 中心には朝比奈さんが運んでいたモノの銀紙が剥がされ、サンドイッチや卵焼きなど、色とりどりな軽食が姿を見せていた。
「遅いと思ったら、アレを作ってたのか」
「そういう事。ほらキョン、あんたも飲み物を持ちなさい」

 どうぞと古泉に紙コップを渡され、朝比奈さんにジュースを注いで貰う。
 ハルヒも飲み物を持つと、コホンとワザとらしいせきをしてから
「それでは、SOS団の色々に向けて! カンパーイッ!」
 声につられてメンバーも思い思いの乾杯を告げた。
 って色々って何だオイ。いやそれより乾杯の音頭早すぎだろ。もっともったいぶれよ。
「いいのよ! 挨拶よりも楽しむ事が大事なんだから。……それともあたしの話をじっくり聞きたい?」
 全身全霊をもって遠慮させてもらおう。お前の事だ、何を言い出すかわかったもんじゃない。
「何よそれ。折角あたしとみくるちゃんで作ったサンドイッチ、あんたにあげないわよ」
 それは困る。どう考えても今日一番のメインディッシュとなるであろうそのサンドイッチは
周りに並べられたスナック菓子なんか眼じゃないぐらい、何より心惹かれる存在なのだから。

「いっぱいありますから、どんどん食べてくださいね」
 朝比奈さんがにっこり笑ってサンドイッチを二つ差し出してくる。
「あ、そっちあたしが作ったヤツ。はぐはぐ……しっかしみくるちゃん、本当料理上手いわね」
 朝比奈さんのその愛らしい手で作り出されたサンドイッチなら、どんな物だって美味しくて当然だ。
 そして料理の腕は確かなハルヒが作ったサンドイッチも、これまた期待以上の味を見せ付けてくる。
 一言で言うなら、うまかった。

 そういう訳で長門、そんな貴重なサンドイッチを普段の生活の二倍再生の如く凄い勢いでパクパク食うな。
 もっとありがたがって味わって食べるんだ。そうしないとわたしの分が無くなるじゃないか。
「別にいいじゃない。有希の食べっぷりってあたし好きよ。
 それにこういうのは弱肉強食なのよ。キョン、サンドイッチが食べたかったら実力で奪い取るのみよっ!」
 その意見には賛同する。わたしの家庭では大皿おかずは取ったもの勝ちが食卓ルールだ。
 こうしてわたしとハルヒが本格的に参戦し、サンドイッチ争奪戦はここに熾烈な争いを見せるのだった。


- * -
 とことん花見で騒ぎ倒し、夕暮れと共にみんなで下校する。
 駅前で別れ際、ハルヒがすっと近づいて聞いてきた。
「どう、楽しかった?」
 おかげさまでな、随分心がハレた。
 心地よい場所で、美味しいものを食べながら、仲間達と騒ぎ会う。
 今日のコレは、ハルヒなりにわたしの憂鬱を考えてくれた結果なんだと判り、わたしは素直に感謝した。
「ありがとう。照れくさいが、本当に嬉しかった」
「……どうやら悩みはまだあるみたいね。明日じっくり聞いてあげるから、覚悟しなさいよ」
 そう言うとハルヒは駅の中へと入っていってしまった。
「それじゃみなさん、また明日」
 朝比奈さんが幸せの花吹雪を振りまきながら深くお辞儀すると、「涼宮さん待ってくださぁい」と慌てて駅の中へと追いかけていってしまった。


「朝比奈さんに話さなくて良かったのですか」
 古泉が聞いてきた。
 ああ。あの人は今回の事については知らない方がいい。
 どうせ記憶も一緒に改変されてしまうのなら、朝比奈さんにぐらいは笑っていてもらいたい。
 悲しんでくれるのはお前達だけで十分さ。そうだろ? 古泉、長門。
 わたしの言葉に古泉は長門に視線を送り、長門は目線でのみ頷いた。何だその合図は。

「さあもう帰った帰った。わたしはこれから色々と準備で忙しいんだから」
 そう言って二人を反転させてそれぞれの帰り道へと身体を向けさせた。
「……機関は既に今回の件を知っています。僕はここで別れたら、もうあなたに会う事はできないでしょう。
 失礼ですが、もう一度だけ考えを」
「言うな」
 トーンを落とした言葉と共にこちらを振り向こうとした古泉を、わたしは静かに止めた。

「もう決めた事だ。何も言うな。でないと朝抱きしめさせた分を返してもらうぞ」
「どのようにです」
 このように、だ。
 言葉と共にわたしは古泉の背中を思いっきり抱きしめてやった。今日は抱きついてばっかりだな、わたし。
 これで明日があった時には、お前の隠れファンに呼び出されるのは確実だろう。

 そのまま一分ほど抱きしめた後、わたしは身体を離すと古泉の背中に語りかけた。
「頼む、古泉。こっちを振り向かずに、このまま行ってくれ」
「……わかりました。それでは、また明日」
 古泉はそのままゆっくりと歩き出し、姿を小さくしていった。暫くして、古泉の前に黒塗りの車が停止する。
 扉を開けて乗り込むと、車はゆっくりとこちらに背を向けて走り去っていった。


- * -
「長門。お前はこれからどうするんだ」
 古泉と違い、長門には重要な役割がある。今回、再改変を行うのが長門の仕事だ。
 最初は喜緑さんが行う手はずだったのだが、昼休みの話し合いで長門が自分からすると言い出したのだ。
「予定時刻まで待機」
 そうか……それじゃ、よろしく頼む。
 わたしの言葉に、しかし長門は何も返してこなかった。

「……先ほどから、数多のエラーが発生している」
 長門が淡々と告げてくる。
「わたしの中に、今件における否定が次々とあがってくる」
 更に淡々と長門が告げてくる。だがそれは表面上だけだ。
 長門の内部では今、数多くの二律背反な計算が流れているに違いない。

 わたしは長門を引っ張りよせると、朝のように強く抱きしめつつ頭を撫でてやった。
 ありがとう。わたしの為にそこまで悩んでくれて。
 その気持ちは凄く嬉しいし、また長門にそんな気持ちが生まれたという事は喜ばしい事だ。
 わたしとの記憶を消した後も、その気持ちは忘れないでいてほしい。
「それが、わたしのお前への望み。そのエラーを、お前に生まれた感情を大切にしてくれ」
「大切にする。……できればもう一度、あなたと図書館に行きたかった」
 小さく頷き、長門もまたわたしの事を抱きしめ返してきた。


 そのままわたし達はただただだじっと抱き合っていた。
 ……わたしが、ここが駅前だと思い出すその時まで。



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